『わすれていいから』の作者・大森裕子が新たに描くのは、思春期との対峙。多感な時期に自分自身と向き合える読書体験を【書評】

文芸・カルチャー

公開日:2026/2/18

せかいは すきで あふれてる
せかいは すきで あふれてる(大森裕子 / KADOKAWA)

 小さな頃、長靴で歩きながら、水たまりでバシャバシャと楽しそうに遊んでいた我が子。ところが、小学生になってからしばらく経つと、あんなに輝いていた雨の日がどんよりと沈んで見える――そんな時が、突然やってくるようです。

 大森裕子さんが描く新作絵本『せかいは すきで あふれてる』(KADOKAWA)の主人公もそう。主人公の男の子は、学校の教室で、外を眺めています。窓の外では、雨がザーザー。そんな風景を見ながら心の中で漏れたのは、「やなてんきだな」「さいきん、さいあく。きょうの てんきみたいな きもちが ずっと つづいてる」というつぶやきでした。

 教室の前のほうで先生が宿題を出している中、彼ひとりだけが“心ここに在らず”といった様子。「ここでは やらなきゃいけないこと ばっか。きらいなきもちが あふれてきて、なにもかもが いやになっちゃうんだ」と考える彼は、自分が自由じゃないことを嘆きます。教室の風景にはぐにゃぐにゃとした曲線が縦横無尽に描かれ、何もかもがイヤになっている彼の心模様を表しているようです。

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自分の気持ちが、自分でいちばんわからない

 彼は友だちと遊ぶ気にもならないようで、放課後にひとりで下校しながら「おれ、どうしちゃったんだよ。どうしたら いいの?」と自分自身に投げかけます。

 生まれて初めて経験する、アイデンティティの模索。子どもと大人の狭間で意識する、もうひとりの自分。そんな言葉が思い浮かぶような場面です。自分の中に生まれた正体のわからないモヤモヤとした気持ちに、深く動揺する彼は、その気持ちを学校のせいにしているようです。

不思議な体験を通じて彼が得た気づきとは…

 ここじゃないどこかに行きたいと感じた彼のもとにやってきたのは、飼い猫になりかわるという不思議な体験でした。好きな時に遊び、怒られても気にしない猫を見て、「おれも ねこに なりたいなぁ」と思っていた時の出来事。

 猫の低い目線から見た世界はいつもと全然違っていました。そんな世界の中を歩きながら、彼は、進級した時に階段を登るのがうれしかったことや、お絵描きが大変だったけど楽しかったこと、裏庭で夢中になって虫を探した時のことなどを思い出すのです。それらは、彼が毎日、自分のすぐ近くで感じていた小さな喜びの数々。好きなものや好きなことが自分の周りにたくさんあったことに気づいた彼は、少し大人に近づいたのかもしれません。

多感な時期に、自分自身と向き合える読書体験を

『わすれていいから』では、主人公と飼い猫がともに育ち、そして巣立っていく姿を猫目線で描き、「第17回MOE絵本屋さん大賞2024」の2位を受賞した大森裕子さん。本作では、自立心が芽生えはじめた少年の思春期との対峙を、同じく猫目線を取り入れながら描いています。

 かつて子どもだった私たちも、当時のナイーブな気持ちを思い出すかもしれません。彼の揺れる気持ちが手に取るようにわかり、救いの手を差し伸べたくなるかもしれません。けれども、彼に歩み寄るような第三者は、本書には登場しません。猫になるというファンタジックな設定を通じて、正体がわからないモヤモヤから抜け出すための手がかりを、自分自身で掴むのです。つまりそれは、思春期の我が子を前にしても、陰から見つめて伴走するしかない、親の存在を示しているようにも思えます。

 自分の存在すら持て余す多感な時期、読書に助けを求める子もいるかもしれません。そもそも、その気持ちを伝えるための言葉をまだ持たない子どもにとって、この頃は、近くにいる大人より、ふと手にした本から気づきを得ることもあるのではないでしょうか。

 本書には、主人公が忘れていた、身近にある“好きなこと”や“好きなもの”がたくさん描かれています。自分と重なるものが1つでも見つかり、それが、自分自身と向き合う糸口になることを願ってやみません。

文=吉田あき

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