日本一の規模を誇るVTuber事務所から仕事の依頼が! 謎につつまれたVTuberの世界とは?/特許やぶりの女王 弁理士・大鳳未来③

文芸・カルチャー

公開日:2022/3/5

 未来はミレディを凝視した。

 コンピュータ・グラフィックだが、手描きのアニメ絵にかなり近い。可愛い、と表現しても問題はない。

 映像の全体を見た。

 画面の右側三分の一を占めている、小さな字のコメントが、物凄いスピードで流れていく。速すぎて読めない。

 画面左下には、『同接数六八五七四人』と表示されている。

 音声は聞こえないが、売れ筋商品の紹介をしている様子だった。背後に大量のカップ麺の画像が映っている。

 眺めていると、棚町が訊ねた。

『ひょっとして、VTuberにはあまり馴染みがありませんか』

 未来は素直に答えた。

「専門ではありませんが問題はありません」

 棚町は、少しだけ間を空けてから訊ねた。

『初音ミクはわかりますか。わかるとしたらどの程度ご存じですか』

 未来は即答した。

「登録商標です」

 スピーカーから、微かに溜息が聞こえた。

『初音ミクはボーカロイドの名称です。ボーカロイドとは、合成音声技術に関するソフトです。もっとも現在、初音ミクは独自の設定や性格を与えられ、製品名ではなくキャラクタとして一人歩きしていますが』

 未来は思わず反論した。

「もうすでによくわからないので、わかる範囲でお答えします。『ボーカロイド』も登録商標です。一般名称ではありませんので、使用はご注意ください」

 今度は溜息がはっきりと聞こえた。

『ではキズナアイ、はわかりますか』

 記憶を全部ひっくり返したが、覚えはなかった。

「最近の登録商標を全て把握しているわけではありませんから」

『商標から離れてください』

 棚町の声とともに、廊下を挟んだ反対側のスクリーンが明るくなった。

 頭にハート形のリボンを結んだ少女のキャラクタが表示された。

 どこかで見た覚えがあった。テレビのCMにも出ていたキャラクタだ。

『我々エーテル・ライブの所属ではありませんが、キズナアイは最初のバーチャルYouTuberと呼ばれています。バーチャルYouTuber、略してVTuberです。もっともキズナアイ自身は、自分をVTuberとは呼びませんが』

 スクリーンの中では、キズナアイが怖そうなゲームをプレイしている。薄暗い洞窟で、物陰から突如現れたゾンビをピストルで撃っている。

 音声は聞こえないが、キズナアイの表情はコロコロと変化している。

 キズナアイのゲームプレイ動画を眺めていると、棚町の声が響いた。

『VTuberとは、YouTuberの一種です。しかし実在する人間ではありません。漫画やアニメのキャラクタのほうが近いです。アニメのキャラクタが、ストーリーの制約から解放されて自由に生きているようなものです』

「キャラクタは誰が動かすのですか。声優もいるのですか」

『裏で動かす人がいます。声優もいます。両者は同じ場合がほとんどですが、別々に用意する場合もあります。ただしこの事実は、キャラクタ性が薄くなるため公表しません』

 未来は、移動中に思っていた疑問を率直にぶつけた。

「VTuberは、どうやって儲けているのですか?」

『基本はYouTubeからの収入です。一つは広告収入。一回の再生でいくらの収入です。二つ目はスーパーチャット。ライブにおける投げ銭の収入です。弊所の売上の特徴としては、投げ銭の割合が多い。あとはグッズ販売やテレビ番組の出演などで得る収入です』

 投げ銭についても、未来はかろうじて知っている。YouTubeのライブ配信では、配信者にチップ替わりの電子送金ができる。

 棚町が続ける。

『約三百万人のチャンネル登録者数がいるキズナアイであれば、動画再生数、チャンネル・メンバーシップの月額料金、テレビ番組の出演などで、年収は一億円を軽く超えます』

 キズナアイのスクリーンから光が消えた。

『投げ銭といえば、ミレディは先月、五分間で約一〇九・八万円の投げ銭を稼ぎました。特許事務所の弁理士は、五分でいくら稼ぎますか』

 未来の胸の中には、仮想的な器がある。ガラス細工の見事な器だ。特定の出来事に反応すると、器の中には、どす黒い液体がこぽこぽと溜まっていく。

 今の棚町の台詞で、器は八割まで満たされた。

 未来は適当に計算し、ぶっきらぼうに答えた。

「四一六六円くらいでしょうか」

 二秒ほど間をおいて、棚町が冷徹に答えた。

『時給五万円ですか。米国の特許弁護士と同等ですね。ご存じですか。オックスフォード大と野村総合研究所の研究によれば、弁理士業が二十年以内にAIに代替される可能性は九二・一パーセントとか』

 ガラスの器は完全に満たされたが、表面張力でなんとか溢れずに済んでいる。

「そろそろ本題に入っていただいても構いませんか。警告書が届いたんでしょう。早く拝見したいです。もし弊所がお気に召さなければ、他の事務所を当たってください」

 監視カメラは、沈黙した。

 何分くらい経ったか。三十秒程度だったか。静寂の後、棚町の声が再び響いた。

『申し訳ありません。我々としても、警告書は初めてです。混乱しています。勝率が高くてすぐに引き受けてくれる法律事務所を探したところ、貴所が見つかりました』

 視界の端で、ミレディがカップ麺を前に笑顔を見せていた。

 未来はレンズに向かって微笑んだ。

「せっかくですし、お互いにお顔を合わせてお話できれば。立ち話で済む内容とは思えません、というか立っているのは私だけな気がしますし」

 棚町は、ツマミ一つ分だけボリュームを落としたような声で訊ねた。

『一つだけ確認させて下さい。ミスルトウは成功報酬以外受け取らない、とは本当ですか』

 未来は呆れて答えた。

「弊所のサイトに書いてある通りです。成功報酬のみ。着手金不要。報酬は負けた場合に支払う賠償額の三十パーセント。訴訟はさせずに解決します。万が一、訴訟に持ち込まれた場合、第一審までは無料で代理します」

 例えば、相手から一千万円の損害賠償請求をされた場合。相手を完全に追い払えれば、ミスルトウの報酬は三百万円となる。

 棚町は即座に続けた。

『負けた場合、本当に代理人手数料はビタ一文払わなくていいんですね』

 面倒だが契約に関する話なので、きちんと頷いた。

「珍しい話でしょうか。保険のセールスも御社のVTuberも同じ。売上があって初めて給料が賄えるわけですよね。我々の場合、売上ではなくどれくらい損失を食い止めたかですが」

 棚町の質問は続いた。

『大鳳先生も姚先生も、元パテント・トロールとは本当ですか』

 未来は静かに答えた。

<第4回に続く>

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