不自由な江戸という時代に、こんなにも自由な人がいた『青青といく』【永井紗耶子 インタビュー】
公開日:2026/2/22
※本記事は、雑誌『ダ・ヴィンチ』2026年3月号からの転載です。

江戸の芝居街で起きた仇討ちの真相を巡る物語『木挽町のあだ討ち』(2023年)が山本周五郎賞&直木賞をW受賞し、ブレイクを遂げた歴史時代小説作家の永井紗耶子。同作は昨年4月に歌舞伎化され、実写映画化作品も2月27日より公開予定だ。メディア対応もどっと増え多忙な日々を送ってきたはずだが、むしろ執筆ペースは上がっている。
「書きたいものがありすぎるんです。少し前までは書かせてもらえる場所を自分で見つけなければいけない状態だったんですが、ありがたいことに今は“何か書きませんか?”と声をかけていただける。ノーと言えるはずがありません」
書くことで、新たに書きたいものが見つかる。そんな幸福な連鎖から生まれたのが、2月10日刊の最新長編『青青といく』だ。
「江戸の戯作者・栗杖亭鬼卵について書いた『きらん風月』という作品の調べ物をしていた時、同時代を生きた経世家である海保青陵のことがちょろっと出てきました。この人はヘンな人だぞ、掘り甲斐がありそうだなと思っていたんです。そんな時に編集者さんから“最近、面白いなと思っている人はいますか?”と聞かれ、名前を出したらノッてくださって。海保青陵自身もヘンだし面白いんですが、彼の周りも変人だらけ。裏テーマは“江戸時代の変人祭りをやろう!”です(笑)」
この人は変人ですよと示すこれ以上ないエピソード
文化14(1817)年の1月末、海保青陵が暮らす京都の邸宅へと、16歳の堺屋弥兵衛が足を運ぶ場面から小説は始まる。弥兵衛は老舗京弓師の跡取り息子であったが、手先が不器用だった。せめて算盤勘定の才能を伸ばしたいと願っていた矢先、海保青陵の著書『稽古談』をたまたま手にする。本をめくって、驚いた。〈世の中を変えるのは「経世済民」の統治であり、その要こそが、「商い」だ〉。それまで弥兵衛は、武士や百姓に比べると商人は、卑小で役に立たない存在だと思っていたのだ。のめり込んで熟読し、〈「商い」が持つ力の大きさに、不意に目の前がぱっと明るくなるような興奮が沸き上がって来た〉。どうしても本人に会ってみたくなり、この日門を叩いたのだ。そして、師弟関係を結ぶこととなった。しかし、それから4カ月で師は亡くなってしまい……まさか中心人物となるはずの偉人が早々に物語から退場してしまうとは!
「史実として残された海保青陵の言動の中でも、“自分が死んだら火葬して、遺灰を天に撒いてくれ”という言葉は相当インパクトが大きい。今は散骨という発想に対して比較的馴染みがありますけれども、当時はあり得ないですよね。『家』というものに対しての執着が強烈にあった時代ですからね。この人は変人ですよ、と示すのにこれ以上ないエピソードだったので、これを冒頭に持ってきたかったんです」
生前の海保青陵は全国津々浦々を行脚していたため、親交のある人物が各地に点在していた。京都の関係者で話し合った結果、最後の弟子である弥兵衛が旅に出て、師匠の死を伝える役を担うこととなる。かくして弟子が師の足跡を辿る、異色のロードノベルが幕を開ける。
「弥兵衛は真面目でおとなしいタイプなので、連れ合いを真逆なタイプにすれば楽しく旅ができそうだなと思い、戯作者の暁鐘成という人を出しました。海保青陵と交流があった人物は強烈な人が多いので、こっち側にも強烈なキャラがいないと怯んじゃって終わり、になりかねないなとも思ったんです」
でこぼこコンビがまず会いに行ったのは、江戸・日本橋で尾張徳川のお屋敷に勤める、弟の彪だ。実は、海保青陵は若い頃、弟に家督を譲るという経験をしていた。章の途中で視点がバトンタッチし、その顛末が彪自身の口から語られていく。
「本人が“賢弟”と呼んで愛していた彪に語ってもらうことで、海保青陵の人生の全体像をまず最初に見せられたらなと思いました。当時の目線からすると、弟に家督を譲るなんてことは、兄としては腐っちゃって絶望してもしょうがないことなんですが、本人はいたって幸せそうなんですよね。よし、これで自分の人生を始められるぞとウキウキなんです」
次に会いに行ったのは、江戸・麻布に暮らし「うそ八」という二つ名を持つ、絵師の司馬江漢。
「絶対にさわりたかった人物ですね。この時代に地動説を啓蒙していたすごい人なんですが、生きているのに“自分は死んだ”というビラを配って歩いたりして、めちゃくちゃなんです。弥兵衛たちが会いに行ったら『何の御用か知らねえが、わしゃ死んだ』と言うくだり、自分でも気に入っています(笑)。そんな司馬江漢ですら、海保青陵の自由な発想力には一目置いていた」
その後は、川越の商人、秩父の家老、金沢の隠居……。海保青陵が全国各地に出向き、その土地の人々と語り合った言葉が当事者の口から語られていく。海保青陵が変人たるゆえん。それは、当時からするとヘンで受け入れ難いけれども、現代の価値観に通ずる思考にある。
「例えば、第三章に出てくる秩父絹の逸話は史実です。川越産の絹をブランド力のある秩父産の絹として売ったら、実入りが良くなる。これは産地偽装ではなくてブランディングの話なんですよということについて、川越の人たちに丁寧に説明しています。青陵はいろいろな土地で、今で言う経営コンサルタントのような仕事をしていたんです。ただ、一部の尖った人たちには面白がられていたものの、当時の主だった反応としてはあいつは山師だ、変わり者だと思われていた」
自分ができる範囲での自分なりの自由を探ること
主人公を海保青陵にし、彼の視点からその生涯を描くやり方も、やろうと思えばやれたはずだ。しかし、作家はそのやり方を選ばなかった。
「自著の中で『自由』であれ、と掲げていた海保青陵の思想が脈々と受け継がれていったからこそ、幕末から明治になり、日本が近代化へとスイッチする際の思想的基盤ができていたのではないかと私は思っています。福沢諭吉が『フリーダム』を『自由』と訳したというエピソードはよく知られていますが、順番としては青陵の思想があったうえでの、福沢諭吉の『自由』なんです。ただ、“結局何をした人なの?”と言われると答えづらいんですよね。生きている間にこんなすごい成果を上げました、と分かりやすく語れない。そうではなくて、いろいろな人を巻き込みながら“これをやったら面白くない?”とヒントを与えるようなことをしていた。言ってみれば青陵は種を蒔いた人であって、実を収穫したのはのちの時代の人なんです」
海保青陵によって、人々の心に「自由」の種が蒔かれた。その感触を表現するために、彼と会った側、影響を受けた側の視点が採用されたのだ。
「江戸という時代は、武士をトップに置いて下の人間は上の階級には逆らわない、目上の人や年上の言うことをきくというピラミッド型の世界です。現状を維持し“変わらない”ということに関しては、儒教はぴったりで、強固なシステムが作られていたんです。そんな時代に、こんなにも自由な人がいた。しかも、虐げられて苦しくて耐え忍んで……という感じではなくて、もちろん挫折や葛藤はいろいろあったけれども、彼は楽しそうに生きていたんですよ、すっごく。その生涯に触れることで、自分も今よりちょっとだけ自由に生きてみようかな、と思っていただけたら嬉しいですね」
取材・文:吉田大助 写真:冨永智子
ながい・さやこ●1977年、神奈川県出身。慶應義塾大学文学部卒。2010年、「絡繰り心中」で第11回小学館文庫小説賞を受賞し、デビュー。20年刊行の『商う狼 江戸商人 杉本茂十郎』で第40回新田次郎文学賞、第10回本屋が選ぶ時代小説大賞、第3回細谷正充賞、23年『木挽町のあだ討ち』で第36回山本周五郎賞、第169回直木賞を受賞。他の著書に『女人入眼』『とわの文様』などがある。

『青青といく』(永井紗耶子/KADOKAWA) 2090円(税込)
京都の職人のもとに生まれた弥兵衛は、当代きっての儒学者で経世家である海保青陵に弟子入りするも、間もなく師を亡くしてしまう。最後の弟子となった弥兵衛は「遺灰は空に撒け」という師の遺言を胸に、兄弟子・暁鐘成とともに各地に点在する青陵ゆかりの人々を訪ね歩く。江戸の実弟、変わり者の絵師、川越の商人、秩父の家老、金沢の隠居、そして京。青陵に人生を変えられた者たちが語り出したこととは──。
