自閉症は「矯正」されるべきものではない――自閉症を新たな視点から捉え直す

社会

公開日:2017/5/17

『自閉症の世界 —多様性に満ちた内面の真実(ブルーバックス)』(スティーヴ・シルバーマン:著 正高信男、入口真夕子:訳)

 ここ数年、アスペルガーやADHD、自閉症といった発達障害に世間の注目が集まり、書店などでも多くの関連書籍をみかける。ちょっとでも子供の行動がおかしいと親も学校も「診断」をもとめようとする風潮があるようで、そんな状況を「発達障害バブル」と危惧する専門家の指摘もある。その功罪は別として、子供の「理解できない行動」をなんとかしようとする親や周囲の切実な気持ちが、そうした診断の希求につながるともいえるのだろう。

 ただ、そうやって安易に「診断」することは、時として悲劇を生むこともあるかもしれない。そんな側面を歴史から解き明かし、ある意味クールダウンさせてより広い視野を与えてくれるのが、講談社ブルーバックスの新刊『自閉症の世界 —多様性に満ちた内面の真実』(スティーヴ・シルバーマン:著 正高信男、入口真夕子:訳)だ。

 著者のシルバーマンはWIREDなどで執筆するアメリカのサイエンスライターであり、TEDで自閉症に関するプレゼンをしたりもしている人物。そんな彼の執筆した『Neuro Tribes』(原題は神経学的マイノリティの意)が、京都大学霊長類研究所に所属する霊長類学・発達心理学者の正高信男氏らによって翻訳されたのが本書。自閉症という名称が誕生する以前からさまざまな混乱を経て「ニューロダイバーシティ(脳多様性)」の一環と認める現在に至るまで、「自閉症の『夜明け前』」(正高氏のあとがきより)のような状況を克明に追う600ページを超える大長編だ。

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 正直、かなりのボリューム。だが、こうして全体を見渡すことで見えてくることに大きな意味がある。なぜ1900年代初頭にハンス・アスペルガーが行った先駆的な取り組み(自閉症の症状を認識し、その特異な能力を認めて「小さな教授」と呼び、のびのび生きる環境を用意した)が忘れ去られ、時期をほぼ同じくして自閉症児に注目したカナーの、無関心で冷酷な母親が引き起こす精神疾患と捉える「毒親説」が長く信じられてきたのか。そこには「自閉症」の第一人者であろうとするさまざまな関係者の思惑、納得する「原因」を規定し「治す」ことだけを目的とする医療現場のいびつさ、そして異端を排除しようとする社会の圧力が見えてくる。時に母親は悪者とされ、異常と診断された子は親と離され施設に入れられ(場合によっては一生)、その時代に流行した対処法(電気ショックなどの罰もアリ)で「治療」されていたにもかかわらず、ほとんど完治しなかったというのだからヒドい話だ。

 そんな時代に風穴があいたのは、映画『レインマン』(1988)の公開だ。映画人気で自閉症の認知が一般化し、診断法の改訂の影響もあいまって急激に自閉症者の数も増大したという。そして続くネット時代はコミュニケーション障害克服の大きな助けとなり、いまや自閉症者自身が声をあげる時代となった。そこで明らかになったのは、社会が彼らに強制した数々の治療は、実は症状を改善させるどころかかえって彼らを追い込み、居場所を奪っていたという呆然とする事実でもある。

 偉大な科学者や芸術家、シリコンバレーのIT長者たちには、おそらく自閉症と診断される存在が多くいると本書は述べる。むしろ彼らがいなければ、今日のような社会は作りだせなかったかもしれないし、社会にとって彼らの才能は大きな財産でもある。いまだ自閉症の原因や特効薬には辿りついていないとはいえ、もはや自閉症は「矯正」されるべきものではなく、社会が受け入れ「共生」するマイノリティだとする意味は大きいだろう。

 そういえば、いま大人気の映画『美女と野獣』の主人公・ベルも変わった女の子として周囲から浮いていた。「異端」を排除する社会のシステムは少女を精神病院へおいやり、異形の野獣は人々に狩られそうになる。精神医学の世界では、こうした行為がつい30年前まで普通だったと考えるとなかなかぞっとする話だ。あくまでも「科学ノンフィクション」の本ではあるが、その長い道のりを読み終えた時、まるで長編物語がハッピーエンドを迎えたかのような不思議な感慨があるだろう。

文=荒井理恵