祖母は認知症。津波で流された実家を建て直すまでの日々を描いた実録コミック『ナガサレール・イエタテール』

マンガ

更新日:2018/7/23

『ナガサレール・イエタテール』(ニコ・ニコルソン/太田出版)

『ナガサレール・イエタテール』(太田出版)の著者ニコ・ニコルソンさんの生まれは宮城の沿岸部。2011年3月11日、実家は津波で流された。当時、自宅にいた母(母ルソン)と祖母(婆ルソン)も一緒に、だ。本作は、九死に一生を得た家族とともに、その名のとおり、流された家を再建していく物語。だがただの感動ドキュメントではないことをまずお伝えしておきたい。

 震災後、世に出たノンフィクションのすべてに触れたわけではないけれど、読みながらこんなに泣いて笑ったのは初めてだった。震災はあたりまえの日常の延長にあったのだということ、そして今も日常の上にあるのだということを感じさせられた。

 母ルは流れてきたタンスにつかまり婆ルをつかみ、無我夢中で2階にあがった。一命をとりとめた2人が翌朝、窓の外を見てみれば、目の前に広がっていたのはガレキの山に泥と水。そして知らない人の家。そこから避難所生活が始まるも、津波のショックで婆ルは、母ルの顔も忘れる一時的せん妄状態に。認知症も進み、家に帰りたいと駄々をこねる。決意の揺るがない婆ルの姿に、母ルも腹をくくって「家を建てよう」と決めるのだ。

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 幸いにも保険は下りる。けれども家は土砂まみれで、客間には誰かの車のバンパー。ご近所さんだってたくさんいなくなってしまった。原発はどうなるかわからない。協力したくとも、ニコさんには東京での仕事がある。さらに追い打ちをかけるように、母ルに癌発覚。それでも、何があっても人間、最終的に眠くはなるしお腹も減る。家族の無事がわかれば泣くほどうれしいけれど、聞く耳をもたない憎たらしさには本気で腹が立つ。もちろん冗談を言って笑いあう日もある。家を再建するというのは、その日常をより確かなものとして取り戻すことだったのだと思う。

 私は、震災後、一度だけボランティアに参加した。何もかもが流され、危険区域とみなされ、もう家を建ててはいけないと指定された場所を指さし「それでもあそこに戻りたいって思っちゃうんだよね、なぜか」と言われたのが印象に残っている。せん妄を経て、津波の恐怖を忘れてしまった婆ルもたぶん同じだ。川崎にある娘の家に身を寄せ「もうずっとこっちにいればいいじゃない」と言われても、「お母さんは生まれ育った場所に帰ります」と返した婆ルは、日常に帰りたかった。その願いをかなえるために奮闘した母ルもニコさんも、家を建てることで一緒に、自分の心を立て直していったんじゃないだろうか。

 ニコさんは決して、本作を大仰にドラマチックな悲劇として描かなかった。母ルがふと「どんどん不幸な人扱いされてる気分になってきてさ~」「毎日毎日 ただ生きてるだけなんだけどなぁ」と漏らしたように。目の前にある現実をただ受け止め、前に進んでいく日常の物語として表現した。簡単に「わかる」なんて言えないけれど、ふりかかった出来事も、描くことそれ自体も、相当にしんどかったはずだ。それでも随所にユーモアとギャグを忘れず“面白い”作品として描ききったニコさんに、今一度敬意を表したいと思う。

文=立花もも

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