『母さん、ごめん。』――50代独身男の壮絶な介護奮闘記

社会

更新日:2021/5/9

『母さん、ごめん。50代独身男の介護奮闘記』(松浦晋也/日経BP社)

 これからのご時世、「親が認知症になった」というのは、当たり前の経験になると思われる。しかし、その「当たり前」が「壮絶な苦労」になりうることを、まだ知らない人も多いのではないだろうか。『母さん、ごめん。50代独身男の介護奮闘記』(松浦晋也/日経BP社)は、取材記者や作家として活動する松浦晋也氏が体験した「母親の介護」を記した奮闘記だ。

■「貯金通帳がない」

 2014年の夏、松浦氏は53歳独身で、80歳になる母親と実家で2人暮らしをしていた。松浦氏は仕事に熱中する生活を送っており、本人曰く「家庭も作らず好き勝手に生きてきた」そうだ。そんな松浦氏の母親も本書を読む限り、絵に描いた「元気ハツラツのご老人」という印象。なんだかんだ仲良くやっている親子関係が思い浮かぶ。

 このような状況から、松浦氏は「自分の親が認知症になる」という未来などつゆほどにも考えていなかった。ところがこの頃から母親に明らかな異変が訪れる。「貯金通帳がない」と言い出したのだ。それも数日おきに。さらに、年金が振り込まれる口座から、最新の支給分がまるまる引き出されていた。年金は2ヶ月分がまとめて振り込まれる仕組みなので、2ヶ月分の生活費を一気に引き出したも同然。明らかに異常事態だった。

advertisement

■死ねばいいのに

 松浦氏は病院に連れて行こうとしたが、母親はそれを激烈に拒否。認知症患者は自分自身の異変に気づきつつも、それを受け入れることを拒否する傾向にある。なので、病院へ検査に行くことはもちろん、認知症の薬を飲む、おむつをはく、デイサービスに行く、こういった対処を拒否してしまう。そればかりか、献身的に尽くす「一番身近な介護人」さえも拒否し、辛く当たる傾向にある。松浦氏は母親を病院へ連れ出すだけで一苦労だった。その後、病状はどんどん進行。朝言ったことを夜には忘れる。時折、会話ができなくなる。通信販売で商品を購入しまくる。

 なにより辛いのは、どんなに介護に献身しても、母親に受け入れてもらえず口論になることだ。料理ができなくなった母親のために食事を作っても「なにこれまずーい」と言われる。通信販売をやめさせようとすると、「私は知らない。そんなもの買ってない」と逆ギレ。母親の代わりに掃除をすれば姑のような小言が漏れる。認知症によって性格が変わり果てた母親が松浦氏の精神を削り始める。お互いに怒鳴り合い、消耗する日々。

 やがて失禁の症状が現れる。口論で母親が大きな声を出した拍子にやってしまったり、行きつけの食堂で我慢できず失敗したり。今までの介護作業に加え、失禁の処理と母親の下着の洗濯の作業が加わってしまったのだ。日常が介護でどんどん圧迫。どうにかケアマネージャーにおむつをはくよう説得してもらったと思ったら、今度は使用済みのおむつを家の勝手口に捨てるようになる始末。対処が次の問題を呼ぶ悪循環だ。

 あるとき、母親が肩を脱臼する怪我を負った。しかし「ケガを負ったときの記憶がない」「自分の病状を正確に説明できない」ので、松浦氏に「肩が痛い」という訴えでしか表せなかった。当然、松浦氏は脱臼に気づけない。結果として、肩が痛すぎるため夜中にトイレへ行けず、翌朝松浦氏が排泄まみれになっている母親を発見することで事態を把握。ありえない事態が平然と起こるのも介護の現実だ。

 2016年秋頃、松浦氏は追い詰められ、とうとう言動に表れてしまう。精神のバランスを失い、「死ねばいいのに」という独り言が出るようになった。主語を言わないのがせめてもの救いか。やがて母親をボコボコにする妄想を脳内で繰り広げてしまう。ストレスで精神が軋んでいた。そしてある日、松浦氏が帰宅すると、台所で冷凍食品をまき散らしながら食べる母親を見つける。認知症の症状の1つ「異常食欲」だ。この頃の松浦氏は、母親の異常食欲にも悩まされていた。コップに並々とたまった水があふれ出るように、松浦氏の中で何かが弾けたのだろう。ついに松浦氏は、母親に平手打ちをする。

■介護は絶対に1人ではできない

 介護は兄弟、親戚、公的介護保険制度などに頼らなければ、どれほど頑張っても疲弊し、松浦氏のような事態に陥ってしまう。親の異変にいち早く気づき、病院へ連れて行って診断してもらい、なるべく複数人で助け合いながら介護する態勢を作る必要がある。そして、どこまで介護を頑張るかを決めておくべきだ。病状が進行すると、親を施設に預ける決断をしないといけないのだが、介護施設が満床の場合も多々ある。限界を決めることで、虐待などの対処、介護施設の申請がいち早くできるようになる。

 本書を読むと、ニュースで流れる「介護殺人」「介護虐待」も違った視点で見えてくる。介護に献身し、精神の限界を迎えた人々が、衝動的にやってしまったものかもしれない。そしてそれは、未来の私たちの姿かもしれないのだ。

 本記事を読んだ読者に今すぐ行動してほしいことがある。親に連絡を取り、できるだけ最短のスケジュールで会うことだ。読者の中には、ここ数年ロクに親と会話していない人もいるだろう。親はいつまでも健康ではない。もしかしたら異変が起こっているかもしれないし、なにより親孝行をしてほしい。認知症を発症すれば、どれだけ親孝行をしようが、それは記憶に残らないものとなる。どれだけ介護に献身しても感謝の言葉1つもらえないかもしれない。まだ間に合う。後悔のない親子関係を築いてほしい。

文=いのうえゆきひろ