イグノーベル賞受賞! 「動物は悩みがなくていいな…ならばヤギになろう!」の抱腹絶倒研究録

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公開日:2019/3/21

『人間をお休みしてヤギになってみた結果』(トーマス・トウェイツ:著、村井理子:訳/新潮社)

 動物園の近くに住む筆者は、そこで動物を眺めるのが好きだ。眺めるたびに思う。「動物は気ままに生きてていいな。私も動物になって、悩みのない生活をしてみたい…」、と。

 筆者はただ思うだけだが、『人間をお休みしてヤギになってみた結果』(トーマス・トウェイツ:著、村井理子:訳/新潮社)の著者・トーマスは違う。本書は、トーマスがタイトル通り「ヤギになりたい」という思いを実行する様子と過程が詳細に描かれた、“突き抜けた”1冊だ。この一大プロジェクトは世界に衝撃と爆笑をもたらし、2016年にはイグノーベル賞を受賞した。

■きっかけは後ろ向きな思いつき

 トーマスはイギリス・ロンドンに暮らすフリーランスのデザイナー、33歳(当時)。大学院の卒業制作であった「トースター・プロジェクト」(ゼロからトースターを制作するプロジェクト。どれくらいゼロからかというと、原材料の鉄を作るために、鉄鉱石を探すところから始めた)が注目され書籍化されたが、それ以降は鳴かず飛ばずの日々が続いていた。銀行から口座開設を断られ、長年つき合っているガールフレンドからも将来を心配されるほどだ。

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 さすがに焦りを感じたトーマスは、ある日ひらめいた。「人間だから悩むのだ。人間であることを少し休んで、動物になれたらすごくない?」

 ただの現実逃避で後ろ向きの発想にも感じられるが、トーマスのトーマスらしさは、その実行力にある。まず資金調達。ウェルコムトラスト(医学研究支援を行う公益信託団体)にプロジェクト申請し、見事に受理される。その時点での申請内容は「象になりたい」だった。

■「象やヤギが悩まない」って本当?

 当初、象になりたかったトーマスは、リサーチを進め、「象が道徳を理解する知的な動物だ」と知ると、象になるのをあっさりやめる。そして、何の動物になるべきかを考えるためにシャーマンを訪ねた。シャーマンからのアドバイスは「ヤギ」。それを素直に受け入れたトーマスが向かったのは、バターカップという、虐待されたヤギの保護施設。ここでもトーマスは衝撃の事実を知る。なんと、ヤギも「悩む」、というのだ。実際のところは「不安やストレスを感じる」らしい。

 ここで改めてトーマスは「悩み」そのものについて考えた。それは、「人間の悩みは、人間が持つ、過去や未来といった時間の概念からくるものである。それは人間に計画性を持たせる一方で、悩みや後悔ももたらす」ということだ。

 そこから導きだした驚きの方向性は、「悩まないヤギになるためには、時間の概念を切ればいい」というもので、次にトーマスが向かった先はロンドン大学の言語神経科学グループ。そこで、経頭蓋磁気刺激(TMS)というプロセスを使って、一時的に時間と言語を司る部分に影響を与えるという体験をした。

 ヤギの内面的思考を疑似体験したトーマスが次に着手したのは、“外観のヤギ化”だ。四足歩行するために、獣医科専門大学の門を叩くトーマス。研究室でレクチャーを受け、ヤギの解剖にも立ち会うことで、身体的構造を頭に叩き込んだ。そして、医師でもある義肢装具士を訪ね、四足歩行をアシストするための人工装具を作ってもらうことになった。

 …と、ここまでは一見順調な(?)ヤギプロジェクトだが、思わぬピンチが訪れる。あろうことかトーマスは、研究助成金のスポンサーであるウェルコムトラストに対して、「象→ヤギ」という、プロジェクトの内容変更を連絡し忘れており、それがバレてしまったのだ。

「全ての活動を一旦保留にして、話し合いを持ちたい」とスポンサーから通知を受けたトーマス。果たしてプロジェクトの行く末は…。

■研究対象に真剣に向き合い、笑いを誘う

 後ろ向きな発想から動き出したトーマスが、周囲を巻き込みながら前のめりでプロジェクトを実行していく様子は、とてもユーモラスだ。読めば爆笑に次ぐ爆笑で、今抱えている多少の悩みならば吹っ飛んでしまうだろう。本書では、プロジェクト経過の写真もカラーで豊富に掲載されているので、ぜひ手に取ってみてほしい。

 そして本書は、ただ笑えるだけではない。トーマスの思考は、時に哲学的で深い洞察力を持ち、それに向き合う専門家たちのアドバイスも非常に示唆に富むものだ。プロジェクトに巻き込まれた一流の研究者たちが、「ヤギになりたい」と真剣に語るトーマスに対して、手を抜くことなく向き合う姿勢もまた印象的な1冊である。

文=水野さちえ