『フレディ・マーキュリーの恋』で知る、なぜ同性愛が一定の割合で存在してきたのか?

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2019/3/31

『フレディ・マーキュリーの恋』(竹内久美子/文藝春秋)

『フレディ・マーキュリーの恋』(竹内久美子/文藝春秋)というタイトルに過大な期待を抱くと肩透かしを喰うかもしれない。本書はイギリスのロックバンド「クイーン」のボーカリストだったフレディ・マーキュリーの恋愛についてだけ書かれているわけではないからだ。実はこの本は2012年に刊行された『同性愛の謎――なぜクラスに一人いるのか』の増補改訂版であり、タイトルも新たにつけ直したものなのだ。

 しかし内容は2018年に公開された大ヒット映画『ボヘミアン・ラプソディ』の流行に乗った、というわけではもちろんない。2012年の刊行時にもフレディへの言及はあり(増補改訂版はさらにエピソードなどが追加されている)、自身もファンという著者の竹内久美子氏はクイーンへの熱い愛を語っている。本書はフレディという類稀なる存在や、彼が生み出した作品についての理解も進む。映画にも登場した家族や、恋人ジムとのエピソードも載っている。しかしこの本の本当の面白さは「性と心のパラドックス」というサブタイトルにある。

「パラドックス」とは「逆説」のことだ。論理学では「相互に矛盾する命題がともに帰結し得ること。またその命題」(『大辞林』より)という意味だが、大学で動物行動学を学んだ竹内氏は「同性愛者は子を残さないか、あるいはバイセクシャルとして子を残すケースがあるとしても、とにかくあまり子を残さない。この点においては異性愛者と比べ、自分の遺伝子のコピーを残すうえでかなり不利なはずだ。それなのにいつの時代にも必ず存在し、決して消え去ることはない。それはなぜなのか……」という疑問が湧いた、と本書の「おわりに」で書いている。このパラドックスを、ホルモンや遺伝子、脳などの科学的な研究成果からひとつひとつ解き明かしていくことが本書の肝なのだ。

 2013年、麻布中学校で「ドラえもんが生物として認められない理由」を問う入試問題が出された。これを解くため、文章には地球上の「生物」に共通する特に重要な特徴として「特徴A:自分と外界とを区別する境目をもつ」「特徴B:自身が成長したり、子をつくったりする」「特徴C:エネルギーをたくわえたり、使ったりするしくみをもっている」という3つの条件が提示されていた。生物の定義にはいろいろな説があるが、特徴Bにある自身のDNAをコピーして子孫を残すことは、種が絶滅しないために不可欠なことだ。

 これに関連して思い出されるのが、2018年の杉田水脈衆議院議員による「LGBTのカップルのために税金を使うことに賛同が得られるものでしょうか。彼ら彼女らは子供を作らない、つまり『生産性』がないのです」という『新潮45』に掲載された意見だが、本書ではゲイやレズビアン、バイセクシャルにも生産性がはっきりと存在する、と断言している。

 それはこの本に載っている数々の仮説、そしてこれまでの研究成果を理解しながら読み進め、最後に到達する「X染色体」に関するパートを読むとはっきりわかる。イギリスの進化生物学者・動物行動学者のクリントン・リチャード・ドーキンスは、著書『利己的な遺伝子』で「生物は遺伝子によって利用される乗り物に過ぎない」と書いたが、人類の生殖を巡る壮大な物語を知ると「遺伝子とはなんとよくできているのだろう。いろんな乗り物があってこその“多様性”であるのだ!」と感じずにはいられない。

 日本をこよなく愛したクイーンには「手を取り合って」と日本語で歌われる『Teo Torriatte (Let Us Cling Together)』という曲がある(アルバム『A Day At The Races』に収録)。時の流れ、新しい命、そして愛する人と手を取り合う……そんな世界を描いた歌詞を思い起こさせる読書体験であった。

文=成田全(ナリタタモツ)