しんどかった青春時代を肯定し、これからを生きていく。又吉直樹、最新作『人間』を語る【前編】

文芸・カルチャー

2019/12/30

 青春のきらめきと儚さを、デビュー作『火花』、第2作『劇場』描いてきた又吉直樹。だが、第3作にして初となる長編小説『人間』の主人公は、著者と同じ38歳という設定。自意識に揺れ苦しんだ青春時代に囚われながら30代以降の人生を生きる主人公に、読者は自分を重ねて、「しんどいなあ」と感じるだろう。しかし読み進めるうちに、もがき苦しんだ過去を肯定し、これからを生きる勇気が湧いてくるはずだ。

 発売から2か月経った今、又吉直樹に小説『人間』、そして「人間とは何か?」を語ってもらった。

『人間』(又吉直樹/毎日新聞出版)

■青春と決別し、ここから「生きていく」

――又吉さんはこの『人間』に、すべてを注ぎ込んでいる、と感じました。たとえば朗読会(又吉直樹が定期的に行っているイベント「『やぁ』、朗読会」)で発表された短編が、エピソードにさりげなく使われていたり。一本の作品として充分成立するものをいくつもこの長編に投入されているという点で、並々ならぬ思いを感じました。

又吉直樹氏(以下、又吉) そうですね。意図的に出がらしの状態を作りに行っているところはありますね。自分のなかのストックをなくす、というのは意識してやっています。

――2作目の『劇場』(2017年5月)を発表された後、きのこ帝国(当時)の佐藤千亜妃さんとの対談で、「今の段階ではまだ、『自分の中にあるもん』を書いている気がするんです。次か、その次ぐらいで、あるもんもなくなって、そこからが本当に自由にやれるんじゃないかと、楽しみにしてるんですけど」とおっしゃってました。今回で全部出せましたか?

又吉 全部出ました。メインの自分のボックスみたいなものは、すべて出ましたね。

――メインのボックス、ですか?

又吉 予備タンクみたいなものがあるので(笑)。でも僕がやるコントでは、日常のことを描くのは2割程度で、ほとんどが妖怪や化け物が出てくるようなものです。そういう世界に馴染みがある人間ですけど、ここまでの小説では日常、現実世界のことを書いてきたので、コントのようなところまで手を広げてしまうとまだまだ残っていますけれども。そっち側まで出し切るのは難しいかもしれませんね。でも、『人間』で自分の実人生と近い出来事、書いておきたいことはほぼ書けたと思いますね。

――先日の「『やぁ』、朗読会(10月23日開催)」で、実は以前、『人間』のベースになるような短編を書いていた、ということで朗読されてましたね。『人間』執筆中には、その記憶はすっかり抜け落ちていたのですか?

又吉 抜けていましたね。『人間』よりも短編のほうが、主人公が漫画家を目指そうとする動機とかがしっかりしていて、使いたかったなぁと思います(笑)。なるほどな、そこ書けてなかったかもな、と思いました。

――ちなみにその短編を書かれたのはいつ頃だったんですか?

又吉 『火花』を書くより前の2014年で、毎月連載で5000文字以上のものを書いて発表していたんですが、その連載の最後の作品です。その連載が終わった時になんとなく、これから中編、長編みたいなのもやっていくんだろうなと思ったんです。

――5年前の作品を読まれて、どう思いました?

又吉 「ようできてるなぁ」と思いました(笑)。短編では主人公が熱海に行っているんですが、『火花』という小説は熱海の場面からはじまるので、繋がっていますし、二作目の『劇場』や『人間』にも通底するいろんなことが書かれているなぁと思って。朗読会では、『人間』を出したタイミングなので、人間にまつわることをやろうと思っていろいろ探しているなかでこの原稿が出てきて、「これなんやろ?」と思って読んだら「めっちゃ『人間』やん!」と思って。設定も似ているし。なるほどなと。

――お話をうかがっていると、『人間』は、表現者・又吉直樹の第一章を終わらせにいっているような感じがします。

又吉 そういう意図はありましたし、ここから「生きていく」というイメージを持ちたいなぁと思って。

――生きていくイメージ、ですか?

又吉 山ちゃん(南海キャンディーズ)が結婚する時に、「幸せになったらあかんって思ってた」って言っていたじゃないですか。それって結構たくさんの人が感じていることだと思うんですよ。僕もそうですし、『火花』とか『劇場』とかああいう話を書いている時に、あまりにも自分が「幸せやなぁ」って日々思える状況だと、なかなか書きにくいんですよね。なんだったら、自分のことをフッてくれる人を探しているみたいな(笑)。物語の世界と、現実の世界の価値が同化しているというか……。なので、自分自身の実感としての20代の頃の話を書こうと思ったら、具体的な「痛み」みたいなものをもっと知りたいなぁと思って。それは記憶でもありますし、設計図でもあるんですけど、どんな気持ち悪さとかしんどさだったかなぁっていうのを、もう一回味わいたくなるんですよ。結果、無意識のうちに転びやすい道を選んでいるというか。

――それは辛い生き方ですね。

又吉 それで転んで、「うわ、しんどい」と思いながらスケッチする。で、もともとあった設計図にしんどい感情を加えるようなやり方をしてきたんです。でもだんだん「このやり方だと、自分の人生が報われることはないんじゃないか」とか「生きていきたいとか、あんまり思われへんなぁ」という風になってきて……。これはちょっとやばいな、とだいぶ前から思ってたんです。

――下手すれば最悪の状況すら迎えかねないスタイルですよね。

又吉 だから、物語の世界と自分の人生を切り離す瞬間を作らないといけないなと思って、『人間』で出し切ろうと思いました。……芥川とか太宰とか、僕が好んで読んできた作家が、僕と同じぐらいの年齢で人生を終わらせてしまっているので。そんな人生に対しての憧れとは全然別の感覚で、そんな彼等の感情に倣うということでも全くないのですが、その作家達の生き方は作品同様に誘引力のようなものがあるのはたしかで、それには当然ですが抗いたいですよね。やっぱり生きて楽しいことを沢山経験したいですから。『人間』は作り方として、どうすればその先も創作を続けられるのかと思った時に、何か方法がないかな、というのを探っていた作品でもありますね。

――読んでいて「しんどい」と思う場面も多かったです……。

又吉 第1章は、10代後半~20代前半の時代に抱えていた感覚みたいなものを手繰り寄せつつ書いていて、しんどいところはとってもしんどかったですね。2章では38歳の自分が若い頃を客観的に見て、「時間によってだいぶ楽になるねんなぁ」というのを書こうと思っていたんです。でもよく考えたら「こいつ、嘘ついてるなぁ」と思って(笑)。……楽になってなかったんですよ。そこで、だいぶ構成がずれていったというか。言葉では「所詮昔のことやから」と言っていたけれど、徐々に「めっちゃ過去に囚われてるやん、こいつ」と思ってきて。そういうことを、僕自身が発見していくような感覚でもありましたね。

■「人間とは?」を考える人は“線上”にいる人たち

――締め切りがより厳格な新聞連載だと書下ろしと違って、登場人物が一人歩きしていくことを許容する余裕はなさそうですが。当初の設計図通りには進まなかったんですね。

又吉 いつにもまして設計図はなかったですね。たとえば「奥」というキャラクターは、ハウスのなかで(主人公の)永山を俯瞰で見ている“眼”を置きたいなぁと思って設定したんですけど、その時点ではどういうキャラクターなんだろうって僕のなかでも定まっていなかったんです。それが勝手に語り始めるし。奥が後に重要な人物として再登場するということも当初は考えてなくて、別々のキャラクターだったんです。永山と再会させようというのも決めていなくて。書いていく中で、永山は自分と似ている同世代の人物に嫉妬の感情を抱くんですよね。自分と全然タイプの違うヤツって気にならないけど、タイプが近くてよりうまくいってそうなヤツを見る苦しさってあるじゃないですか。それを感じているから、永山の内面みたいなものを引き出す役割の人がいるということは重要なんです。それは小説に限らず、嫉妬の対象と自分が対面するというのは、自分自身の内面が引っ張り出されるんです。そんなことを考えてたら、小説のなかでも、だんだん、2人を会わせたくなってきて(笑)。だからああいう展開になったんです。

――設計図通りにいかないとなると、ものすごくエネルギーが要りそうですね。

又吉 しんどかったですね。常に自分の日常と、小説の世界の日常が流れているという。だから、執筆中は常にぼーっとしていて、70%ぐらいで実人生を生きているみたいな感じでした。

――第3作目って小説家にとって特別なものだと言われることもありますよね。それこそその後の作家人生を占う作品であるかのような。初めての長編作品でもありますし、又吉さんもそのことを意識していたのかな、と感じたんですが。 

又吉 いや、正直なかったですね。『火花』と『劇場』は短編なんですけど、火花も230枚なので、いわゆる新人が書く短編の倍ぐらいの文量があるんです。劇場も300枚ですし。今回は何枚なんやろなぁ。800から……1000はいってないと思いますけど、前2作と大きな差は感じていないです。しかも9か月かけて書いたので。書いてるうちに5月で令和になったので、時代をまたぎたいと思ってそうしたり(笑)。そのぐらい自由にやらせてもらった感じですね。

――ここが勝負どころだ、というような力みはなかったんですね?

又吉 そうですね。むしろ、よく言われるんですけど、『火花』も『劇場』も内容を分けられるとか、1本ではなく2本にできるとか。でも、できるだけ僕は全部詰め込みたいので、要素を足しているという感覚もないですし。作家の流れで、1作目を書いて、その余韻で2作目を書く、みたいなのがあるじゃないですか。で、3作目でスタイルとか新境地の確立を、みたいな。僕も本好きでそういう話は聞いてきたので、「2作目いらんなぁ」と思ったんです。だから『劇場』は3作目のつもりで書いたんです。で、『人間』は5作目くらいの感じで。でも結局、『劇場』って2作目っぽいし、『人間』って3作目っぽいんですよね。(後編につづく)

取材・文=高橋さゆり 撮影=三宅勝士