一度死んだ村に「Iターン」を促せ! 米澤穂信の描くビターな社会派ミステリー『Iの悲劇』

文芸・カルチャー

公開日:2019/10/12

『Iの悲劇』(米澤穂信/文藝春秋)

 木々が大地に根を張るのに長い年月が必要であるように、人を全く新しい環境に住まわせるのは決して簡単なことではない。高齢化が進むあらゆる街で、地方への移住を支援する動きがあるが、移住者たちを街へと根づかせるには、あらゆる困難がつきまとうだろう。自然豊かな光景に心惹かれて移住を決意したとしても、観光で訪れるのと、実際に住むのとでは雲泥の差がある。生活してみてはじめて、都会とは異なる田舎での不便さに気づくという場合も少なくはない。地方への移住は、各自治体の支援とサポートがあってこそ、成り立つものなのかもしれない。

 米澤穂信氏の『Iの悲劇』(文藝春秋)は、限界集落を抱える地方と、移住者をとりまく現実を描いた社会派ミステリー。米澤穂信氏といえば、『氷菓』をはじめとする「古典部」シリーズや『本と鍵の季節』などの著者であり、「人の死なないミステリー」を描く作家として知られる。本作も、刑事も探偵も出てこない「人の死なないミステリー」。だが、先の読めない事件の数々と、ビターな読後感がクセになる1冊だ。

 舞台は、山あいの小さな集落、簑石。6年前に一人の居住者もいなくなったこの場所に再び人を呼び戻すため、市長肝いりのIターン支援プロジェクトが実施されることになった。業務にあたるのは簑石を擁する南はかま市の「甦り課」の面々。主人公の万願寺邦和は、やる気のない課長・西野秀嗣と、新人・観山遊香とともに、Iターン者の支援にあたることになる。しかし、彼らが向き合うことになったのは、一癖も二癖もある移住者たちだった。

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 趣味のラジコンヘリを自由に飛ばせることを喜ぶ久野吉種。「簑石でも世界を相手にビジネスができる」と豪語する牧野慎哉。簑石に来てから、病気がちの息子の体調がよくなったと喜ぶ立石善己、秋江夫婦…。移住者たちは、簑石での暮らしに、夢や希望を抱いて移住を決意したはずだった。だが、彼らは、次々と謎の事件に巻きこまれてしまうのだ。そして、その事件によって、一人、また一人と、移住者たちは、簑石からいなくなってしまい…。

 もともと、この部署への配属を不満に思い、出世することだけを考えていた万願寺だが、持ち前の生真面目さから、移住者の情報をすべて頭に叩き込み、彼らにできる限りのサポートをしようとする。だが、そんな努力むなしく、なかなか簑石には移住者が根づこうとしないのだ。万願寺は、簑石をよみがえらせることはできるのだろうか。徐々に明らかになる、限界集落の現実。人口が減少していく集落は、今後どうなっていくのだろうか。クライマックスにかけた展開には、誰もが度肝を抜かれるに違いない。物語を読み終えた時、その問題の大きさに気付かされる。

 万願寺と移住者たちとの日々は、ときに笑えて、ときに悲しい。すべての事件の根底には、ほろ苦い現実が横たわっている。このミステリーは決して他人事ではない。地方の現実と、その現実の中で生きる人々。この悲喜劇はあなたの心も揺さぶるに違いない。

文=アサトーミナミ