“あの頃”の絶望に光を照らし、大人を救ってくれる物語。辻村深月が放つ最高傑作『かがみの孤城』

文芸・カルチャー

更新日:2017/11/12

『かがみの孤城』(ポプラ社)

辻村深月が帰ってきた――。新作『かがみの孤城』(ポプラ社)を読んだファンは、みなそう感じることだろう。鏡の向こうにある孤城に集められた、“普通”から外れた少年少女。どんな願いも叶う部屋の鍵探し。案内人の少女“オオカミさま”の謎。迫りくるタイムリミットの不穏な気配。辻村深月のすべてが詰まっているのに、そのすべてが新しく感じられる本作は、辻村作品になじみのない読者にも最初の一冊としておすすめしたい、文字どおり集大成の物語だ。

孤城に集められたのは、主人公・こころをはじめ、学校に行けなくなった7人の中学生。鍵を見つけて願いを叶えられるのはたった一人。7人は鍵探しのライバルだが、同時に、事情は違えど似た傷を抱えた仲間だった。彼らが心を通わせていく過程や、救いを打ち砕いてしまうほど理不尽で残酷な現実。それをも超えて“たった一人”を救おうと勇気を振り絞る彼らの姿は、永遠に続くかもしれない“今”にあがいている10代にとって、希望の光となってくれるだろう。

だがそれ以上に本作は、大人にこそ突き刺さる物語なのである。

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デビュー作の『冷たい校舎の時は止まる』、そして『名前探しの放課後』など、これまで辻村さんは大切な誰かを救う物語を多く描いてきた。物語の中で彼らはいつも、誰かを救うことで自分も救われ、ともに未来への一歩を踏み出してきた。そこに“大人”はほとんど存在せず、10代の痛みをわかってくれるのは、いつも、同じ痛みを抱えた10代だった。

だが本作はちがう。誰かに救われてようやく前に進むことのできたかつての子供が、大人になって、今度は別の誰かを救うために手を伸ばす。未来を生きるとは、救いの循環を生み出すことでもあるのだと、本作で辻村さんは“大人”を通じて描いてくれた。正直いって、少し話せばすべてネタバレに繋がるのでなかなか物語を具体的には説明しづらいのだが、現実に少しでも絶望したことのある人には、ぜひとも読んでいただきたい。

ところで、勝手な私見なのだが、辻村深月が“抜けた”と最初に感じたのは結婚式場が舞台の群像劇『本日は大安なり』だった。屈折した感情の渦を損なうことなく、抜群のエンターテインメントとして昇華した、その新境地に胸躍るとともに、一抹のさみしさを覚えた。ひりつく痛みはもう書き切ってしまったのだろう、そう思った。だがその後、『盲目的な恋と友情』が上梓された。恋に似た女性同士の盲目的な関係を、最後のどんでん返しも含めてこれでもかというほど抉り出したその作品は、閉じた人間関係でもがき苦しむのも、“イタさ”をそなえているのも10代だけじゃない。傷を解消しきれないまま突き進んできてしまった大人が抱えている闇は、負けず劣らず深いのだと辻村さんは読者に突きつけた。

本作も同じだ。大人も子供も、関係ない。『かがみの孤城』には、かつての私たちがいる。そして今の、私たちがいる。あのころ誰にも理解されなくて、どうしたら“今”から抜け出せるかわからなかった私たちの絶望に光を照らし、消化しきれないまま大人になってしまった私たちをまるごと包み込んでくれる。その上で、今の自分のままで前に進んでいいのだと、そんな自分でも誰かに手を差し伸べることはできるのだと、教えてくれる。

辻村深月は果てなき荒野を、先陣を切って、草木を掻き分けながら、進み続けている。その背中をずっと、追い続けていたい。彼女と、その作品とともに、未来へ進んでいきたい。そう力強く思わせてくれる本作は、まぎれもなく辻村深月の最高傑作である。

文=立花もも

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