自分の証言が殺人事件の冤罪の原因に? 人種差別、性暴力、グルーミング……弱者が直面する不条理を描いた海外ミステリー【書評】

文芸・カルチャー

PR 公開日:2026/6/26

あなたに訊きたいことがある
あなたに訊きたいことがある(レベッカ・マカーイ:著、中谷友紀子:訳 / 文藝春秋)

 もし、あの時こうしていたら。私があんなことを言わなければ。小さなものから大きなものまで、何かしらの後悔は、生きる限り付きまとう。

 短編集『戦時の音楽』(藤井光:訳/新潮社)でピュリッツァー賞フィクション部門の最終候補となったレベッカ・マカーイ氏が新たに送るのは、過去に起きたある事件の真相をめぐるミステリー小説だ。『あなたに訊きたいことがある』(中谷友紀子:訳/文藝春秋)のタイトルになぞらえて、主人公のボディ・ケインが、折に触れて「あなた」に語りかける。

 映画論の教授であり、ポッドキャスターでもあるボディのもとに、かつての学び舎の全寮制学校「グランビー校」から講座依頼が届いた。ボディは申し出を受けたが、彼女にとって、母校で過ごした数年間は屈辱にまみれた日々であった。それだけではなく、忘れがたい事件も起きた。ボディのルームメイトだったセリアが殺害されたのである。

 当時、セリア殺害の容疑で職員のオマー・エヴァンズが早々に逮捕された。しかし、エヴァンズが黒人であったことから、SNS上では人種差別による冤罪の可能性があるとまことしやかに囁かれていた。ボディは、ポッドキャストと映画論の講座を通して、図らずも事件に再び向き合うこととなる。

 ボディの教え子たちがセリアの事件を取り扱う中で、ボディ自身も過去に深く潜ることを余儀なくされた。それは、ある種の苦痛をもたらす時間であり、同時にボディの中にある後悔を取り除くための時間でもあった。ボディは長年にわたり、自分のある証言がもとでオマーに疑いの目が向いたのではないかと悔やんでいた。また、ボディには、オマー以外に怪しい人物に心当たりがあった。しかし、そのことを警察に話す機会を持てないまま、時は流れた。

 事件当時、ボディはまだ10代の少女であった。ほかの登場人物も含め、誰もが未熟で、混乱していて、己の中に潜む違和感を言葉にするのに時間がかかる年頃であろう。だが、その結果、一人の無実の若者が刑務所に何十年と拘束されたのだとしたら。その可能性がゼロではないと気づいてしまったら、見てみぬふりをして生きるのは相当な苦痛を伴う。

 事件の真相に向き合う中で、ボディは何度も痛みを味わう。「解決済み」とされていた事件を掘り起こしたことで世間の批判に晒され、己の非力さを痛感し、それゆえに「一線を越えようとする」瞬間までも訪れる。雪崩のように迫りくる感情の波に翻弄されながらも、ボディは歩みを止めない。セリアの事件に向き合う最中、夫が世間から向けられた疑惑もまた、ボディを悩ませる。外側から見る事件と、内側から見る事件。人間は、己の立ち位置によって考え方が反転する。本書は、そんな人間の不完全さを露にし、私たちに問いを投げかける。

社会的弱者が強いられる不条理な実態

 過去の回想と現在を行ったり来たりしながら、女性が置かれやすい理不尽な状況をあらゆる角度から描き出している点も興味深い。性暴力、脅迫、嘲笑、グルーミング、暴力、殺人。セリアの事件にとどまらず、ボディが想起するさまざまな事件や事象が物語の端々に差し込まれる。それらはあまりにも理不尽かつ残虐で、社会的弱者が強いられる不条理な実態が浮き彫りになる。ボディ自身が学生時代に受けた屈辱の数々もまた、ありがちなエピソードだからこそ、読者の胸を掻きむしる。

“女の子はみんな利用されて捨てられるただの肉体なんだ、肉体があるからつかまれるんだ、肉体があるから壊されるんだ――”

 セリアが亡くなった時、当時のボディはそう思った。そう思わざるを得ないほど理不尽なことが、彼女の周りで、いや、おそらく全世界のあちらこちらで起こっていた。それは過去形ではなく、現在進行系である。「冗談」という便利なフレーズに隠された“被害”が、この世にはあふれている。

 人種差別や性暴力は、呆れるほど私たちの身近にあるもので、特段目新しい痛みではない。だが、被害にあった側は、終生にわたりその記憶に縛られる。もしくは、人生そのものを破壊される。本書が投げかける問いは、決して一つではない。多岐にわたる問いの解決案は、容易に見つかるものではないだろう。しかし、私たちは諦めてはならないのだと思う。本書で描かれるあらゆる痛みに対し、「しょうがない」で済ませてはいけない。

“よく眠れている?
夢を見る?
その夢のなかに、許しはある?”

 ボディから「あなた」への問いは、読者である「私たち」に向けた問いでもある。目を背けず、他者の痛みに向き合う大人が一人でも増えたなら、セリアのような結末を迎える人間は、きっと減るだろう。

文=碧月はる

あわせて読みたい

あなたに訊きたいことがある (文春e-book)