葬儀社勤めの親友に、故人が遺書で依頼したこととは。家族葬専門の葬儀社をめぐる町田そのこの感動作『夜明けのはざま』【書評】
PR 公開日:2026/9/3

「人生で間に合ったことと、間に合わなかったこと、どちらが多いだろう」。
文庫版の帯に書かれたその言葉を目にしたときから、この本が私にとって特別な一冊になる予感がしていた。そして、やっぱりそうだった。読み進めるほどに、胸の奥にしまっていた後悔が、ひとつずつ言葉になり、輪郭を得ていくようだ。私自身、数年前に、父を突然亡くし、今もまだ後悔ばかりを抱えている人間だ。あの頃は「どうして私だけが」とこの世界を恨んでいた。だが、自分だけのはずはない。喪失と後悔を抱えて生きる人は、この世界に無数にいるはずだ。
『夜明けのはざま(ポプラ文庫)』(ポプラ社)は、家族葬専門の葬儀社「芥子実庵」をめぐる連作短編集。どうして町田そのこ氏は、こんなにも人の痛みをありありと描けるのか。大切な人を失う悲しみ。幸せになりたいからこそ生まれるすれ違い。譲れないものを抱えて生きる難しさ。そんな苦しみを描きながらも、それでも生きていこうと思わせてくれる一冊だ。
失ってから気づく、見えていなかったもの
この本を読んで改めて思う。どうして人は死なねばならないのだろう。こんな悲しいことってない。しかも、死は、生きているあいだには見えなかったものまで、残酷にも浮かび上がらせていく。
たとえば、物語の中心となる「芥子実庵」の葬祭ディレクター・真奈は、恋人・純也からプロポーズされる一方、「結婚するなら仕事を辞めてほしい」と言われる。仕事も、恋人も手放したくない。そう揺れるさなか、親友・なつめが亡くなり、なつめは遺書に、自らの葬儀を真奈に任せたいと書き残していた。
小説家だったなつめは、生活のため風俗店でも働き、客と心中したらしい。真奈はその仕事を知っていたが、そこまで苦しんでいたとは知らなかった。親友・楓子は、なつめが風俗店で働いていたことさえ知らなかった。「言ってくれたらよかったのに」「あたしはどんななつめでも大好きで」と咽び泣く楓子の姿が、ただただつらい。聞きたいことも、話したいことも、あとからいくらでも出てくるのに、もう答え合わせはできない。その後悔が、どうしようもなく身につまされる。
「それくらい」が、誰かを傷つける
だが、本書が描くのは、大切な人を亡くしたあとに残る後悔ばかりではない。生きてそばにいる人のことさえ、私たちは本当に理解できているのか。自分の気持ちでさえ、誤魔化してしまっていないか。そんな問いを、この物語は苦しいほどまっすぐに投げかけてくる。
なかでも心に突き刺さるのが、真奈と純也の関係だ。純也は真奈に「何も死体に関わるような仕事じゃなくてもいいだろ」「仕事くらい。それくらい譲ってくれたっていいだろ」と当たり前のように言う。けれど真奈にとって、葬儀社の仕事は「それくらい」で済ませられるものではない。真奈の働く姿を追ううちに、この仕事が彼女にとってどれほど大きな意味を持つのかが、ひしひしと伝わってくる。
それなのに、真奈は純也や周囲の期待に応えようと、自分の本当の気持ちから目を逸らそうとする。
ただ、これは単純に「古い価値観の男が女の生きがいを踏みにじる」というだけの話ではない。なぜか元夫の恋人の葬儀を手伝うことになった花屋も、夫との関係に迷うさなか元恋人の訃報を受けた主婦も、かつて愛した人があのとき何を望んでいたのかに、何年もたってから気づく。
私たちはいつだって愛する人に、自分の理想を重ねてしまう。だが、その人にとって本当に大切なものを見落としてはいないか。自分には些細な「それくらい」が、相手にとっては決して「それくらい」ではないかもしれない。考えれば考えるほど、人と分かり合うことは、こんなにも難しいのかと途方に暮れそうになる。
「間に合わなかった」その先に
それでも、本書はどこまでも温かい。「自分の情けなさに、歯嚙みをしたことのない人間なんていない」。その言葉が、静かに全身に沁み渡る。私たちは、生きれば生きるほど、何かを失い、ときには目の前にある大切なものさえ見過ごしてしまう。けれど、すべてを失うわけではない。砂のように大切なものが指の間からこぼれていったあとにも、手のひらには何かが残っている。死を見つめることは、自分がどう生きたいのかを問い直すことでもあるのだろう。
情けない自分を抱えて、失ったものを見つめて、どう生きていけばいいのか。登場人物たちが迷い、傷つき、歩き出そうとする姿に、その答えを探す私たちも励まされる。失ったものの前で途方に暮れる夜にも、いつか朝は来る。この本、『夜明けのはざま』は、きっとあなたにも、そう信じさせてくれるだろう。
文=アサトーミナミ
