特殊清掃員のリアルを追体験するような小説。たとえゴミになろうと、人が生きていた痕跡から見えてくるものとは【書評】
PR 公開日:2026/8/19

「人間も、死んだら溶けるんだなぁ」――注目の新人作家・朝宮夕さんの新刊『海月の骨』(講談社)は、ちょっと間延びしたなかなか怖いセリフで始まる。
舞台は生ぬるい空気と鼻を抉るような臭気で満たされた、薄暗い1Kの部屋。ここは50代男性が孤独死し、1ヶ月半経って発見された現場であり、この言葉を発したのは葬祭関係の会社で孤独死や自殺、事件現場となった家の特殊清掃や遺品清掃を担う「特殊遺品整理課」(通称・特課)のスタッフ・鳴海。同課の新入り、主人公の水生悠浬と、部屋の真ん中にできた遺体が溶け出してできた「黒い水たまり」を片付けながら思わず漏れ出た一言だ。重苦しい言葉しか出ないような陰惨な現場を淡々と片付ける彼らの、どこか乾いた明るさがいきなり心に刺さる。
油断するとどうにかなってしまいそうな現場で、教育担当でもある鳴海の不可思議な明るさが力となり、悠浬は淡々と現場での処し方を覚えていく。3DKの平屋をあらゆる紙で埋め尽くして餓死し、2週間後に発見された60代男性、家族が同居する中で引きこもり3日発見されなかった50代男性、明日もいつものように過ごすつもりで突然死し、1週間後にお風呂で発見された60代の女性……物語には多数の「孤独死」が描かれる。そのすさまじさは決して誇張ではなく、現代の日本のリアルな一断面。現場の強烈な匂いまでまとわりつくようだが、常にどこかカラリと描かれている。それは「誰か」が体験するリアルな実感なのかもしれないし、精神を守る上でもそうする必要があるのかもしれない。
実は悠浬は、家によりつかない母の代わりに腹違いの二人の弟の面倒を見続けてきたヤングケアラーだ。大家のおばあちゃんだけを理解者に、弟たちとの暮らしを守ろうと必死に生き抜き、ようやく就職して金銭的に安定したのが今の状態で、社会経験も少なければ(たとえば「海」に行ったことがなかった)、モノも持っていない。だから現場で、遺体の体液が染み込んだ布団やマットレスだけでなく、さまざまな暮らしや思い出の断片がまるごと「ゴミ」になっていく不条理に、心を閉ざしていたつもりがついモヤモヤを抱えてしまう。お金がなくギリギリで生きてきたから、お金がゴミと一緒に発見されて大事に扱われない様子にも、彼は強い憤りを感じてしまう。
だが、そんな悠浬も次第に他のメンバーが「なぜ、この仕事を続けているのか」を知ることで少しずつ変わっていく。達観して生と死を見つめなければいけないギリギリの現場だからこそ、先輩たちのやり方に触発され、「この人の人生がココにあった」ことの強度に自分なりに感応していくのだ。
著者の朝宮夕さんは、第19回小説現代長編新人賞を受賞した『アフターブルー』でデビュー。前作は事故や自殺などで状態の良くない遺体を復元する納棺師たちを描いたが、今回は同じ会社の別部署の特課を描いた。タイトルの『海月の骨』は、清少納言にもちなむ「非常にめずらしいこと/絶対にありえないこと」のたとえだが、長く心を閉ざしていた悠浬が発見した、「人に対する信頼」のようなものがそうなのかもしれないとも思う。
人の人生に残らないものなんてない。たとえゴミになろうとも「生きていた」のは確実なこと――悠浬や鳴海が教えてくれるシンプルな事実に、あらためて自分の人生について考える人もいることだろう。
文=荒井理恵
