夫の不倫と不妊に悩む女性がとった驚愕の選択とは――歪な家族の姿を描き出す、企みに満ちた短編集『スモールワールズ』

文芸・カルチャー

公開日:2022/2/15

スモールワールズ
『スモールワールズ』(一穂ミチ/講談社)

 家族という関係のなかで生じる悩みや痛みは、第三者の目に映らないことも少なくない。たとえば、休日のショッピングモールですれ違った幸せそうな親子。彼らを見て、「きっと毎日が穏やかで、幸福の連続なんだろうな」と思ってしまうことがある。しかし、本当にそうだろうか。どんな家族にだって実は問題があり、その当事者たちは心を痛めているのではないか――。だからこそ家族という“最小の世界”はときに息苦しくて、衝突を重ねて、だけど愛おしくもあるのだ。

 そんなことを考えさせられたのは、一穂ミチさんの『スモールワールズ』(講談社)を読んだからだ。

 本作にはさまざまな家族が登場し、それぞれの歪な苦しみが丁寧でやさしい筆致によって描かれている。収録されている6編は、いずれもそういった家族の問題を浮き彫りにする。

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 たとえば「ネオンテトラ」という1編。主人公の美和は不妊に悩む女性だ。夫はやさしいが、他の女性と浮気をしている。美和はそれに気づいているものの、それでも子どもを望んでいる。そんな美和の前に現れたのが、親から虐待まがいのことをされている中学生の笙一。どうしてもそれが気になった美和は笙一に近づく。ふたりを結びつける絆の名は“孤独”だろう。子どもができないことに焦り、夫からは裏切られている美和。親としての資格があるとは到底言えない大人のもとで育てられている笙一。ともに重さや意味は異なるが、その胸中にあるのは孤独感である。

 では、そんなふたりがどこに着地するのか。そのラストを読めば、きっと誰もが驚くに違いない。なかには「そんなことってある!?」と呆れてしまう人もいるかもしれない。でもぼくは、美和の選択を否定することができなかった。夫との“最小の世界”で苦しみ、悩み抜いてきた美和が選んだ道は、きっと彼女を救うものだったからだ。仮にそれが倫理的におかしなことだったとしても、誰にも美和を否定する権利なんてない。だってぼくらは、美和が生きる“最小の世界”のことも、そこに生じる痛みのことも、身をもって体感できないから。だからこそ、否定などすべきではなく、見守るしかないのだ。

 それ以外に登場するキャラクターたちも、みな、さまざまな悩みとぶつかり、そこから脱却しようと足掻いている。それを見て「恐ろしい」と感じる人もいれば、「可哀想」だと胸を痛める人もいるかもしれない。でも、そうやって抱いた感想は、すべてぼくら読者に跳ね返ってくる。家族の問題は、その当事者にしかわからない。自分たちにとっては“ふつう”のことが、誰かにとっては歪に感じられることもあるし、生きるか死ぬかというくらい大きな問題が、第三者からすればやけにちっぽけだったりもする。

 だからきっと、本作は、読者の背中を擦ってくれる1冊になるのではないか、とも思う。決してハッピーエンドばかりが並ぶわけではないし、読後感が悪いものさえある。ただ、「どんな家族にもいろんな問題があり、それが当たり前なのだ」というメッセージを内包しているからこそ、読者一人ひとりを肯定してくれる気がするのだ。

 ちなみに本作には、一穂さんが仕掛けた“企み”も隠されている。それは最終話の「式日」を読めばわかる。このエピソードは上述した「ネオンテトラ」とリンクしており、「式日」を読み終えたあとに「ネオンテトラ」に戻ると、一穂さんが鏤めた伏線の存在に気づくことができる。つまり本作は、家族の関係を描いた人間ドラマでもあり、また上質なミステリーとしての読み心地も持つ、贅沢な作品なのである。実際ぼくは、「式日」のラストを読んだとき、「え! そういうことだったのか!」と感嘆のため息を漏らしてしまったほどだ。

 最後に個人的な話になるが、ぼくの家族も実にさまざまな問題を抱えていた。10代の頃はそれが嫌で嫌で堪らなく、“ふつう”の家族に憧れていた時期もあった。でも、思う。もしもあの頃、この『スモールワールズ』に出合えていたら、きっと息がしやすくなっていたのではないか、と。そんな作品を生み出してくれた一穂さんには、感謝の気持ちしかない。一穂さん、本当に、ありがとうございます。

文=五十嵐 大

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