法律をわかっておくと、生きていくうえで有利──ロザン・宇治原史規×小説家・五十嵐律人対談

文芸・カルチャー

公開日:2022/9/2

ロザン・宇治原史規さん×小説家・五十嵐律人さん

 現役弁護士であり、小説家として活躍する五十嵐律人さん。2020年、『法廷遊戯』で第62回メフィスト賞を受賞しデビューして以来、法律知識を生かしたリーガルミステリーで、人気を広げ続けている。

 そんな五十嵐さんの新作『幻告』(講談社)は、リーガルミステリーとタイムスリップを融合した作品。法廷劇として、タイムリープSFとして、親子の人間ドラマとして楽しめる、五十嵐さんの新境地を拓いた一作に仕上がっている。

『幻告』の刊行に合わせ、五十嵐さんと各界著名人の対談企画がスタート。新刊の話はもちろん、仕事に向き合う姿勢、生き方、ミステリーの醍醐味など、さまざまなテーマでトークを繰り広げていただこう。最終回にあたる第5回は、お笑いコンビ・ロザンの宇治原史規さんが登場! ふたりとも法学部出身とあって法律トークに花が咲いたうえ、『幻告』についても深く語り合っていただいた。

(取材・文=野本由起 撮影=川口宗道)

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9年かけて京大法学部を卒業しました(宇治原)

──宇治原さんが京都大学に進学したのは、相方の菅さんから「京大に入ったら芸人になった時に売りになる」と言われたことがきっかけだそうです。数ある学部の中で、法学部を選んだのはなぜでしょう。

ロザン・宇治原史規さん(以下、宇治原):もともと文系の学部に進むことは決めていましたが、せっかくなら一番偏差値の高い学部を狙おうと(笑)。それで、法律にそこまで興味があったわけでもないのに、法学部に進学しました。五十嵐さんは、そもそも法律家を目指していたんですか?

五十嵐律人さん(以下、五十嵐):いえ、大学に入るまで法律に興味はありませんでした。僕は岩手県出身なのですが、成績が伸び始めた頃、先生から「東北大学を受けたらどうだ? 法学部なら潰しもきくし」とおすすめされたんです。当時は口喧嘩が好きな困った高校生だったのですが、友達を論破するたびに先生から「法学部に向いてるよ」と発破をかけられていました。今になって考えると、偏差値の高いところに進学させて、実績を作りたかったのかもしれません(笑)。

宇治原:ご著書を拝読しましたが、確かに口喧嘩が強そうですね(笑)。

五十嵐:登場人物の性格や会話に反映されてしまっているかもしれません。宇治原さんは、弁護士になろうとは思わなかったのでしょうか。

宇治原:「芸人になる」と決めてから大学に入ったので、弁護士になろうとは思いませんでした。ただ、大学生になったらすぐ芸人を始めようと思っていたのに、相方が一浪して(笑)。1年間は大学に通い、2年生の夏頃から吉本(興業)のオーディションを受け始めました。だから、大学自体はそんなに通っていないですね。当時の法学部って比較的自由度が高くなかったですか?

ロザン・宇治原史規さん

五十嵐:授業の出席も取らず、試験に受かればOKという感じでした。ゼミもなければ卒論もありませんでしたね。

宇治原:僕の頃は、授業にもよりますがゼミに出席してレポート提出したらおしまいでした。

──それは、司法試験に合格することを目標にしているからでしょうか。

宇治原:おそらくそうでしょうね。僕らの頃は、司法試験のために休学する人もたくさんいました。今は大学の制度が変わりましたが、当時はひと月単位で休学できたんです。だから、テストのある月だけ復学すれば、進級できてしまった。「授業に来んでもええよ」と大学側が言ってるようなものですから、むちゃくちゃですよね(笑)。

 僕の場合、この制度を使って9年かけて大学を卒業しました。4年生になった時、親から「就職しろ」と言われましたが、僕は芸人を続けるつもりだったので拒否したんですね。そうしたら「じゃあ、留年しろ」と言われて。要は、卒業してしまったら新卒として就職できないから、留年して大学に残れというわけです。その間に大阪で芸人の仕事が増えてきたので、結局就職はしませんでしたが、大学もなかなか卒業できなくて。8年目に単位を取りこぼした時は、「もう退学しかない」と諦めかけていました。でも、当時は休学していた月を合算して12カ月になったら、もう1年留年できるというシステムがあったんです。僕は休学を繰り返していたので、事務室で「あなた、あと15カ月いられるよ」と言われ、「え、そうなん!?」って(笑)。留年しながら司法試験を受けるために、そういうシステムがあったんでしょうね。

──おふたりとも、法学部に入るまで法律に興味がなかったわけですね。実際に学んでみて、どんな点に面白さを感じましたか?

宇治原:法律には、いろんな解釈があるというのが衝撃的でした。同じ事件を扱っているのに、違う判決が下されることもあるじゃないですか。それまでは、裁判の結果ってバチッと決まるもんだと思っていたので、解釈に幅があることにびっくりしました。

五十嵐:僕の場合、法律の考え方が面白いなと思いました。法律に関する言葉に、「法の不知はこれを許さず」というものがあります。つまり、「たとえ法律を知らなかったとしても、それを言い訳にすることはできない」ということです。例えば、コロナ禍における給付金制度もそう。制度を知らなければ申請できませんが、それは知らないほうが悪いという考え方なんです。学校であれば、先生が「こういう手続きがあるよ」と導いてくれますが、社会に出たらそうはいきません。国会で議論して法律ができあがった以上、「知らなかった」ではすまされないんです。社会の仕組みに即していますし、法の知識があったほうが有利。だからこそ、もっと学んでみたいと思いました。

宇治原:ある程度、法律の原則的なことをわかっていると、確かに生きていくうえで有利ですよね。ただ、一般の人からすると、法律ってとっつきにくいじゃないですか。条文は古いし、契約書の「甲」「乙」という言い回しも今どき使いません。すぐ裁判沙汰になる人を見れば、「ややこしいな、この人」と思ってしまいます。もっと法律が身近になったらいいなと思いますね。

五十嵐:弁護士をしていると、裁判を忌避する傾向を強く感じます。法律事務所に相談に来る方に、訴訟を提案すると「いや、裁判は困ります」ということが多くて。「裁判になるとニュースになるかもしれませんよね」「傍聴席って、誰でも入れるんですよね」「恥ずかしいから嫌です」と言って、そこで終わってしまうことも少なくありません。

宇治原:刑事裁判にも、思うところがありますね。今は、起訴されたら99.9%が有罪になるじゃないですか。僕、あれはどうなんだろうと思うんです。本来なら検察側と弁護士側も、真実にたどりつけたら「よかったね」で終わるはず。なのに、検察はどうしてあんなに有罪にしたいのか。そこに、どうしても引っかかるんですよね。

五十嵐:僕も、その話をすごくしたいです(笑)。99.9%というのは、検察官が起訴をして刑事裁判になった事件の有罪率なんですね。日本の場合、検察の起訴率は50%で、残りの50%は不起訴か起訴猶予。裁判になる前に、検察官が起訴か不起訴かを判断しているんです。

五十嵐律人さん

宇治原:要するに、検察官が起訴するかどうか裁いてしまっているんですよね。それで、有罪率が上がってしまっている、と。

五十嵐:おっしゃる通りです。検察官は有罪率99.9%を守るために、少しでも証拠が弱いと不起訴を選びます。本来なら、裁判官が有罪か無罪かを決めるべきですが、検察官の判断で不起訴にしてしまう。そのため、有罪率99.9%が維持されてしまうんです。

 ただ、検察側にも「自分たちが有罪か無罪かを最初にチェックしているから、無罪の人が逮捕・起訴されずにすんでいる」という言い分があります。起訴されれば長期間身柄を拘束されますし、あたかも有罪であるかのように報道されてしまいます。無罪になったとしても、その人の名誉は回復されません。だから、自分たちが審査をしているというんですね。卵が先か鶏が先かのような議論ですが、こうしたところに問題があると思っています。

『幻告』は、ストーリーが面白いだけでなく、専門的なことをわかりやすく伝えるテクニックがすごい(宇治原)

──五十嵐さんは、こうした法律の考え方を伝えるために小説を書いているそうです。

五十嵐:日本には膨大な法律がありますが、ある程度法律を学んでいくと枠組みがわかってくるんですよね。中高生の頃から法律の考え方がわかっていると、校則の正しさについても自分で考えられると思います。若い人にも「法律の考え方って面白いんだよ」と知っていただくきっかけになればいいなと思い、法律を題材にした小説を書き始めました。

宇治原:『幻告』なんて、まさにそういう小説ですよね。めちゃくちゃ面白かったです。

五十嵐:宇治原さんにそう言っていただけてうれしいです。ありがとうございます。

宇治原:しかも、ただストーリーが面白いだけでなく、法律や裁判に関する専門的なことをわかりやすく伝えるためにいろんなテクニックを使っています。難しい説明も、セリフの中に落とし込んだり、条文を使ったり、主人公の一人称で語ったり、主人公でない人物が解説したり。とても読みやすいなと思いました。

五十嵐:それは、デビュー作からずっと試行錯誤していることなんです。自分は当たり前のように受け入れている専門用語も、編集者に読んでもらうと「この単語、わかりません」と指摘されることがよくあって。そこで、例えば「常習累犯窃盗」という言葉を「繰り返し窃盗」とわかりやすく言い換えたり、場合によっては条文をそのまま引用したりしました。

 しかも『幻告』はタイムスリップが関わってくるので、どうしても説明が多くなりがちです。説明口調をどこまで削ぎ落とせるか、かつ読者を置いてきぼりにせずに進められるか、何度も編集者とやりとりしてようやくこの形になりました。

宇治原:登場人物の会話も軽快ですよね。法律や裁判が関わる話ですし、起きる事件も重たい。でも、登場人物の会話がいい意味で軽いので、そこまで重たく感じないんです。そのコントラストが効いているせいか、ページ数はたっぷりあるものの、テンポよく読み進められました。

五十嵐:こだわっていたところをすべて指摘してくださって、本当にうれしいです(笑)。法律のことは、堅苦しく書こうと思えば、いくらでも堅苦しく書けます。でも、僕はエンタメとして書きたいし、若い方にも読んでほしい。読みやすさを意識しつつ、事件の重さも描きたかったので、その対比を感じていただけてありがたいです。

宇治原:本当に面白かったですよ。これ、最初に全体の構想を決めてから書いているんですか? どこまで整理してから書き始めているんでしょう。

五十嵐:普段はプロットを組まないのですが、今回はタイムスリップが関わってくるので時系列を整理したうえで書きました。でも、書きながら決めた部分もあります。冒頭に出てくる窃盗事件が、後半にどう関わってくるのかは後から考えました。

 また、タイムスリップを取り入れるからには、過去を変えた結果、未来がどう変わり、それによってどんな予想外の展開が起きるかということを絶対に描かなければなりません。タイムスリップものは、過去に戻って事件を阻止する話が多いのですが、『幻告』は裁判を題材にしているので事件が起きることが前提です。起きてしまった事件をタイムスリップでどう変えるのか、それが裁判×タイムスリップ小説の独自性だと思いました。

 とはいえ、ある役割のために登場させたキャラクターが好き勝手に動き出し、新しい事件を起こすことも。きちんと決めて書いたつもりでしたが、書きながら「こっちのほうが面白いな」と展開が変わっていくこともありました。

宇治原:タイムスリップが複雑に関わってくる小説ですから、途中で展開を変えると「あれ? 結果もズレてしまうぞ」ってことになりませんか?

五十嵐:ズレたほうが面白くなることもあるので、無理に元に戻さないほうがいいと判断しました。

宇治原:なるほど。すごい!

──宇治原さんがこの本を勧めるとしたら、どのようにアピールしますか? もしくは、どういった方にお勧めするでしょうか。

宇治原:僕が法学部出身だとかミステリーが好きだとかを抜きにして、ただただエンターテインメントとして面白かったんですよね。だから、ターゲットを絞って勧めるような本でもないかな。

 しかも、読みやすさと複雑さのバランスが絶妙じゃないですか。ちょっと頑張ってついていくっていうのかな。僕、“ついていく読書”って好きなんです。高校時代から髙村薫さんの小説を愛読しているんですが、読み始めたばかりの頃はめちゃくちゃ頑張ってついていって。それが楽しさのひとつでもありました。タイプは違いますが、『幻告』もサラッと読むというよりは、ぐっと入り込んで楽しむ小説だと思います。

五十嵐:できる限りわかりやすく書きましたが、ちょっと頑張って読んでいただき、「頑張ってよかったな」と思ってもらえる読後感になっていたらいいなと思いました。頑張った分の対価というわけではありませんが、いい読後感を与えられる小説になっていたらいいな、と。

五十嵐律人さん

宇治原:確かに達成感、満足感はすごくありました。

──そもそも宇治原さんは、何を求めて読書をされるのでしょうか。

宇治原:こだわりはまったくないんです。自分が楽しければそれでいい。小説は読み切ることが多いんですけど、ノンフィクションや新書は「あんまりやな」と思ったら途中で読むのをやめてしまうことも。著者に申し訳ないなと思いつつ、「買ってるんだから、まぁええか」と(笑)。うちの相方も本を書いてますけど、「読まんでええから買ってくれ」ってよく言ってますしね(笑)。

 ただ、小説も読んでいて引っかかる時があるんですよ。「この接続詞、ちょっと気持ちが悪いな」「この文章、ちょっと長すぎるやろ」「これ、説明が多いな。他に方法なかったんかな」ということがあると、読み進めるのがきついですね。でも、五十嵐さんの小説はそれがなかった。そういう作家さんの作品は好きですね。

五十嵐:東野圭吾さんなんて、まったく引っかからずに読めますよね。きれいだなと本当に惚れ惚れします。しかも、それって最初から身についているセンスのような気がしていて。一文の長さ、読点を打つ位置は、書く人の呼吸の長さと関係しているという説もあります。例えば、喫煙者は息が短いので、読点が多いとか。

宇治原:へぇ、そうなんや!

五十嵐:僕は、非喫煙者ですが、体力ないので読点が多いほうです(笑)。

宇治原:そういうところに着目して読むのも、面白いかもしれないですね。

「努力できるのも才能のうち」といいますが、「才能があるから努力できる」と思うんです(五十嵐)

──五十嵐さんは才能について興味があるそうなので、才能に関するお話を。宇治原さんは才能、優秀さに気づいたのはいつでしょう。

宇治原:その質問、まともに答えたら絶対「嫌なヤツ」って思われるでしょう(笑)。それに、僕は別に才能があるわけではないんです。勉強が得意やと思ったことはありますけど。

 最初に気づいたのは、小学校1年生の算数のテストでしたね。「積木は全部で何個ありますか?」みたいなテスト。僕としては、宿題をすれば花丸をもらえるようなもので、全員100点だと思っていたんです。でも、周りを見たらそうでもない。「え、どういうことや!?」と衝撃を受けました。そこから勉強を始めるようになって、「あ、俺、これ得意なんや」と気づいたんですよね。

ロザン・宇治原史規さん

 ただ、勉強が得意だという自覚はありますけど、そこに大きな意味はないと思っています。「足が速い」「歌がうまい」と同じ。当たり前ですが、人より偉いとも思っていません。五十嵐さんは高校から勉強に本腰を入れたそうですけど、それまでは勉強が好きじゃなかったんですか?

五十嵐:できるかできないかで言えば、できるほうだったと思います。ただ、中学生まではスポーツに力を入れていました。でも、ある時「スポーツってコスパ悪いな」と思ってしまって。例えば、サッカーで県選抜リーグに出たからといって、将来プロサッカー選手になれるとは限りません。でも、県で成績トップになれば大人になっても役立つ気がします。同じ才能でも、勉強のほうがコスパがいいなと思い、打算的に勉強するようになりました。

宇治原:今っぽいなー。若い人って、すぐコスパの話しますやん(笑)。

──「この分野なら、努力が実りそうだから頑張ってみた」ということでしょうか。

五十嵐:僕は「才能があるのに努力するなんて偉い」という考え方が好きではないんです。才能があるから努力できるし、才能があれば結果が出るからもっと頑張れる。少なくとも、自分の場合はそうでした。「努力できるのも才能のうち」といいますが、僕はどちらかと言えば「才能があるから努力できる」という考え方に近いですね。

──芸人の世界は、才能が物を言う気がしますが、いかがでしょう。

宇治原:どうなんでしょう。結局はどの世界も一緒かなという気はします。ただ、僕らの世界ってちょっと特殊なんです。失敗でも何でも、ネタになればOK。例えば「先月の給料500円でした。俺、40歳やけど」という人でも、それがネタになってしまうんです。そうなると、一体何が成功なのかわからないですよね。しかも、そういう世界だからやめるきっかけもありません。作家さんって、40歳、50歳になってからバンと売れる方もいますけど、基本的には別の仕事もされているじゃないですか。作家専業でフリーターみたいな人もいるんですか?

五十嵐:最近は減っているという話は聞きます。ただ、作家も失敗談や極貧生活をネタにできますし、そういった経験をしたほうが説得力は増しますよね。作家は、自分にしか書けないものを書かなければ意味がありません。普通の生活をしていたら普通のことしか書けませんが、非現実的な生活を送っている人はその分、魅力的な小説を書けるような気がします。

宇治原:五十嵐さんなんて、弁護士で作家さんだから強いですよね。

五十嵐:僕の場合、文体やキャラクターで個性を出すタイプではないので、テーマで独自性を出すしかありません。「法律×◯◯」をテーマに、自分にしか書けないものを模索しています。

 先ほど芸人はやめられないという話がありましたが、作家をやめるのも勇気がいると思うんです。僕はずっと書き続けていきたいと思っていますが、1冊書き終えるたびに「次の小説、何も思い浮かばなかったらどうしよう」と毎回不安になっています。

宇治原:変な言い方ですが、弁護士のお仕事をされているのは小説のネタのためでもあるんですか?

五十嵐:それもあります。あとは、“弁護士作家”という肩書が大事かな、と(笑)。

宇治原:すぐそういうこと言いますやん(笑)!

五十嵐:撤回します(笑)。僕は飽き性なので、同じことを突き詰めるより、頭を切り替えて複数の仕事をするほうが向いているんです。それに、法律は毎年改正されるので、しっかり追いかける必要があります。また、リーガルミステリーを書く以上、最新の動向にもアンテナを張っておかなければなりません。例えば最近なら、SNSでの誹謗中傷、スクールロイヤー制度(学校で起きるトラブルに法的に対応する弁護士)などは、現場にいなければ内情が見えてきません。弁護士と作家の両輪で活動することに楽しさを感じるので、これからも両方続けていきたいと思います。

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