“ハッピーエンド”ばかり読むのは危険!? なぜ絶望した時に「絶望読書」が必要なのか? 【著者・頭木弘樹さんインタビュー】

文芸・カルチャー

更新日:2017/11/14

 人生には絶望の本が必要だ。これはもう、なんと思われようとも、絶対に必要なのだ。

できれば、絶望なんてしたくない。誰でもそうだろう。だけど、もし、目の前が真っ暗になるような闇の中へ突き落されてしまったら……。どう向き合っていくか。どうすればいいのか。全く分からなくなってしまうだろう。その時に、絶望の本は、真っ暗な闇に輝く、一点の光となるのだ。

絶望読書』(頭木弘樹/飛鳥新社)は、「絶望の真っただ中にいる人」には「一緒に落ち込んでくれる本」であり、「まだ、絶望をしていない人」にとってはいざ、絶望の淵に立たされた時の予習になる、いまだかつて存在しなかった「絶望を応援する本」なのだ。

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今回、「絶望の物語を知っておくことが大切だ」と強く訴える著者、頭木弘樹さんにインタビューを敢行した。

頭木弘樹氏

頭木さんは現在、沖縄県宮古島で生活をおくっている。「昔ばなし」と「海」がある宮古島に惹きつけられ、東京から移住したという。磨かれていない原石のような「物語の原型」ともいえる「昔ばなし」を頭木さんは愛しているという。

それだけ聞くと、頭木さんは読書が大好きで、宮古島で悠々自適の生活をしているように思う。だが、頭木さんは元々活字嫌いで、本もそれほど好きではなかった。そんな著者がなぜ、「絶望をすすめる本」を出版するに至ったのか。

「絶望」は右肩上がりに回復していくものではない

頭木さんは20歳、大学三年生の時に難病を患い、医師から「一生、治らない病気」だと宣告をされた。前途洋々だった未来は一瞬にして闇の中。つらい闘病生活を強いられることになった。

そんな折、「絶望」は「瞬間」ではなく「期間」であることに気が付いたという。苦しい絶望の期間を、どう過ごせばいいのか。それを教え、暗く沈んだ自分に寄り添ってくれる本がほしいと、ご自身の経験から感じていたそうだ。

インタビューでも「絶望してもなるべく早く立ち直る方がいいと思っている人が多い」と頭木さんは語った。確かに、その通りだろう。できるなら、一刻も早く立ち直りたい。しかし、「絶望」は「右肩上がりに回復していくもの」ではないのだという。

「ちょっとは良くなっても、『横ばい状態』が続くことが多い。その状態は『絶望の高原』とも言える。平坦に続く苦しい状態。そこから抜け出せないで悩んでいる人が多い。そういう状態があることを知ってほしい」というのが、本書を執筆する発端だそうだ。

「絶望」の時こそ、「絶望の物語」が必要なわけ

さて、では、どうして「絶望の時に絶望の物語」が必要なのか。

つらい時こそ、楽しい気持ちになりたいのでは? と思う方もいるかもしれない。

もちろん、明るいポジティブな本が必要ないというわけではない。ただ、明るい物語は「立ち直りの段階に入ってから、はじめて心に届いて、励みになるもの」であり、「『絶望の期間』にあるときは、まぶしすぎて、かえって悲しくなり、心の負担となりかねない」のだ。「まずは絶望的な気分にひたりきること、沈んだときには、沈みきることが大切」と。

その絶望にひたりきる時、人はたいてい孤独なもの。悲しみは自分だけのものなのだ。心配してくれる家族、友人がいたとしても、長い絶望の期間を寄り添ってもらうことは難しい。けれど、ひとりで「高原」を歩き続けるのもつらい。そんな時、ずっと寄り添ってくれるのが「絶望の本」なのだ。

だが、昨今のメディアには「ポジティブの検閲でもあるのか?」と思うほど、明るいお話があふれている。シビアなお話でも、最後は「主人公が成功して終わる」「成長する」物語がほとんどだろう。

主人公が「倒れたまま」終わる物語は、とんとお目にかからない。

「どうして最近の物語はハッピーエンドが多いと思いますか?」という質問に対して、頭木さんは「無理に暗いものを見ないようにしているのではないか」と答えた。

「いろいろ(つらいこと、苦しいことが)あるからこそ、なるべく暗いものを見ないようにしている。必ずしも幸せではないからこそ、そういったポジティブな作品が好まれている。そして、もし、絶望の事態になってしまったら、その時はその時でどうにかする。そして、なるべく早く立ち直ろうとしている」

確かに、不景気や震災、テロなど、世の中に暗い話題はつきものだ。せめて物語だけは明るく楽しみたいという気持ちが働くのかもしれない。

ネガティブを「封印」する必要はない

だが、ポジティブの物語ばかりになってしまうことに、頭木さんは危機感を抱いている。

「誰しも心に『フランダースの犬』がある。あれが最後生き返ってしまったら嫌だと思う。でも、最近はそれじゃ好まれないからといって、そういう作品を作らない。ネガティブなことが起きない方がいいのはもちろんそう。だけど、ネガティブを『封印』するのはおかしい。地震が起きるのが嫌だから、地震のことは忘れましょうと言っているようなもの、それは危険なことだと思う」

一方で、バッドエンドで終わる物語を求める人がいるのは事実だ。「そういったものを好む人の心理は、どういう理由があるのだろうか」と問うと、頭木さんは「現実を知りたいから」と、一言。「物語は現実逃避だと思われがち。それもあるけど、基本は『現実を知りたい』という欲求からきているのではないか。現実は楽しいことばかりじゃない。だから、絶望的な展開も読みたくなる」と。

子どもの頃は知らないことが多いので、好んで物語に触れようとする。大人になるにつれてあまり物語を読まなくなるのは、現実を知っていくからだとか。

だが、大人だからこそ、物語が必要な時もある。それは「思い描いていた未来像」が崩れ去ってしまった時だ。そんな時に、「自分の人生を書き換えるための『素材』」になるのが物語なのだ。もちろん、直接的に役立つわけではないが、様々な物語を知っておくことは、必ず「人生の書き直し」の指針の一つとして使える日がくる。ネガティブな物語を封印してしまうことは、「絶望した人生の書き直し」の素材を乏しくしてしまう可能性があり、危険なのだ。

最後に、頭木さんにこれから本書を読む人へ、伝えたいことをお聞きした。

「絶望と読書は関係なく思うかもしれない。絶望している時に本なんか読めるわけないだろ、と。その通り。すぐには本を読む気分にはならない。けれど、中々絶望から立ち直れない時、読書というのは必ず役に立つもの。切実に、救いになる本がある」

だからこそ、できれば、本当の絶望に落ちる前に、普段から絶望の本を知っていることが大切なことなのだ。

「自分は決して本好きではない。本好きだからそう言っているわけではない。本書は、むしろ本を読まない人に向けて書いている。……なのに、それを本で出しているのは、矛盾しているけれど(笑)。」

『絶望名人カフカの人生論』(頭木弘樹/飛鳥新社)

今回、様々なお話をお聞きして、なぜ絶望の本が必要なのかを実感することができた。

著者の作品には『絶望名人カフカの人生論』が続々重版の好評発売中。こちらは「絶望した時のための「素材」として読んでおくのもよい一冊だ。そして、絶望から少し立ち直ってきたかも、という段階には『希望名人ゲーテと絶望名人カフカ』をオススメする。正反対の2人の「名言対立」で、どちらに感情移入できるかを試してみるのも面白い。

『希望名人ゲーテと絶望名人カフカ』(頭木弘樹/飛鳥新社)

絶望から立ち直るために、世の中にもっと絶望の物語があふれるように。

取材・文=雨野裾