なぜか朝食に現れなかった宿泊客。昨夜、最後にやって来た怪しげな宗教家の部屋を訪ねると…/密室黄金時代の殺人 雪の館と六つのトリック⑤

文芸・カルチャー

公開日:2022/3/7

 神崎の泊まる部屋は東棟の三階にあった。二階と同じく毛足の長い絨毯が敷かれた廊下を、僕と夜月と詩葉井さん─、そして蜜村の四人で進んでいく。

 神崎の部屋は『雪白館密室事件』の現場となった部屋の真上に位置していた。そしてその部屋の扉には、詩葉井さんの言った通り一枚のトランプがテープで貼り付けられていた。数字の面を表にしている。トランプはハートの『A』だった。

「確かに妙ですね」僕は改めてそんな感想を述べると、トランプを扉から剥がした。数字が書かれたのとは逆の面には、ウサギとキツネがお茶会をする奇妙な絵が描かれていた。どうやらプリントではなく手描きであるらしい。高級な絵葉書のように水彩で描かれていて、右隅には作者のものと思われるサインまで入っていた。

「高そうなトランプだね」と夜月が言った。

「確かに、悪戯にしては奇妙かも」カードを覗き込んで蜜村も言う。

 そのタイミングで、扉の向こうから男の悲鳴が聞こえた。耳をつんざくような音量で、居合わせた僕たちは皆びくりと肩を震わせる。僕は咄嗟に扉のノブを掴んだ。回して内開きの扉を押すが、びくりともしない。鍵が掛かっている。

「部屋の鍵は?」と僕は訊く。「神崎様が持っています」と詩葉井さんは答えた。それはそうだ─、と遅ればせながら気付く。ここは神崎の部屋なのだ。鍵は神崎が持っているに決まっている。

「じゃあ、マスターキーは?」

 続く僕の質問に、詩葉井さんは首を横に振った。

「東棟の部屋にはマスターキーはないんです。西棟にはマスターキーがありますが、西棟と東棟では鍵の体系が異なっていますので。だから、西棟のマスターキーでは、東棟の部屋の鍵は開けられません」

 その話を聞いて、僕は少し妙な気分になった。あれ? この説明、前にも聞いたことがあるような。

「じゃっ、じゃあ、合鍵は?」焦ったように夜月が言う。「合鍵はないんですか?」

「合鍵はありません」詩葉井さんはまた首を振った。「この雪白館の鍵はすべて、極めて特殊なものが使われていますから。合鍵を作ることは不可能なんです」

「ということは、部屋に入るには、窓を破るしかないということですか?」蜜村がそんな風に言うと、「いえ、それもできません」と詩葉井さんは苦い顔をした。

「窓には格子が嵌まっていて、人が出入りすることはできないですから」

「じゃあ、いったい、どうやって中に入れば……、」

 その場に沈黙が落ちる。……、となると、残る手段は、もう─、

「おいっ、何があったんだっ!」

 そのタイミングで東棟の廊下に探岡がやって来た。迷路坂さんや他の客たちもいる。神崎を除く、今この館にいる全員が集まったことになる。

 僕は彼らに状況を説明した。扉に貼られていたトランプのこと。中から聞こえた悲鳴のこと。扉の鍵を開ける手段はなく、窓からの出入りもできないこと。

 となると、部屋の中に入る唯一の方法は─、

「扉を破るしかないということか」と探岡は言った。そして詩葉井さんに視線を向ける。「かまいませんか?」

 詩葉井さんは、こくりと頷く。

「やむをえません。お願いします」

 僕と探岡で扉の前に陣取る。そしてノブを捻ったまま勢いよくぶつかった。扉が軋みを上げる。その数が十回に届いたところで、ようやくと扉は開いた。その勢いで僕と探岡は部屋の中に転がり込む。

 室内は真っ暗だった。やがて天井の照明が灯る。迷路坂さんが点けてくれたようだ。

 部屋の中に神崎はいない。

「もしかして、あっちの部屋じゃないですか?」そう言ったのは、梨々亜のマネージャーの真似井だった。彼の指は入口から見て左手の壁に設えられた扉を差していた。どうやら神崎の泊まっているこの部屋は、客室が二部屋ある構造らしい。つまり、あれは隣室に移動するための扉。今はその扉は開きっぱなしになっている。扉は壁の中央よりも右側に─、つまり、入口から見て奥側に設置されていた。

 皆で恐る恐るその扉に進む。最初に隣室を覗き込んだのは僕だった。隣室の照明は、入口のある主室の照明と連動しているようで、主室の電気を点けたことで今は隣室の照明も灯っている。

 だから、それはよく見えた。

 灯りに照らされた男の姿─、それは宗教服を着た神崎の死体だった。

 誰かの叫びが室内に響く。それは梨々亜の声だった。その悲鳴は、昨夜の生意気な彼女の姿とは似ても似つかないもので─、

 でも、その悲鳴は僕の耳から逃げていく。梨々亜が叫ぶよりも一瞬早く僕はそれを見つけていて、だから周囲の音が希薄になるほど僕の思考は混乱していた。

「冗談だろ?」そう呟いて、死体から少し離れた位置に落ちていたそれを拾い上げる。その僕の姿を見た探岡が慌てたように近づいてくる。そして僕と同じセリフを放った。

「冗談だろ?」

 ああ、確かに、これは何かの冗談だろう。だって、今僕が手にしているのは─、 しっかりと蓋の閉められた、カメラのフィルムケース大のプラスチック製の小瓶。

 そしてその小瓶の中には鍵が入っている。確かめるまでもなく、この部屋の鍵だろう。

「模倣犯か」と探岡が言う。僕はこくりと頷いた。

 ああ─、確かにこれは模倣犯だ。ただし、トリックのわからない─、未解決事件をもとにした。

 僕は鍵の入った瓶を睨んで言う。

「この事件は『雪白館密室事件』の再現です」

<続きは本書でお楽しみください>

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