80年代若者にカルト的人気を誇った村上龍の大傑作。コインロッカーに捨てられた孤児の破壊と復讐の物語『コインロッカー・ベイビーズ』を2026年に読むべき理由
更新日:2026/3/19

1980年は社会が“うまくいっているふり”をやめるようになった年だった。この年、世界ではソ連のアフガニスタン侵攻が本格化し、モスクワ五輪のボイコットが起こり、イラン・イラク戦争が勃発し、ジョン・レノンが銃殺された。
日本では高度経済成長の余韻が消えて、価値観が静かに変わり始めた。同年に起きた新宿西口バス放火事件は、経済的成長の裏側で孤立し、置き去りにされた人々の存在を突きつけた。そんな1980年に発表され、第3回野間文芸新人賞を受賞した小説が『コインロッカー・ベイビーズ』(村上龍/講談社)だ。

この作品は、1970年代に日本国内で同時多発的に発生し、社会問題となった、コインロッカーベイビー(鉄道駅などのコインロッカーに遺棄された新生児)を題材としている。生後間もなくコインロッカーに捨てられ、その後蘇生して乳児院で養育された後、西九州の離島に住む夫婦に引き取られて育った、キクとハシの破壊衝動と復讐を描いた小説だ。
講談社文庫で567ページもある長編小説だが、圧倒的なパワーで読み手を引っ張り続け、最後は怒涛の勢いになる。一言で言うならサイケデリック。文庫の帯にピース又吉直樹が「衝撃でした。物語が爆音で響いていました」とコメントを寄せているが、まさしく、音、色、形の洪水、暴力と破壊のオンパレードともいえる小説だ。
身体の障害や人権にかかわる差別的な表現や、性的な表現が多いので、2026年の今読むとぎょっとしてしまう。若い読者は「80年代の日本って、こんなこと書いても大丈夫な時代だったの?」と驚くかもしれない。エログロな描写で気分が悪くなる人も多いだろう。
しかし、本作を粗暴で未成熟な40~50年前の日本を舞台にした古い作品だと考え、今の社会はもっと穏やかでマチュアであると断じるのは早計だ。主人公のキクとハシは倫理観を差し置いた経済最優先の社会に生じたゆがみの象徴ともいえるが、2026年現在、生成AIが急進展するなか、よく似た社会構造のゆがみが生じてはいないだろうか。
かつては、効率や利便性、発展が善とされる高度経済成長の裏側で、都市化や孤立、格差が進み、社会制度や倫理が人間の変化に追いつかなかった。そして、現在は、速度やスケール、生産性が重視され、生成AIによる自動化やアルゴリズムによる最適化が進む一方で、人間の尊厳や役割が再定義されないままでいる。
コインロッカーの中の名前を持たない赤ん坊は「個」を識別されないが、それはデータ化される現代人の姿とも重なりはしないだろうか。SNS、AI生成コンテンツ、アバター、仮想人格……名前や身体を持たないまま発言や労働が流通し匿名性が拡張された結果、人間が置き去りにされたり、存在しないことにされたりすることに、私はそら恐ろしさを感じる。
生成AIは人間を助けるのか、それとも再び「見えなくする」のか。先行する技術革新に、社会は追いつけるのか。2026年の今だからこそ、「人間とは何か」という問いを40年以上前から先取りしている『コインロッカー・ベイビーズ』を読む理由がある。
文=ayan

