正義感を振りかざして人を断罪する現代へ。直木賞候補作家・岩井圭也が「がん研究の不正」を通して描く、本当の正しさとは?【書評】

文芸・カルチャー

PR 公開日:2026/7/6

風車と巨人
風車と巨人(岩井圭也 / 集英社)

 ネットの世界ではよく炎上事件がおこる。明らかな犯罪行為は仕方ないとしても、気になるのは見解がわかれるような微妙な事柄に対しても、やたら「正義感」を振りかざす人たちが大量発生して炎上するケース。発言者の言い分は考慮されず、己の「正義」を信じる人の断罪パワーであいまいな事象の正誤が決してしまうこともある。

 直木賞候補作となった『われは熊楠』など次々と話題作を刊行し続ける気鋭の作家・岩井圭也さんの新刊『風車と巨人』(集英社)は、そんな現代の「正義」のあり方をめぐる相剋を描く骨太な物語。物語の中心となるのはネットの炎上どころではなく、がん研究の最前線における「ある新発見の正誤」という人類の未来を左右するかもしれない大きな問題だ。

 主人公はTV局の下請けである制作会社で報道系の取材を手掛ける三田紗矢子。彼女は母が乳がんになった経験から、がんにも打ち勝つ「不老因子」の発見で脚光を浴びる気鋭のがん研究者・嘉山宗弘教授に注目する。人気ドキュメンタリー番組『十一時の肖像』で嘉山教授への密着取材企画が通った三田は勇んで取材にのぞむが、いざ撮影を始めてみるとあらかじめ準備されすぎている気配に違和感を覚える。さらに取材目的で同行した学会では、ある医師から嘉山教授が研究データの不正を疑われる姿を目撃してしまう。万が一、不正だとしたら番組企画はボツになる……。三田は密かに不正疑惑を晴らそうと、独自取材に乗り出すことに。

 タイトルの「風車と巨人」はスペインの作家・セルバンテスの『ドン・キホーテ』の一節、自分を騎士だと思い込んでいるドン・キホーテが風車を巨人と勘違いして突進するくだりに由来する。「あれは風車だ」と説かれても「魔法使いが巨人を風車に変えたのだ」と強弁し、あくまでも自分が間違っていることを認めないドン・キホーテ。実は嘉山教授自身も疑惑はかねてより認識しており、そのたびに明確に否定してきたのだ。疑惑は調査済みとして否定する大学、消えた修了論文、何かを隠しているような研究室…食い違う現実はいやでも疑惑に真実味を与え、三田の中では嘉山教授の姿がドン・キホーテに重なっていく。

 締切に追われ重度のカフェイン依存で心身をすり減らしながらも、それでもしつこく疑惑に喰らいつく三田。物語は彼女の視点で語られるため、極めてグレーな状況を決定づける不正の証拠さがしは実にスリリングだ。そんな彼女の奮闘は圧倒的に「正義」の立場にも思えるが、その裏にはなんともいえないどろっとしたエゴが時折見え隠れ。客観的にみれば彼女の行動も、実は映像という武器を使って正誤を主張しようとするものであり、そこには一方的で独善的な思い込みがないわけではない。己の正しさに固執して次第にバランスを欠いていく彼女の姿もまた、どこかドン・キホーテにつながるかもしれない。

 本質的な対話なき時代に、本当の正しさはどこにあるのか。どう捉えるのか。本書のラストには驚きの展開が待っている。

文=荒井理恵

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