「破産する…」特許侵害と告げられ愕然とする皆川電工の社長。しかし弁護士からある提案をされて…/特許やぶりの女王 弁理士・大鳳未来②

文芸・カルチャー

公開日:2022/3/4

 亀井を介抱していると、皆川電工の従業員がベンツを倉庫に寄せた。

 皆川たちは先に皆川電工に戻り、亀井が目覚め次第、姚が亀井を連れて皆川電工に向かう手筈になった。

 ベンツに向かおうとした皆川が、ふと立ち止まった。

 皆川は、まるで世間話でも始めるかのように訊ねた。

「事務所の名前、なんでミスルトウなんだ」

「呼びにくかったですか」

「社名にミスなんて入れたら縁起が悪いだろう。俺なら付けねえ」

 なるほどと思いながら、未来は答えた。

「ミスルトウとはヤドリギの英語名です。北欧ではトロール除けのお守りの意味があります」

 皆川は、納得した表情で訊ねた。

「パテント(特許)トロールか」

 未来は頷いた。

「姚が思いついた、つまらないシャレです」

 皆川は笑った。

「元パテント・トロールの嬢ちゃんらが付けるなら面白い」

 未来は驚いた。

「どこで知りましたか」

「嬢ちゃんが来る少し前に、亀井が教えてくれた。パテント・トロールって、自分では事業をする気のない製品の特許を取得し、特許侵害だと他の企業にぶつけて金をせびる組織だよな。聞いたことがある。アメリカで日本のゲーム機を訴えたやつだ」

 皆川が示唆した事件に、未来はすぐ見当がついた。

「コイル事件。一九九〇年代に米国のコイル氏という個人発明家がゲームとは直接関係のない特許を『ゲーム機の基本的な特許』と主張し、《任天堂》や《セガ》を訴えた事例です。日本企業は米国での特許紛争に慣れていませんでしたから、そこにつけ込んでの攻撃でしょう」

 皆川は笑った。

「俺たちより性質が悪い」

 未来は呆れて答えた。

「警告した相手に直接殴り込んだことはありませんよ。きっとコイル氏もないでしょう」

「パテント・トロールって、いくらぐらい稼げるんだ?」

 未来は、しれっと答えた。

「とあるメーカーのスマートフォンに、セキュリティに関する特許を一件ぶつけたことがありました。半年で百億円を稼ぎました」

 皆川は、口を開けて驚いた。

「まさか嬢ちゃんが一人でやったのか」

「一人でした。当時の仕事先では、スマホのセキュリティが理解できる人間は、私だけだったので」

 皆川は顔に皺を寄せて、微笑んだ。

「パテント・トロールのエースだったわけか。今度、特許でうちにまずい問題が起きたら頼むとしよう。姚さん、俺たちは出発するが、うちの事業所の場所はわかるか」

 姚は皆川に頷いた。

「少ししたら自分の車で伺います」

「頼んだ」

 皆川は、ベンツに乗り込んだ。

 時間にして三十分程度の水際交渉だったが、未来は、一日中マラソンをしていたような疲労感を覚えた。

 亀井が寝息を立て始めた。無理もない。警告書が届く状況なんて、滅多にない。心身ともに疲労が溜まったのだろう。

 亀井製作所の従業員と亀井の家族に連れられて、亀井は事務所の中に運び込まれた。

 無人になった倉庫の中で、未来は大きく伸びをした。

「先々週は兵庫、先週は石川、今週は三重。全て工場内で、コピー機なりドライヤーなり、在庫の山を前にしての交渉だったわね」

 姚も、首筋を掻きながら頷いた。

「電化製品だけじゃない。化学薬品も扱った。先月は台湾の新竹で、フォトレジスタの露光時間をずっと確認した」

 未来は、安全光の赤い光と、酢酸の匂いを思い返した。

「しばらく、ドレッシングの香りも嫌だった。にしても、あんたとミスルトウを設立してから一年が経つけど、まともに休めた日がない。どうしてかしら。姚が仕事を選ばず、何でも引き受けるからよ」

 姚は、夕暮れでも眺めるような表情で、倉庫の天井を見上げた。

「ミスルトウを設立する際、非公開の事務所指針を四番まで決めたよな。指針その一、クライアントは選ばない。文句はなしだ。防戦に休みなんてない」

 未来も姚も、理解している。警告書は、ある日突然届くものだ。届いたら、ずっと緊張が続く。

 姚は続けた。

「ところで以前から提案している、うちの事務所のサイトに『我々は元パテント・トロールです』と大きく書いておくかどうかについてだが」

 未来は即断した。

「いらないわよ。『私たちは、元・特許ヤクザです。だからヤクザのやり口がわかります』なんて、おおっぴらに宣伝しろっての?」

「物は言いようだ。腕利きのハッカーがセキュリティ企業を立ち上げたようなものだ。クライアントの立場から考えれば、私たちの経歴は心強い」

「絶対に嫌。そもそも、広告に力を入れる必要はありません。私たちの事務所の噂は、業界ではとっくに広まっているみたいだし」

 姚が、噴き出した。

「事務所じゃなくて未来の噂だな。『特許やぶり』の大鳳未来─」

 話の途中で姚のスマホが鳴った。姚が電話を受けると同時に、事務所から亀井製作所の従業員が現れた。

「姚先生、大鳳先生。社長が目を覚ましました」

 未来は驚き、答えた。

「もう大丈夫なのですか。まだ少しは寝ていてもいいのですが」

「早く皆川電工と話をつけたいみたいです。本人はやる気ですよ」

 しばらく従業員と話していると、姚が電話を終えた。

 姚はスマホを弄りながら、まるで他人事のように話しだした。

「次の仕事の依頼だ。受けておいた」

 未来は、腕組みをして姚の前に立ちはだかった。

「秒で受けないで。ていうか、もう在庫の山を見ながら交渉をしたくない。ソフトウェアの仕事を受けなさい。クラウド関係とか」

 姚は完全無視の表情でスマホの画面をタップした。

「次は東京だ。一か月ぶりに帰れる。私は契約書の偽造の最中に、皆川社長が亀井社長とセカンドラウンドを始めないように監視するので行けない。代わりに、先に東京に戻って話を訊きに行ってくれ。相手は直接の面談をご所望だ」

 未来は露骨に嫌な顔をしてやった。

「偽造ってはっきり答えるな。にしても今から? 明日でいいわよね」

 姚は首を傾げた。

「先方には、今日中に話を訊くと伝えてある。飛行機だと夜の便になる。陸路なら『快速みえ』と新幹線を乗り継げば、夕方には先方のオフィスに着ける。急げ」

 文句が喉まで出かかったところで、未来のスマホが震えた。メールの着信だ。

 見ると、姚からのメールだった。先程のクライアントからの依頼に関する資料が、圧縮ファイルの形で添付されていた。スマホでは開けないサイズだった。タブレットか、ホテルに置いてきたパソコンで開く必要がある。

 姚が断じた。

「指針その二。クライアントからの要望は、依頼も含め十二時間以内にアクションする。指針その三。ミスルトウは、クライアントも相手方もなるべく円満に解決できる術を探す」

 未来は額を押さえた。作ったよ。ええ。作ったよ。

 テレビを下請け品に仕立て上げた理由も、指針その三に基づく提案だ。

 未来は顔を上げた。吹けば飛ぶような超小規模特許法律事務所でも、仕事がある。喜ばしい話ではある。

 未来は姚に、嫌味で微笑みかけた。

「ここのところ依頼がひっきりなし。次のクライアント様は誰かしら」

 姚は、倉庫にぽつんと残された薄型テレビの背面を触って電源を入れた。

 すぐにYouTubeの画面が表示された。

 姚は、画面を指で差した。

「次のクライアントだ。《エーテル・ライブ・プロダクション》。VTuber事務所だ。警告書が届いたので、対処して欲しい、との連絡だ」

 未来は首を傾げた。

「何が侵害だって話なの」

「この子だとさ」

 姚が指差した画面を未来は凝視した。

 皆川が電源を切った後も、動画はずっと裏で繰り返し再生されていた様子だった。

 ディスプレイの中ではただ一人、天ノ川トリィが、渋谷の夜景をバックに歌い、踊り狂っていた。

<第3回に続く>

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