報酬ゼロだが本気のサッカーがしたい夫。その時妻は――!? 結婚3年目・共働き夫婦に訪れた危機は一体どうなる?

文芸・カルチャー

公開日:2018/1/10

『それ自体が奇跡』(小野寺史宜/講談社)

 結婚した後に「相手がまさかこんな人だったとは……!」と驚いた経験はないだろうか? 
 筆者は夫と出会い早8年、一緒に暮らして4年目だが、未だに彼の言動に衝撃を受けることが多々ある。

 結婚前に、相手のことをつぶさに観察し理解したつもりでいても、結婚後、それがものの見事に裏切られることはよくあることなのかもしれない。そして、自分とは異なる環境で育ち、異なる価値観を持つもの同士が「夫婦」として共に歩み寄り生きていくことは、決して当たり前などではなく、努力と譲り合いの結晶なのだとも感じている。

 その事実を改めて強く実感させられた小説がある。小野寺史宜の『それ自体が奇跡』(講談社)だ。

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 本書は、30代・結婚3年目の共働き夫婦が初めて直面する危機を描いた意欲作である。

 本作は、35歳の主人公が結婚・離婚・恋愛を経て、初めて「本当の愛」とは何かについて直面する姿を描いた『その愛の程度』、妻の死に直面した夫が、残された携帯から心苦しい真実を知り、妻への想いを改めて振り返る『近いはずの人』に続く「夫婦三部作」のラストに位置づけられる。また、これまでの二作は夫の視点で描かれていたが、本作は夫婦双方の視点で描かれているのにも注目だ。

『それ自体が奇跡』は、1月1日、田口夫妻が共に勤める百貨店唯一の定休日から始まる。夫の貢(みつぐ)が「近い将来のJリーグ入りを目指すチームで本気のサッカーをやりたい」といきなり宣言する所から物語はスタートした。

 貢は元々会社の廃部になったサッカー部で活躍していた。そんな彼のもとを大学の先輩が訪れ、東京23区で初めてのJリーグ入りを共に目指してほしいと熱心に勧誘されたのだと言う。貢はもうすぐ31歳。自分がプロになるわけではない。報酬はゼロ。

 それなのに「本気のサッカー」に心動かされた貢は、妻・綾に相談することなくその場で「やります」と返事をしてしまうのだ。

 一方、高卒で百貨店に入社して13年、紳士服部で働く綾は、夫の宣言に驚き、きっぱりと反対する。そろそろ子どもを産みたいと考えていたし、何の相談もなく事後報告だったことが何よりも許せなかった。しかし、綾の言うことを聞き流し、トレーニングを始めてしまった貢……。彼女は貢に、

「サッカー。この一年だけにしてね」
「わたしも好きにするから」

 と、何やら不穏な言葉を告げ、仕事のミスがきっかけで出会った男性客の天野と、二人で映画に行くようになるのである……!

 婦人服部で働く夫と、紳士服部で働く妻。二人は普段、決して仲が悪いわけではない。貢は家事や仕事ぶりが優秀な妻を尊敬しているし、綾は不器用だがまっすぐな夫を温かい目で見守ってもいる。

 そんな二人が、今回の危機を一体どう乗り越えるのか。筆者は田口夫妻の一年を、ハラハラしながら読み進めた。

 貢は様々な困難にぶつかる。夫婦の関係がおかしくなるだけでなく、試合のある土日に仕事を休むことに、良い顔をされず悩むこともあれば、頼りにしていたメンバーが海外転勤でサッカーチームを去る事態にも遭遇する。

 綾も、貢とまともに話し合えないことや、今さらサッカーに打ち込む意味が理解できず悩み続ける。

 しかし、時間と共に、徐々に相手の心情を慮り、静かに歩み寄っていくその姿は、夫婦の固い絆が感じられ、一人ではなく二人でいる意味を存分に考えさせられた。

 貢は言う。「結婚は、それ自体が奇跡」だと。夫婦でいることは、大変なことも多いが、時に大きな勇気や励ましになる。でこぼこな人生に、隣にいてくれる人がいる有難さや温かみを、今一度かみ締めたくなる物語である。

文=さゆ