比叡山の焼き討ちで一番はりきっていたのは明智光秀だった!?/『誤解だらけの明智光秀』④

文芸・カルチャー

公開日:2020/4/14

誤解だらけの明智光秀

著:
出版社:
マガジンハウス
発売日:

歴史は時としてウソをつく。「そんなバカな」と思う人こそ、要チェック!2020年の大河ドラマ『麒麟がくる』の主人公に抜擢されて、大注目の明智光秀。東京大学史料編纂所で歴史研究に勤しむ本郷和人教授が明智光秀が生きた戦国時代の“リアル”を愉快に解説します!

『誤解だらけの明智光秀』(本郷和人/マガジンハウス)

比叡山の焼き討ちで一番はりきっていたのは光秀!?

 織田信長が「比叡山の焼き討ち」をする以前にも、比叡山を攻撃した人はいました。最初にしたのは、六代将軍・足利義教。二番目は、「応仁の乱」の東軍の総帥・細川勝元の息子、細川政元。しかし、彼らは比叡山の僧兵と呼ばれる武装勢力を攻めただけ。純粋な宗教家である僧侶まで殺したわけではありません。

 ところが、信長は僧侶や子どもも含め、比叡山にいる人すべてを皆殺しにしています。国宝級の貴重なお経や古文書、仏像、美術品なども含め、比叡山をまるごと徹底的に焼き尽くしています。

 一般的には、教養人の明智光秀が「平安の御代より王城鎮護を担う延暦寺を焼くなど、もってのほか」と信長をいさめたことになっていますが、実際には、むしろ光秀こそが一番はりきって焼き討ちを行っていたようです。

 たとえば、焼き討ちの十日前、光秀はこんな手紙を書いています。

「仰木(ここでは比叡山)の事は、是非ともなでぎり(皆殺し)に仕るべく候」

 焼き討ちの後、坂本に五万石の領地を与えられ、坂本城を築くことを許されたことから考えても、一番はりきって働いていたのは光秀であることがわかります。

 現代の私たちは「なぜ、そんな残虐行為ができたんだろう」と思ってしまいますが、光秀はすでに信長が追い求める「天下布武」、つまり天下統一の志も知っていました。信長の夢を支えていくなら、信長のもとで出世するなら、「自分は何をすべきか、何ができるか」と考えていたのではないでしょうか。だから、残虐なこと、むごいこともできたのかもしれません。

積極的に、おおいに働き、坂本五万石をゲット!
坂本城の築城もゆるされた!

<第5回に続く>

この記事で紹介した書籍ほか

誤解だらけの明智光秀

著:
出版社:
マガジンハウス
発売日:
ISBN:
9784838730827