私がお母さんを幸せにしなくちゃ。だってお母さんの幸せは私の幸せだから――当事者から見えない虐待を描く母娘の物語『虐幸のくるちゃん』【書評】
PR 公開日:2026/5/13

くるちゃん(14歳)は恵まれている。
裕福な家庭、おいしい食事、きれいな家。学校では友達にも恵まれていて、周りから見れば何ひとつ問題のない、むしろ羨ましいくらいの環境にある。くるちゃん自身それを自覚していて、私はかなり恵まれていると思っている。
だからだろうか、くるちゃんはとても家事を手伝う。夕食後の食器洗いに翌日の朝食の準備。仕事で疲れている母親を気遣っては、とめどなく吐きだされる愚痴を聞いてあげる。それでも足りない。全然足りない。私はお母さんを幸せにできていない。くるちゃんは、いつもこう思っている。
どうすればお母さんを、もっともっと幸せにできるだろう――。
読み切り短編『正しさの行方』で第87回ちばてつや賞一般部門に入選した木陰ひな田氏。『コミックDAYS』で連載中のデビュー作『虐幸のくるちゃん』(講談社)第1巻が発売された。その解像度の高い“見えない虐待”描写に震撼させられる。
くるちゃんこと主人公の來未は、いつも母親を気にかけている。
朝、どんな言葉をかければいいか。帰宅したとき、どんな話題を提供したら喜んでもらえるか。読みはじめの時点では母親思いの子なんだな、と感じる読者もいるだろう。
「お母さんの幸せは私の幸せ」
その信念のもと、彼女は自分の感情を後回しにして行動する。そうして読み進めるうち、次第に違和感がにじんでくる。
なにげなく、ではなく確信的にひどい言葉を娘にぶつける母親。
そして、自分がいたらないからお母さんを不機嫌にさせてしまったのだと反省する來未。気分屋というレベルを超えて感情にムラがありすぎる母に対し、いっさい意見をしない父。そんな父を、くるちゃんは内心で軽蔑している。お父さんではお母さんを幸せにできない、と。
だから私がお母さんを幸せにしなくちゃ。だってお母さんの幸せは私の幸せだから。

この母娘を少し引いて眺めると、べつの輪郭が浮かび上がってくる。おそらく來未の母は、自分では気づいていないかもしれないが、娘を憎んでいるようだ。自分と違って“恵まれている”子だから。
おいしいごはんを用意してもらい、習い事もやらせてもらい、お金の心配をすることもない環境にある來未を――自分が子どもの頃に持たなかったものすべてを持っているから――妬んでいる。
お母さんは、くるちゃんが幸せになるのが許せない。自分だけ幸せになる気? あんたは私を幸せにするために生まれてきたのよ――。そんな本音が透けて見える。


來未はひたすらに「いい子」であろうとする。
母を喜ばせるため努力し、期待に応えようとする。想いを寄せあう相手とのつながりを諦め、習い事をやめることも、進路を変えることも、自らの選択として受け入れていく。つらいけど仕方がない。だってお母さんがそれを望んでいないから。そこが、読んでいて一番つらい。

作中で第三者が、來未の母のしていることは「虐待だ」と指摘する場面がある。けれど來未はそれを受け入れない。虐待ではない、自分がもっと頑張ればいいだけのこと、と。だって自分が母に虐待されているなんて、愛されていないだなんて、どうして認められようか。分かる、分かるよ、くるちゃん。
描線はやわらかく、登場人物たちの表情はふんわりと愛らしい。だからこそ、その内側にある感情の烈しさに圧倒される。
これは、それほど特別な家庭の話ではないのかもしれない。誰かの期待に応えようとしたことがある人なら、どこかで覚えのある感覚ではないだろうか。
――ああ、これ、しんどかったやつだ……と。
文=皆川ちか
