村上龍「こんな小説を書いたのははじめて、もう二度と書けない」飼い猫が話しかけてくる場面から始まる私小説的幻想小説【書評】
公開日:2026/3/22

『限りなく透明に近いブルー』でデビューし、『コインロッカー・ベイビーズ』や『イン ザ・ミソスープ』など、挑発的な作品を数多く生み出してきた鬼才・村上龍。2026年はそのデビュー50周年にあたる記念すべき年である。
そんな今年、村上龍作品を有名どころを読むだけで終わらせるのは惜しい。あわせて読んでおきたいのが『MISSING 失われているもの』(村上龍/新潮文庫)。2020年に単行本、2022年に文庫版が刊行されたこの本は、村上龍が自ら「こんな小説を書いたのははじめて」「二度と書けないだろう」とまで語る1冊。ここには他の村上龍作品にあるような暴力性はない。綴られているのは、村上龍という作家の内奥に迫るかのような幻想的な物語だ。

この本を電子版で読み始めた読者は、ページをめくり始めた瞬間から驚かされるに違いない。村上龍電子本製作所が制作した電子書籍版は、横書きで組まれている上に、ページの合間にたくさんの写真が挿入されている。本作は元々村上自身が主宰するメールマガジン「JMM」に連載していたものであるが、電子版ではメルマガ掲載時と同様に、村上龍自身が撮影・加工したという写真が掲載されているのだ。村上龍がどんな世界を思い描いたのかを、文章だけではなく、写真でも楽しむことができるのは面白い。ページをめくればめくるほど、読者は奇妙な世界にいざなわれていく。
まず目を奪うのは、猫の写真だ。
「あの女を捜すんだ」
物語は、ある日突然、飼い猫が話しかけてくる場面から始まる。主人公である小説家は、数年前から体力の衰えとともに漠然とした不安を覚えるようになり、心療内科に通ってはいるが、猫が喋ったという事実をそのまま受け入れるほど追い詰められているわけでもない。小説家は、猫の言葉は小説家自身の考えていることを「リフレクト」しているだけに過ぎず、無意識が表現されているだけにすぎないと、冷静に判断した。そして猫の話を聞いているうちに、ふと、小説家は、猫が「捜せ」と言っているのは、若き女優・真理子のことではないかと思い至り、彼女に連絡を取る。だが、3年ぶりに会った彼女はどうもおかしい。不意に目の前に現れる光の束。どんどん失われていく現実感。閉店したはずの店。真理子とともに、存在しないはずの駅から過去に向かう電車に乗り込むと、やがて母の声が聞こえてきた。
シェパードの子犬。日曜日の図書室。画家だった父親のアトリエ。中学生の時の作文……。これは私小説と呼んでいいのだろうか。小説家は母親の声に導かれるように、どんどん自らの意識の奥深くへと入っていくが、夢か現実か曖昧な世界を彷徨う小説家の姿とその記憶に、私たちは村上龍自身を重ねずにはいられない。「場所や時間、それに記憶、混在しているファクターが絡まり合い、ねじれている」——そんな世界をたゆたえば、私たちは、ときには不安定さにめまいを感じ、ときにはうっとりとするような心地よさを覚える。
「わたしは、充分に歳を重ね、さまざまなものを失いながら日々を過ごしている」
「ミッシング。まさにそれだ。お前が、探そうとしているのは、ミッシングそのものなんだ。何かが失われている。ある世界から? お前から? おそらく両方だろう」
村上龍を「暴力と性の作家」として捉えているのならば、その認識は改めるべきだろう。ここには、全く別の凄みがある。村上は本作を執筆しながら、「小説っていったい何なんだろう」ということを考えたのだというが、私たちもまた、読み進めるうちに同じ問いを抱く。小説の不思議さを、創作の神秘性を、この本は体感させてくれる。
本作は、どこまでも哲学的で、そのすべてを完璧に理解しきるのは難しい。だが読み終えたとき、社会や時代を切り裂いてきた鬼才の深層、その奥にある、記憶と創作の原点に触れた気がした。村上龍という作家を、今までよりももっと知ることができた気がした。彼は何を抱えて作品を書いてきたのか。その秘密が詰まったこの本を、デビュー50周年の今こそ、ぜひ。
文=アサトーミナミ

