自分のハッシュタグを3つ持つ。複数の顔を持つ生き方──田村淳(ロンドンブーツ1号2号)×小説家・五十嵐律人対談

文芸・カルチャー

公開日:2022/7/25

五十嵐律人、田村淳

 現役弁護士であり、小説家として活躍する五十嵐律人さん。2020年、『法廷遊戯』で第62回メフィスト賞を受賞しデビューして以来、法律知識を生かしたリーガルミステリーで、人気を広げ続けている。

 そんな五十嵐さんの新作『幻告』(講談社)は、リーガルミステリーとタイムスリップを融合した作品。法廷劇として、タイムリープSFとして、親子の人間ドラマとして楽しめる、五十嵐さんの新境地を拓いた一作に仕上がっている。

『幻告』の刊行に合わせ、五十嵐さんと各界著名人の対談企画がスタート。新刊の話はもちろん、仕事に向き合う姿勢、生き方、ミステリーの醍醐味など、さまざまなテーマでトークを繰り広げていただこう。記念すべき第1回は、田村淳(ロンドンブーツ1号2号)さんが登場! 複数の顔を持つおふたりの生き方、法律を知ることの重要性など、縦横に語り合っていただいた。

(取材・文=野本由起 撮影=川口宗道)

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いろんなことに手を出すほうが、自分の人生が豊かに感じられる(淳)

──淳さんはタレントだけでなく、会社経営者、作家、ミュージシャンなど、幅広い活動をされています。一方、五十嵐さんは弁護士、作家として活躍されています。最近は副業をする方も増えていますが、おふたりはふたつ以上の顔を持つ生き方にどのような魅力やメリットを感じていますか?

田村淳さん(以下、淳):僕はやりたいことをやりたいようにやっているだけで、メリット・デメリットを考えながら生きていないんです。小さい頃は「やりたいことをひとつに絞れ」論の大人がたくさんいて苦しかったですけど、僕はいろんなことに手を出すほうが自分の人生が豊かに感じられるタイプ。ひとつの道を突き詰める職人的な生き方もすごいなと思いますけど、僕はそっちの生き方が合わないんですよね。やりたいことをやったほうが楽だし、自分に合った生き方を模索している感じです。

五十嵐律人さん(以下、五十嵐):僕は、作家としても弁護士としてもまだ2年目です。おそらく作家専業もしくは弁護士専業だったら、駆け出しの自分が淳さんとお会いする機会には恵まれなかったでしょう。今この場にいられるのも、作家と弁護士というふたつの組み合わせがあってこそ。仕事には組み合わせの相性、親和性がありますが、可能性を広げられるという点ではいろいろな仕事をやってきて良かったなと思っています。

 ただ、それも性格によると思います。僕は熱しやすく冷めやすいところがあるので、ひとつのことを突き詰めるより、いろいろなことに挑戦するほうが向いていたんでしょうね。

──五十嵐さんは、作家と弁護士、どちらを先に目指したのでしょう。

五十嵐:ほぼ同時でした。もともと法律が好きで勉強していたのですが、もっと法律の面白さを伝えるために、小説に挑戦してみようと思いました。法律って、学んでみると思いのほか理系寄りの学問だったんですよね。ロジックを突き詰めていくところが、自分に向いているなと思いました。

 それに、法律は自分の価値基準になり得るものです。例えば、あるニュースに対して自分が賛成なのか反対なのか態度を決める時に、自分の中に軸があるといいなと思っていて。その点、法律は解釈がブレないんですね。解釈に幅があるものもありますが、基本的にはひとつの条文からひとつの答えを導き出せます。法律は、自分の軸、拠りどころになるものだと思っています。

──淳さんは、どのようなモチベーションで活動を広げていかれたのでしょう。

:ベースにあるのは、人前に立って表現するってことです。吉本興業に入って、芸人さんという道を通ればテレビに出られる。テレビに出ると、影響力を持てる。影響力を持ったら、また違うことに転換できる。最初はテレビに出ることがゴールでしたけど、目指している途中に次にやりたいことが生まれてきて。日本人って一度ゴールを決めたらそこだけを目指す人が多いですけど、僕は生きている間にゴールが変わってもいいし、ゴールを目指す方法が変わってもいいって思うタイプ。母ちゃんからも「固定観念に囚われるな」って言われていたので、常にいろんなものに対して疑いは持つようにしてますね。

必要な時に弁護士に頼れる環境があればいい(五十嵐)

田村淳

──淳さんは、弁護士の方とラジオ番組で共演されています。法律に興味はありますか?

:あります。法律って絶対的に強いんですよね。でも、僕がそれ以上に興味を抱いたのは法哲学。母ちゃんの癌をきっかけに尊厳死について考えるようになって、法哲学に興味を持ち始めたんです。それで、青山学院大学の住吉(雅美)教授のゼミに入りたいと思うようになりました。法哲学って、「自殺は本当にいけないことなのか」「臓器売買はなぜいけないのか」といったテーマで議論するんですよね。答えのない問いを立てるところ、議論の過程そのものが答えだというところが、面白そうだなと思って。だから、五十嵐先生とは全然違いますよね。先生は、法律の白黒はっきりつくところが好きだから。

五十嵐:そうですね。でも、確かに法哲学も面白いんですよね。例えば、ある人が自殺をしたとしても罪に問えませんが、そこに第三者が関わると自殺ほう助にあたります。法律解釈論だとそういう答えになりますが、法哲学ではそれを哲学的に考えていくんですよね。法律の解釈と哲学をミックスしたのが、法哲学ではないでしょうか。

──先ほど淳さんは、「法律には絶対的な強さがある」とおっしゃっていました。なぜそう思ったのでしょうか。

:人生に疑問を持った時、最終的に何で解決するのかと言えば法律じゃないですか。めっちゃ強いですよね。例えば、庭に隣の家の木が伸びてきた時に、それを切っていいかどうかって問題があります。感情論で言うと、「うちの敷地に入ってきてるから切っていいのかな」と思うけど、法律的には勝手に切っちゃダメ。それを知っているか否かって、大きいじゃないですか。法律を知っていれば生き方も変わるので、もっと小さい頃から学んでいればよかったなと思いますね。

 吉本(興業)がギャラを可視化しないのも、法律を知っていればもっと詰められるんですよね(笑)。労働基準監督署に行けばいい、公正取引委員会に行けばいいってわかると、何をすればいいかわかるのでジャッジが早くなるじゃないですか。

五十嵐:僕は、個々が法律の知識を持つのと同時に、弁護士に相談することも大事だと思うんです。今はネットで調べると法律に関する知識が出てきて、それを信じてしまうんですよね。病気にかかった人が病院に行くのと同じように、何か問題が起きたら弁護士に相談するという選択肢を持っていたほうがいいのかなと思います。

:確かにそう。今ロンドンブーツ1号2号って、3号以降もどんどん増やしているんですけど、弁護士をふたりくらい入れようと思ってて。メンバーの中にリーガルチェックできる人がいると強いじゃないですか。

五十嵐:ちなみに吉本興業には、所属タレントが相談できる弁護士はいるのでしょうか。

:いるんですけど、会社の弁護士なので会社を守る立場なんですよね。タレントと会社って乖離があって。会社ありきでタレントを守るのと、直にタレントを守るというのは全然違うと思ってます。この辺の感覚を持ってる僕みたいなタレントは、吉本にとっては扱いづらいでしょうね(笑)。

五十嵐:でも、大切な視点だと思います。例えば学校で子どもがいじめにあった時、相談できる弁護士が学校にいたらいいなと思うんですけど、そういう場合、大抵は学校側の弁護士なんですね。ですから、いじめが起きたとしても必ずしも子どもの味方になることができないところがあって。個人の味方になってくれる弁護士は絶対必要だと思います。

 今は、会社を訴える人も辞めたあとに訴訟を起こす人がほとんど。でも、必要としている時に弁護士が手を差し伸べられる環境があればいいと思うんです。「それなら法廷で争おう」と思うか、「この人と関係を維持したいから我慢しよう」と思うかは、その人の選択。選択肢が広がることが重要ですし、「弁護士に相談するのは恥ずかしいことではない」「時には、事を荒立てることも必要だ」という教育も必要なのかなと思います。

過去の判決が間違っていた時、もしタイムスリップが使えたら……(五十嵐)

──五十嵐さんの新刊『幻告』についてのお話もうかがいます。こちらは、どんな作品なのでしょうか。

五十嵐:法律の面白さを伝えるために、僕はこれまで法律と何かを掛け合わせた「法律×○○」のミステリーを書いてきました。『幻告』は、法律とタイムスリップを組み合わせ、「タイムスリップを使って過去の冤罪事件をどのように解決していくのか」という小説です。法律は現実の塊ですが、タイムスリップはその対極に位置する非現実的な技術です。そのふたつを組み合わせたらどうなるんだろうと思いましたが、実際書いてみたら思いのほか現実性が増しました。

 というのも、裁判官って自分がどういう思いで判決を下したのか発表する場がないんですね。しかも、過去に書いた判決がもし間違っていたとしても、裁判官は自分の間違いを正すことができません。再審制度はあっても、申し出ることができるのは有罪の宣告を受けた人や検察官などに限られています。

:裁判官からは申し出ることができないんですね。

五十嵐:でも、後になって「あの判決は間違っていた」と気づくこともあるかもしれない。そんな時、もしタイムスリップが使えたら、裁判官はどう動くだろうと思いました。そういう「IF」を描いてみたかったんです。

:面白いアイデアですよね。

五十嵐:僕は3年ほど裁判所で働いていたので、裁判官や裁判所の内情を書きたいという思いもありました。死刑や無期懲役の判決を下すこともあるせいか、裁判官は霞を食って生きているようなイメージを抱かれています。でも、当たり前ですが、実際に話してみると普通の人なんですよね。

常に疑いの目を持たないと、メディアに飲み込まれてしまう(淳)

田村淳

:僕は、冤罪を取り扱う番組(『0.1%の奇跡!逆転無罪ミステリー』)をやっていた中で、検察の強引なやり方に悩んで裁判官を辞めるっていう人がいたんです。今のお話を聞いて、そりゃそうだよなと思いました。「これはおかしい」と思っても、ゴールありきの証拠を提示され、無実を証明できないまま、裁判は日程に沿って進んでいく。そりゃ裁判官は悩みますよね。

五十嵐:冤罪の定義は、無実の人に対して有罪判決を下してしまうことです。誰しも「そんなのダメだ」と思っていますが、それでも冤罪をなくすことはできません。その理由の根源にあるのが、有罪率99.9%という数字だと思います。有罪率99.9%ということは、無罪判決になるのは1000件に1件。刑事事件を扱う裁判官の中には、退官するまでに一度も無罪判決を書かない人もいます。0.1%がまさか自分に回ってくるとは思わず、ちょっと怪しいなと思っても、無罪判決を書けない裁判官もいるかもしれません。

:なるほど。数字に囚われちゃうんですね。

五十嵐:裁判官だけでなく、検察官も弁護人も同じです。さらに、有罪率99.9%という数字があることで、マスコミも有罪前提で報道します。かといって、有罪率を引き下げるために、有罪の人に無罪判決を出すのはダメですよね。無罪となる0.1%を自分事として考えられればいいのですが、それもなかなか難しくて。そういうジレンマがあるのは確かだと思います。

:ワイドショーも「この人、怪しい」と思ったら、こぞって犯人かのように報道するじゃないですか。僕は「判決が出ていない以上、そういう扱いをしたくない」ってずっと言っているんですけど、ディレクターからすると「欲しいコメントをしねぇやつだな」となってしまう。その空気が怖いなと思いますね。

 そういうメディアのミスリードに気づき始めると、自分がメディア側にいることが苦しいんですけど、でもそこにいないと何も言えない。自分の中でバランスを取りつつ、平均台から落ちないように歩いてます。

──どのようにしてバランスを取っているのでしょう。

:常に疑うってことですね。そういう目を持たないと、メディアに飲み込まれちゃうなって。僕が発信する時も、「僕の言うことがすべて正しいわけじゃないと思ってくださいね」と補足しています。

五十嵐:淳さんはTwitterなどでも、そういうご意見を発信されていますよね。自分は何か発言することに臆してしまうところがあるのですが、怖さはありませんか?

:怖さはあまりないですね。「こんなことを言ったらどういう反応があるんだろう」「怒る人、いるのかな」って反応を見たいんです。例えば、選択的夫婦別姓について、僕は賛成の立場。で、Twitterでアンケートを取ってみると、最初は賛成派が多いんですけど、16時間後になると反対派の意見がバッと伸びてくるんです。アンチのパワーってすごくて、「淳がこんなアンケートを取ってる」となったら16時間後にやってくる。それはそれで、僕はアンケート結果をそのまま報じますけど。

 ただ、これが「たけのこの里ときのこの山、どっちが好きですか」ってアンケートだとしたら、30分後に出た結果がずっと変わらないんですよね。開始早々から最後まで結果が変わらないものと、16時間後ぐらいから逆転し始めるっていうもの、この2種類があるのが面白いですよね。その辺も研究してみたいです。

──お話をうかがっていると、淳さんは「知りたい」という欲求がとても強いように感じます。

:それはありますね。受け身の情報ばかりだと、自分でジャッジできなくなりそうで怖くて。だから、積極的に情報を取りに行くようにしています。こうして五十嵐先生と話すのも、そうですよね。僕と先生は、異業種じゃないですか。だからこそ、お互いに知らないものを出し合って化学反応が起きるわけです。でも、芸能村は芸能村の中で、弁護士は弁護士とだけ話していたら、その村の話にしかならないと思うんです。僕の場合、芸能村の中に、自分に必要なものがあまりなかったタイプなんで。先生はどうですか?

五十嵐:そうですね。弁護士とだけ話していると、自分の考え方がどんどん狭くなっていくように感じます。いろいろな業種の発想を掛け合わせないと、新しいものは生まれませんよね。

:僕が芸能界の人と飲みに行かなくなったのも、それが理由ですね。異業種の人と話すと、「そんな視点、僕にはなかった」って思うことが多くて。より高い視座の意見を知ると僕はドキドキするので、できるだけ異業種でさまざまな年代の人と会うようにしています。オンラインサロンを開いたのも、そういう理由があります。

「#弁護士」と「#小説家」を組み合わせつつ、「#法教育」を3つ目に添えたい(五十嵐)

:僕、自分のハッシュタグをたくさん持つほうがいいなと思っているんです。先生は「#弁護士」「#小説家」を持っている稀な存在ですよね。しかも、「自分ってこうだ」っていうものが、もうひとつあるんじゃないかと思うんです。僕はそれが個性だと思っていて。昔は「ハッシュタグ1個で生きていくんだ」っていう考え方がよしとされましたけど、今は自分のハッシュタグを3つ持つことが重要だと思う。五十嵐先生の3つ目のハッシュタグは何だと思いますか?

五十嵐:僕は、若い世代に法律の面白さを伝えたいという思いが強いんですね。そう考えると、「#法教育」でしょうか。「#弁護士」「#小説家」を組み合わせつつ、「#法教育」を3つ目に添えたいなと思います。

:そんな方、なかなかいません。唯一無二に近づいてますね。

五十嵐:淳さんはいかがでしょう。3つどころではないと思いますが。

:そう。でも、3つ以上あると薄まっちゃうんですよね。僕は3つのハッシュタグが重要だって気づいたのが遅かったので、ちょっとぼやけてるタイプ。でも、「#すぐ動く」「#人の話を聞くのがうまい」「#伝えるのがうまい」っていう3本柱はありますね。この3つのハッシュタグを持っている人は他にもいるので、あとはその中でどれくらいレベルが高いかでせめぎ合うしかないと思ってます。

──淳さんは、今後チャレンジしたいことはありますか?

:僕はもう48歳だし娘もいるので、どうすれば次の世代につないでいけるかということに興味を持っています。と言っても、具体的に何をすればいいかは決まってないんですが。多分、僕が政治家として選挙に出れば、今の知名度を使って当選する確率は高いと思うんですね。だけど、それってこの先の人たちのためにはならなそうだから、出ないんです。それよりも、次の世代の若い政治家が出てきやすいような場所や仕組みを作れたらいいなと思って。あと、僕自身の夢で言えば、ひとりで生きていきたくないのでコミュニティをちゃんと作っておきたい。家族や友達もそうだし、今はオンラインのコミュニティも楽しいので、そういったところに力を入れたいですね。先生は?

五十嵐:小説家も弁護士も2年目なので、どちらもまだ地盤は全然固まっていません。きっと「小説を書きながら弁護士をするなんてけしからん」と思う人もいるでしょう。ですから、まずはこれからも小説を書いていける環境を作りたくて。そのためにも、自分の書きたい小説を書き、ある程度認められることが大事。その後、法教育をミックスできることがあったらいいなと思っています。

:法教育が始まったら、僕も受けに行きます。

五十嵐:ありがとうございます。宣言してしまったので頑張ります(笑)。

五十嵐律人、田村淳

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