江戸川乱歩賞を最年少受賞した“Z世代のアガサ・クリスティー”荒木あかね。新作は人生の謎を描くミステリ短篇集『おむこさんは殺人鬼』【書評】
PR 更新日:2026/7/29

短篇集なのに、どれも本格的。意外な真実にあっと驚かされ、何より主人公たちの気持ちの変化にハッとさせられる。読み始めた時に抱えていたモヤモヤはどこへやら。ああ、なんて爽快な気分なのだろう。こんなミステリを、私は待っていた。
そう思わずにはいられなかったのが、『おむこさんは殺人鬼』(文藝春秋)。『此の世の果ての殺人』(講談社)で江戸川乱歩賞を最年少受賞し、「Z世代のアガサ・クリスティー」と称される荒木あかねさんによる新作短篇集だ。この本は「忙しくて、じっくりミステリを読む時間がない」という人にこそ、おすすめしたい。収められているのは、人生の転機に差しかかった人々をめぐる謎。短篇集とはいえ、この1冊には、本格ミステリの技法と、人間心理に対する深い洞察がぎゅっと詰まっている。とりわけ、いま何かの選択を迫られている人、人生の分かれ道に立っていると感じている人には、ひとつひとつの作品が胸に深く刺さるはず。そして、読み終えた後には、不思議と前を向く力が湧いてくる。晴れやかな余韻が、全身に満ちていくのだ。
婚約者は殺人鬼なのか? 「おむこさんは殺人鬼」
たとえば、表題作「おむこさんは殺人鬼」の主人公は、結婚を決めたばかりの30歳、麦野加奈。幸せの絶頂にいるはずの彼女の心をいま占めているのは、「わたしの婚約者は殺人鬼かもしれない」という恐ろしい疑念だった。婚約者は、神奈川県警の優秀な警察官。横浜市内の単身公舎に住んでいるはずなのに、加奈は、自身の休みの日に東京都大田区の鵜の木駅で彼の姿を見かけた。だが、その日の夜「今日は何をしていたの?」と問えば、彼は「ずっと仕事だった」と言う。神奈川県外の捜査を担うはずのない婚約者が、どうして鵜の木駅にいたのだろう。同じ頃、婚約者の爪の間には土のようなものが詰まっていたし、カバンの中には、血がついたシャツが押し込まれたビニール袋が入っていた。そして、しばらく経った後、彼を目撃した鵜の木駅に近い公園で、死後2週間が経過した女性の変死体が見つかったのだ。
この物語を読み始めた時、加奈の言動にちょっぴりイライラするのは私だけではないはずだ。だって、加奈は、結婚のことばかり気にしているように見えるから。加奈は結婚を機に仕事を辞める予定だから、彼が殺人鬼でなければ、たとえ浮気をしていても許すつもりでいる。そんな彼女の姿に苦々しいものを感じずにはいられない。だが、加奈は、この事件によって変わっていく。その後も不審な行動を取る婚約者の後を尾行した加奈は、彼が殺人の道具としか思えない物品を買い漁った後、見知らぬアパートに入っていくのを目撃する。その直後、彼女は白髪頭の不思議なおばあさんに声をかけられて……。まさかこんな展開を迎えるだなんて。「こんなものをわたしのゴールにするわけにはいかないんだよ」――力強いその言葉に、胸の奥にあったわだかまりがすっとほどけていくようだった。
気が合わないはずの相手が、意外な気づきを与えてくれる
ささいに思える違和感が大きな事件へとつながっていく。そんなミステリとしての面白さもさることながら、この短篇集は、描かれる人間関係に強く惹かれてしまう。主人公が、絶対に気が合わないはずの人物と心を通わせていくさまが、いくつもの物語で鮮やかに描かれていくのだ。深夜の長距離バスの車内で、刃物で脅してきた女と脅される女の「同好のSHE」。何者かに殺された継父が、最期に息子に残した言葉をめぐる「答え合わせ」。新幹線の中で車内販売を行う優秀な女性パーサーと、ここ十年で最も不安と言われる新人の「置き去りイヤリング」。58歳のベテラン刑事と、軽薄そうに見える30代半ばの刑事が、不審な女の取り調べに挑む「震える箱」。どうやったって仲良くはなれそうにない相手が、気づけば、かけがえのない人物になっている。どんな人とも、きっかけがあれば、打ち解けられるものなのか。「あの人とは合わない」なんて決めつけは良くないのかもしれない。ふと、そんなことを実感すると、それまでとは少し違う景色が見えてくる。
謎が人を強くする。読後に残るのは、晴れやかな爽快感
「この謎は、私を強くする」。この短篇集にはそんなコピーが添えられているが、まさにその通りだ。謎が主人公たちを強くする。主人公たちを変えていく。その過程は、なんて痛快なことか。読み進めるほどに胸のつかえがほどけ、視界が少しずつ開けていく。読後には、なんともいえない爽快感が残る。短篇小説で、こんなにもスカッとした気分にさせられるとは思わなかった。
忙しい日々の合間に、ほんの一篇読むだけでいい。謎が解けるたび、凝り固まっていた気持ちまでほどけていく。“人生の謎”に挑むそんな短篇集を、あなたの傍らにもぜひ。
文=アサトーミナミ
