寺地はるな「40代女性の主人公が足りない!」から生まれた連作短編集。仕事の成功、充実した恋愛だけが、女性の幸せではない【最新作『雨が降ったら』インタビュー】

文芸・カルチャー

更新日:2026/6/17

雨が降ったら
雨が降ったら寺地はるな/ポプラ社)

 仕事や子育ての悩み、更年期にともなう体の変化──女性の40代はなにかと厄介ごとが多い。寺地はるなさんの新刊『雨が降ったら』(ポプラ社)は、そんな40代女性たちを主人公にした連作短編集だ。境遇は違えど、自分なりの楽しみを見つけて生きる5人の女性たちの姿を見ていると、これからの人生にささやかな希望を見出せるはず。本書に込めた思いについて、寺地さんにうかがった。

40代女性の幸せは、仕事での成功や充実した恋愛だけではない

写真:吉澤健太
写真:吉澤健太

――『雨が降ったら』は、ポプラ社『季刊アスタ』の連載をまとめた一冊です。どのような依頼があり、この作品が生まれたのでしょうか。

寺地はるなさん(以下、寺地):担当編集者と「40代女性の主人公が足りない」という話をしたんです。女性の40代は、いろいろなことが変わり始める時期ですよね。体も変化するし、立場も変わるし、親の介護など新たに発生する問題もあります。ひと口に40代と言ってもいろいろな人がいます。その割に10代、20代、30代に比べて、40代が主人公の物語は少ないのでは、と。

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――確かに、結婚しているか独身か、子どもがいるかいないか、仕事をしているかなど、人それぞれですよね。

寺地:同世代の友人たちと集まっても「いろいろ違うね」という話になりますし、その違いが面白いんじゃないかと思いました。

 この小説でも「これが正解です」と提示するのではなく、その“いろいろ”を全部書いたほうが楽しい気がして。「それなら、連作短編にするしかないですね」という話になりました。

 ただ、連作短編となると全編を貫く軸が必要です。舞台やモチーフなど、何かひとつ共通するものが欲しい。そこで、打ち合わせでは長い時間をかけていろいろなアイデアを出したのですが、なかなか決まらなくて。その日はちょうど雨が降っていたので、終わり際に「そうだ、傘はどうですか?」と苦し紛れに言ったんです。でも、苦し紛れにしてはいいアイデアだなと思って。傘には雨傘だけでなく日傘もあるし、さしてもいいし、ささなくてもいい。いろいろなことが表現できるモチーフなので、この案を採用しました。

――作中では、親子が営む「わかば洋傘店」を軸に、5人の40代女性たちの物語が描かれます。全体を通して、どのような作品にしようと思いましたか?

寺地:先ほど「40代の主人公が足りない」と言いましたが、40代女性でも仕事で成功している主人公はけっこういます。きれいな40代女性が、年下の男の子と恋愛する小説もありますよね。それを否定するわけではないけれど、仕事での成功や充実した恋愛だけではない楽しさや幸せもたくさんあると思って。“小さな幸せ”というと陳腐になりますが、それぞれに幸せがあり、それは多種多様であっていい。年を取ることをネガティブに表現するのではなく、楽しく生きている人の話を書きたいと思いました。

――寺地さん自身は、40代になってどういった変化がありましたか?

寺地:いい意味で、「これ以上無理したらいけないな」という限界がわかるようになりました。できないことも増えていきますが、経験値は積みあがっていくので「ここでこれを言っておかないと、夜眠れなくなるな」ということがわかる。若い頃は、失礼なことを言われてもとっさに反応できなくて、3日くらい経って「あれ?」と思い、その後しばらく悩んでしまうこともありました。でも、今は失礼なことを言われる経験値も溜まっているので、「これは」と思ったら反応できるようになりましたね。反射神経は良くないのでズバッと言い返すことはできませんが、後になって自分が納得できないような反応だけはしないですむようになってきたかな、と。小さいことですが、日々納得できないことが積み重なっていくとしんどいので、そういう意味ではラクになった気がします。

 他人にも自分にも、あまり期待しなくなったのかもしれません。「どうしてこういう風にできなかったんだろう」と思うのは、自分への期待が高いから。そういう風にできない人間だと理解したことで、たとえ100点の対応ではなくても「上出来じゃない?」と思えるようになりました。

ひとりを楽しむ人から母を亡くしたばかりの人まで。それぞれの道を生きる5人の女性たち

――『雨が降ったら』には、さまざまな立場の40代女性が5人登場します。1話に登場するのは、夫に離婚を切り出されてひとり暮らしを始めた初佳さん。将来に不安がないわけではありませんが、自由を手に入れ、好きなものに囲まれ、好きなものを食べて幸せに暮らしている女性です。

寺地:小さい趣味を楽しんでいる人を描きたかったんです。彼女は、服を買った時についてくる予備のボタンを布に縫い付けて、ボタンの標本をつくって楽しむような人。そこが一番大事だと思ったんです。みんなが憧れるようなものを手にしていなくても、幸せな人もいる。それもひとつの生き方として描いてもいいのではないかと思いました。

――ひとり暮らしを始めた初佳さんのもとに、20代の娘が遊びにくるシーンも印象的でした。どうやら失恋したらしいけれど、深く踏み込まず温かく見守っている、その適度な距離感が素敵です。

寺地:私も素敵だなと思いながら書きました(笑)。こうなれたらいいね、と。「自分の子どもが大人になった時、どう付き合うだろうか」と、周りの人からも話を聞きつつ、想像を膨らませていきました。

――続く2話の主人公は、独身の杏子さん。ひとりでテーマパークに行ったり、「わかば洋傘店」の息子とおいしいものを食べに行ったり、日々を楽しんでいます。ですが、そんな彼女のもとに絶妙にムカつく昔の恋人がやってきます。

寺地:ひとりで生きていると、怖い目に遭うことも当然あるはずです。そこも書く意味があると思いました。あと、シンプルに「別れた相手ってこれくらいキモいんやぞ」ということを書きたい気持ちもありました(笑)。

――人にもよりますが、女性よりも男性のほうが過去の恋愛を引きずる人が多い印象があります。

寺地:過去の恋愛をエモーショナルに彩って、記憶の箱に入れる人、いますよね。それも文学のモチーフになり得るものですが、私はそうは書きませんよ、と(笑)。

――ひとりで生きる人が直面する困難を描きつつ、誰かの力を借りることの大切さにも言及しています。

寺地:人の手を借りることは、自立していないことではありません。そういうことも書きました。

――3話のみつほさんも独身で、家庭を持つ妹からは憐れまれている節があります。それでも、彼女には小さな幸せがある。寺地さんは、みつほさんをどんな人だと捉えていますか?

寺地:前のふたりとは違う、内向的な女性です。あとは“推し”とは違う、“淡い好き”を書いてみたいと思いました。私は推しという感覚が、あまりわからないたちです。それでも、何かを見て「素敵だな」「もっと見たい」「応援したい」という気持ちはちゃんとあります。単に“推し”という言葉がしっくりきてないだけなのかもしれません。そこで、生きがいとはいかないくらいの、淡い気持ちを書きました。

 今、推し活をする人が多いですが、推しがいない自分に寂しさや物足りなさを感じる人も少なくないと聞きます。性格的なものもあるでしょうし、どちらがいいという話でもないと思うんですよね。

――4話の苑美さんには中2と小6の息子がいて、育児と家事に追われています。ですが、友人の仕事を手伝った際、見事な手腕を発揮します。この人はどういう存在として描きましたか?

寺地:ここまではひとりで生きている人を書いてきたので、ひとりくらい家族がいる人を登場させようと思いました。かといって、「子どもがいて楽しい、幸せ」という人は別に書かなくていいだろうと思ったんですね。

 私の子どもの同級生のお母さんたちは、大体みなさん仕事をしています。でも、あくまで私の知る範囲ですが、正社員は少なく、パートタイムで働いている方がほとんどです。出産を機に仕事を辞めて、その後再就職しようとしてもなかなか難しく、とりあえずパートを始めてそのまま今に至る。そういう仕事を、履歴書に職歴として書いていいんだろうかと迷っている方もいました。私はまったく問題ないと思いましたが、世間はそうではないのかと思ったんですよね。

 女性は出産によってキャリアが断たれるといいますが、正社員ではない働き方をしている人、名刺のない職業に就いている人はたくさんいます。それがキャリアにカウントされないことに、違和感がありました。企業に勤めていなかったとしても、子育てやPTAの仕事、町内の自治会の仕事を通していろいろな経験を積んでいるはず。会社外で形成されるキャリアはたくさんあるのだから、それも含めて評価されたらいいなと思って。

――お子さんがいる40代女性は、総じてコミュニケーション能力や調整力が高いですよね。

寺地:学生時代、気の合わない人とも同じ教室で一緒にやっていかなければなりませんでしたよね。学校に通う子どもを持つ親は、それと似たような環境に無理やり放り込まれるからかもしれません。

 以前、子ども会の役員を務めたことがあるのですが、夏祭りの準備などで皆さんテキパキ働いていたり、自治会長にうまいこと話をつけたりしているのを見て、すごいなと思っていました。私は会社勤めを辞めてからひとりで仕事をしているので、嫌だなと思う人とは付き合わずにすんでいます。自分自身はそういう能力が落ちている分、子どもの同級生のお母さんを見てシンプルに尊敬の念を抱きました。この章は、そういう思いが自然とにじみ出たような気がします。

――最後は、母親を亡くしたばかりの美禰子さんのエピソードです。母と娘の関係が描かれていますが、どのような思いを込めて書いたのでしょう。

寺地:書きたかったのは、いわゆる“毒親”ではない親との関係です。問題のある親ならもっと違うドラマになりますが、好きだったお母さん、仲の良かったお母さんだからこその難しさもきっとあるはず。大きな問題がないので、物語になりにくい関係ですが、そこを書いてみたいと思いました。自分が書くべきとまでは言わないですけど、「わたくしこそが書きましょう」みたいな気持ちでした(笑)。

――毒親ではない分、「親のことを悪く思ってしまう自分はひどい娘だ」と思ってしまう。その気持ちに共感する読者も多いのではないかと思いました。

寺地:100%ひどかったら全力で憎めますが、総合するといいところのほうが多い親には不満を言いづらいですよね。いつまでも、こちらが甘えているみたいじゃないですか。でも、たいていの親はいいところと悪いところがトントンくらい。だからこそ、しんどいのだと思います。

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