棚橋弘至「文章とは人そのもの。書くことで“自分”を客観視する」【プロレス×言葉(後編)】

インタビューロングバージョン

公開日:2019/8/10

「愛してま~す!」というリング上の決め台詞とは思えないようなラブコールで会場を沸かせ、バックステージでは、次の試合が待ち遠しくなる引きの強いコメントを残す。また、ブログやツイッター、連載コラムなどでは、豊かな表現力でプロレスと“棚橋弘至”という存在を絶え間なくアピールしつづけてきた“プロレス界一たくさんの文章を書く男”。彼は言葉をどう操っているのか――ダ・ヴィンチからの質問状に、大ボリュームの文章で回答!

本誌9月号では掲載できなかった質問も含んだメールインタビュー完全版(後編)

本や映画で「いい言葉」だなと思ったものは
無意識下に溜めておき、いつでも発射できる状態にしておく

Q8)文章を書く時の、手順を教えてください。

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棚橋 テーマが絞れたときは、とても筆が進みます。しかし、テーマが決まらなくても書かなくてはならないときもあります。そんなときは、伏線を撒き散らしながら書き進めていきます。

 まず、過去のエピソードや僕というフィルターを通した他の選手の姿や気持ちなどで、文章全体に厚みをつけていきます。そうやって、書き進め、最後に撒き散らしておいた、伏線の中から拾えそうなものだけを拾い、前向きな姿勢とともに書き終えます。

 そうすると、自然と起承転結になぞられた文章ができあがります。しかし、どうしても文章がまとまらないときや、伏線が回収できないときもあります。そんなときは、ダジャレでお茶を濁して終わります(笑)。

Q9)以前、媒体によって「読者を想定して」書き分けている、とおっしゃっていました。『カウント2・9から立ち上がれ 逆境からの「復活力」』の元となる『水道橋博士のメルマ旬報』の連載では、どんな読者を想定していらっしゃいますか? また、他の執筆陣はサブカルチャー畑の書き手がほとんどですが、彼らを意識したり、刺激を受けたりすることはありますか。

棚橋 『メルマ旬報』での連載は「同世代の同性」を意識して書いています。職種は違っても、年齢的にも同じ境遇の方が多いと考えたからです。

 同世代のつながり、絆が作れたらきっと力になれると思ったからです。

 また、他の執筆陣の方々の文章を読みながら、自分の知らない世界を感じ、見聞を広げています。知らないことが多すぎてときどき不安になりますが(笑)。

Q10)『メルマ旬報』連載時の文章と単行本になった文章では、だいぶ印象が違うように思います。書籍化にあたって、どのようなことを意識して加筆修正されましたか。

棚橋 各章ごとにテーマを決めたので、文章の内容も、それに近づけるように加筆、修正しました。

 もともと、本を出すことを想定して書いてはいなかったので、そこは大変でした。が、逆に構えて書いていない分、文章に素の棚橋が見え隠れしたのが良かったと思います。

Q11)言葉を磨くために、何かしていることがあればお教えください。

棚橋 語彙のストックは意識的には増やせません。言葉に感情が乗らないと使いどころがないからです。

 しかし、ベースにストックがないと感情を乗せることもできません。ここが、難しいところです。なので、僕は本を読んだり、映画を観たりしたときに「いい言葉」だなと思ったものは、無意識下に溜めておきます。

 言ってる意味がよく分からないとは思いますが、いつでも発射できる状態にしておくのです。おそらく一生使わずに終わる言葉のほうが圧倒的に多いと思います。それでも準備しておく。感情とシチュエーションと言葉がガチっとハマる瞬間が来るからです。

Q12)ご自分の発した言葉の中で、特に印象に残っているものをいくつか挙げてください。そのシチュエーション、印象に残った理由も併せてお教えください。

棚橋 「愛してます」
 奇跡的に僕の決め台詞になった言葉です。なぜ奇跡的なのかと言うと、最初からこれを決め台詞として使おうとは考えていなかったからです。

 2006年、北海道、月寒グリーンドームで僕が初めてIWGPヘビー級チャンピオンになったとき、新日本プロレスはビジネス的にも、雰囲気的にも底辺にいました。外国人チャンピオンが来日しない。目玉カードが消滅。ファンの方々が怒っても言い訳できない状況でした。それでも、急遽組まれたトーナメントで僕が勝った瞬間、ファンの方々が立ち上がり、フェンスまで駆け寄り、祝福してくれたのでした。

 その光景を見て、僕は嬉しさのあまり心が震えました。「え? こんな状況なのに祝ってくれるの? えっ? えっ?」といった感じでした。急いで感謝の言葉を探したけれど、見つからない! だけど、次の瞬間、自然と僕の口から出たのが「新日本プロレスを愛しています。ファンの皆さん、愛しています」でした。

「愛してます」には最大限の感謝の気持ちが込められています。…という、いい話。

「むしろ光だ!」
 世界的に有名なカート・アングル選手に勝った試合後に「俺の進化が止まんねー!」と、調子に乗っていた時期です。

 僕の好きな仮面ライダーカブトから拝借した言葉を試合後に使いました。それは「俺の成長は光より速い」。

 これを言った瞬間「決まった!」と思う自分とそれほどリアクションのないマスコミさん達の間に温度差が生まれました。その空気を察した僕は、もう少し何か言わなければ、となりました。そのとき、口から出た言葉が「むしろ光だ!」でした。

 言い切る形で終えられて「完璧♪」と悦に浸っていましたが、よくよく考えてみると、その前のコメントで「光より速い」と言っているのに「むしろ光だ!」とは一体(笑)!?

 光よりも速かったのに、少し戻るという。棚橋の馬鹿っぽさが詰まった逸言でした。

Q13)ほかのプロレスラーの発した言葉で印象に残っているものを挙げてください。そのシチュエーション、印象に残った理由も併せてお教えください。

棚橋 内藤哲也の「この会社は棚橋のいいなりだから」ですかね。内藤と抗争していたときに彼が言った言葉です。僕としては、そんなつもりは一切なかったし、今でもそんな影響力はないと思っていますが、当時、内藤の人気と勢いも相まって、ファンの間で「そうだ! そうだ!」という共感が生まれました。

 正直に言うと、あれは悲しかったですね。新日本プロレスのために良かれと思ってやってきたことが、全否定されたような気持ちでした。

Q14)レスラー以外の言葉で印象に残っているもの、影響を受けたものがあればお教えください。

棚橋 姫路のホテルに泊まったときに、マッサージのおばさんに言われた言葉です。「まずはすべてを受け入れなさい」と。ポジティブシンキングを最善として考え強がっていた僕に「それでは問題の解決にはならないわ」と優しく諭してくれたおばさん。

 現実から逃げるのではなく、まず受け入れる。受け入れたら、次に何をするべきかが見えてくると。今でも、僕にとって、とても大切な言葉です。

Q15)ファンからたくさん言葉を浴び続けてきたなかで、気づいたことがあれば教えてください。

棚橋 2016年くらいだったでしょうか? ケガでコンディションはあまり良くないなかでも、テレビやラジオ、イベントの仕事は増えていっている時期でした。そんなとき、イベント後にファンの方から「プロレスも頑張ってください」と言われました。これはかなりキツかったです。

 プロレスを好きになってほしくて、頑張っていたプロモーション活動。自分としては、もちろんプロレスも頑張っていました。ただ結果が出ていない頃でした。

 ファンの方にとっての応援とは活躍してほしい、勝ってほしいというとてもシンプルなものだということに気づかされました。

Q16)今回『ダ・ヴィンチ』に文章を寄せていただくにあたって、意識したことがあれば、お教えください。

棚橋 プロレスの専門誌以外で、取材を受けたり、寄稿するときにいつも気をつけていることがあります。それは、丁寧に説明することです。

 プロレスを知らない方でも理解できる書き方、伝え方をする。その一手間を惜しまない。それが、僕の良いところです……と言ってしまうのが、僕の長所であり、短所です。

Q17)たくさんの文章を書き続けることは、プロレスラーとしての(あるいは人間としての)「棚橋弘至」にどんな影響を与えていますか。

棚橋 文章を書いている時間は「自分自身」と向き合っている時間なのだと思います。反省することのほうが多いですが、喜びや嬉しさをもう一度味わうこともできます。

 文章とは人そのものです。なので、自分自身がどういう人間なのかを客観視できているのかもしれません。

プロレス×哲学 出張版

[編集部からの質問]
Q)千葉雅也さんの「力の放課後(プロレス試論)」(『意味がない無意味』所収)について「なぜプロレスが好きになったのか? 答え合わせができてしまいます☆」とブログで書かれていましたが、読まれてお感じになったことをさらに詳しく教えてください。

棚橋 プロレスはよく「非日常」だと言われます。普段味わえない雰囲気を楽しむものだからだと、漠然と捉えていました。しかし、千葉雅也さんの文章を読み、その理由(ディテール)が見えてきました。

 人は大人に成長していく過程で常識を身に付けていきます。「悪い言葉を使ってはいけません」「人を叩いてはいけません」「物を投げてはいけません」など。しかし、そのやってはいけないこととして抑圧された欲求のすべてをプロレスラーはやるんですね。そこへ自己投影するところに、プロレスの痛快さがあるのだと、千葉さんは答え合わせをしてくれたからです。

[千葉雅也さんからの質問]
Q)僕は運動が苦手だったのですが、プロレスラーになる人はやはりもともと運動神経がいいというか、子供のときから「動ける!」という感じがあったのだろうと思います。子供のとき、体を動かして遊んでいて、とくに楽しかったこととか、印象深い思い出があったら教えてください。

棚橋 実は僕も運動が好きか?と言われると、部屋で本を読んでいるほうが好きな子供でした。特に持久走が苦手で、苦しい思いをするのが嫌でした。それが、痛く苦しい思いをするプロレスラーという職業についているから不思議なものです。自分にないものをプロレスラーは全部持っていたから、憧れたのかもしれません。

 話が逸れましたが、中学生のときピッチャーになって、豪速球を投げたくて、家の横の田んぼでずっと砲丸投げをしていました。結果、筋肉がつき過ぎて豪速球は投げられませんでしたが、プロレスラーになれる強靭な肉体は手に入れました(結果オーライ)。

 

 
 
 

『カウント2.9から立ち上がれ 逆境からの「復活力」』
棚橋弘至
マガジンハウス 1400円(税別)

『水道橋博士のメルマ旬報』人気連載の「逸材逸話」を【言葉の力】【考え方】【体調管理】【40代の仕事】【チャレンジ】の5章に再編集。“人生いつも崖っぷち”だったという棚橋は困難をどう乗り越えてきたのか。新日本プロレスをV字回復に導いた「エース」が自らの体験とポリシーを赤裸々に綴った人生の指南書。

 
 

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