長崎にある雨の夜にしか開かないカフェの秘密とは? 店主はミステリアスな美青年で……。お菓子の歴史と今をつむぐ、グルメ小説が登場!

文芸・カルチャー

更新日:2017/11/12


『長崎・オランダ坂の洋館カフェ シュガーロードと秘密の本』(江本マシメサ/宝島社)

長崎に行きたくなるし、恋がしたくなるし、カステラが食べたくなるし……「なるなる」尽くしの一冊だった『長崎・オランダ坂の洋館カフェ シュガーロードと秘密の本』(江本マシメサ/宝島社)。

進学を機に長崎へやって来た女子大学生、日高乙女(ひだか・おとめ)は、少しのんびりしているけれど、管理栄養士になることを目標にしている素直で真面目な女の子だ。

ある夜、彼女は突然の雨に降られ、オランダ坂周辺にある洋館カフェ『小夜時雨(さよしぐれ)』というお店に入る。そこにいたのは黒シャツに黒ズボンの目つきの悪いイケメン店員一人。そしてメニューは一つだけ。「――本日の品目 五三(ごさん)焼き、温かい酪奬(らくしょう)」。

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どちらも聞いたこのなかった乙女。「五三焼き」はカステラの逸品のことで、酪奬はホットミルクだった。両方ともおいしくて、雨に打たれ、バイトの面接不採用にささくれていた乙女の心を癒してくれた。

お代を払おうとすると、美青年の店員は不愛想に「今日はいい。代金は、考えておく」とのこと。不思議に思いながらも、真面目な乙女はなんとかお金を払おうとするが、店員は受け取ってくれない。仕方がなく名前と連絡先を書いたメモを渡し、乙女はカフェを後にする。

この日から、乙女の長崎での生活は大きく変わっていく。

中々バイトに受からない乙女は、後日『小夜時雨』でアルバイトをすることになるのだが、『小夜時雨』は「雨の夜」にしか営業せず、メニューも一種類。ホームページもない、雰囲気ある洋館の、こじんまりとしたお店。しかもデザートと飲み物はセットでワンコイン(500円)という破格の値段。そして店員――オーナーでもある――向井潤(むかい・じゅん)は接客業には向いていないタイプで、本業不明のちょっとミステリアスな男性。

「ここを営業するのは、金で買えないもののため」と言う向井さん。

一体、彼は何者なのか。なぜ「雨の夜」にしかお店を開かないのか。お客さんも少ないのに、どうして乙女はアルバイトとして採用されたのか、謎が詰まったまま、物語は進む。

本作には、お菓子を筆頭に、長崎グルメが多く登場する。「シースケーキ」や「唐灰汁ちまき」、「カスドース」、「甘菊」、そして「ちゃんぽん」や「皿うどん」といった聞き慣れた長崎名物も。

さらにオランダ坂やグラバー園、波佐見町の陶器市など、実在の観光地も出てくるので、読者は「長崎旅行の疑似体験」をしているような気分にもなれる(それを通り越して、行きたくなってしまうけれど)。

また、バイトを続ける内に向井さんが好きになり、片想いをする乙女の姿は、見ていて応援したくなる。近づきそうでくっつかず、どこか陰があり謎を秘めたままの向井さんと、一生懸命で明るい乙女。二人の穏やかな雰囲気を漂わせた淡い恋模様は、読んでいてすごくよかった。こういう恋、したいなぁと思わせてくれた。

個人的なツボは無口な向井さんの口から時々出てくる「長崎弁」。「なんばしよっと?」とか、「せからしか」とか、どうして方言はかわいく聞こえるんだろうか……。

劇的な出来事や、ラストに衝撃のどんでん返しが! とか、そういった類の物語ではないけれど、夜の雨に濡れたオランダ坂の情景は幻想的で、和と中華と南欧の文化が混じった長崎の「和華蘭(わからん)文化」は興味深くて、登場人物たちの繊細な心理描写が魅力的で……。あぁ、ほっこりしたな。読後感の心地よい一冊だった。

文=雨野裾