2度の震災と戦争を生き抜いた「東京會舘」を舞台に、辻村深月が描く壮大な青春大河ミステリー!

文芸・カルチャー

更新日:2019/10/18

『東京會舘とわたし』(辻村深月/文春文庫)

 東京會舘を舞台に実話を下敷きにした連作短編集、と聞いて、東京會舘にはなじみがないし、辻村深月作品にしてはあらすじが大人しそうだし、と『東京會舘とわたし』(単行本は毎日新聞出版、文庫は文藝春秋)を読む機会を逸している人が、もしかしたらいるかもしれない(そうではありませんように、と思って書いているので、そんなわけあるか! 無礼なことを言うな! とご立腹の方はご容赦ください)。

 だが多くの読者はきっと、どんなに静かな物語でも辻村さんの手にかかればとてつもないエンターテインメントに変わるはず、と期待することだろう。その期待は決して裏切られることはない。

 冒頭に登場するのは、東京會舘を舞台に小説を書きたい、と取材を申し込む作家だ。数ページのプロローグののち、おそらくはその作家が聞いたのであろう、東京會舘を舞台にした物語がはじまる。最初は大正12年、創業の翌年の東京會舘を、小説家志望の青年を主人公に。次は昭和15年、大政翼賛会の庁舎として徴収されることになった東京會舘を、創業からつとめあげた男を主人公に。読みながら思う。これは、東京會舘の見る夢だ。訪れる人々を見守り続けてきた東京會舘の記憶が、辻村さんの手を借りて語られているのだと。

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 個人的には上巻・第4章の「グッドモーニング、フィズ」が好きだった。GHQに接収された東京會舘に米軍人たちが溢れ、庶民の社交場として創立された当時の面影がなくなってしまったとしても、バーで働く者としての矜持を貫き、いまの世に伝わるオリジナルカクテルを生み出したその経緯に、ぐっと胸がつまる(マッカーサー元帥が出てきたのには驚いた!)。どんな用途で、どんな人たちが訪れようとも、根底に流れる一貫して変わらないホスピタリティ。いまなお愛されるその理由がわかるエピソードでもある。

 いわゆる「歴史」を中心に語られる上巻に反して、昭和51年からはじまる下巻は、現代に近い物語だ。とくに、東日本大震災の起きた一夜を東京會舘で過ごしたご婦人を主人公に描かれた第8章は、かつて夫に「東京會舘のクッキングスクールに通ってほしい」と頼まれた彼女に娘が「時代錯誤、今ならありえない」とぴしゃりとやるシーンもあり、世代による価値観の違いがさまざまに描かれる。だがそこにあるのは、断絶や対立ではない。ともすれば時代遅れと揶揄される古い価値観や慣習が、なぜ生まれたのかを知ることで感じられる伝統の尊さ。建て替えも含め、なじみのあったものがガラリと様変わりすれば、人は淋しさと反発を覚えてしまうものだけど、いちばん大切なものは譲らず、ともに変化して生きていくことを示してくれる東京會舘の懐の深さだ。

 冒頭の作家がなぜ東京會舘を舞台に小説を書こうと思ったのかは、ラストに、辻村さんらしいひりつく痛みとともに語られる。そして、第1章から登場人物たちが少しずつ重なりあい、過去の出来事が思わぬ場所でつながっていく驚きと喜びも。ミステリーであると同時に、壮大な大河ロマンでもある本作。読めば必ず東京會舘に行きたくなることまちがいなし。2019年1月に新装オープンしたばかりの今こそ、読むべき作品である。

文=立花もも

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