時給300円、交通費も残業代もなし! 男子高校生は愛を見つけることができるのか?

文芸・カルチャー

2018/3/10

『時給三〇〇円の死神』(藤まる/双葉社)

 読む前から、300円であることの意味をずっと考えていた。『時給三〇〇円の死神』(藤まる/双葉社)はタイトルどおり、高校生の佐倉真司が時給300円で“死神業”にスカウトされて働く物語。といっても生者の命を狩るのではなく、未練を残して成仏できずにいる人々をあの世に送るのが仕事。精神的にも重労働なその仕事の時給がなぜ300円なのか。

 その答えにたどり着く前に、もう少し本作のあらすじについて触れたい。薄給にくわえて、残業代も交通費もボーナスもなし。シフトは選べず、当然、有給なんてものもない。ブラック企業もびっくりの待遇にもかかわらず、佐倉が死神業を引き受けたのは、報酬にこだわる必要がないくらい裕福だから……ではない。むしろその逆。両親が離婚する原因となったある理由のせいで、経済的に困窮しているのにどこもバイトに雇ってくれない。そんな彼が稼げる仕事は死神業しかなかったのである。しかも、彼をスカウトしにきたのはクラスメートで高嶺の花の人気者・花森雪希。「半年勤め上げれば、どんな願いも叶えてもらえる」なんて口約束を本気にしたわけではなかったが、ほとんど話したことのない雪希に巻き込まれる形で、佐倉はこの不思議なアルバイトを始めることにするのだが。

 ポイントは、あくまで「あの世に送る」のが仕事であって「未練を解消させてあげる」のが必須条件ではないところにある。もちろん解消するに越したことはないし、そのつもりで佐倉も雪希も死者に相対する。だが、高校生にできることには限りがある。そもそも魂をこの世に縛りつけるほどの想いは、他人が簡単にどうこうできるものでもない。死者がそれぞれ抱えている“嘘”によって佐倉は人生の理不尽と己の無力さを突きつけられる。そして知っていくのだ。人が生きることの意味を。死神が存在することの意義を。

 ある死者との出会いによって佐倉は“無償の愛”について考える。母親からの無条件の愛。それはとても美しく、崇高だ。だが母親とて人間なのだ。子供に対する感情は愛ひとつでは語れない。綺麗事だけでは育てられないし、愛とは真逆の感情が生まれることもある。それを責める気はないし当然のことだと思う。無償の愛を求めすぎることは、相手をないがしろにする行為に他ならない。だがそれでも、願ってしまう自分に佐倉は向き合うことになる。自分を置いて出て行ってしまった母に想いをはせ、捨てられたという絶望と、間違いなく愛されていたはずだという希望との間で揺れ動きながら。

 300円とはもしかしたらその象徴なのかもしれない、と読み終わってみた今、思う。無償じゃない。だけど見返りを求めるにはあまりに少ない金額。死者を苦しみから救おうとする死神の行動は、限りなく無償に近い愛を示しているのではないかと。

 胸がちぎれそうな別れを経て、佐倉は花森の過去と死神になった理由を知る。死神として佐倉が手にした時給300円の愛だけが、花森と、そして読者の傷ついた心を救うのかもしれない。そんな不思議な読後感を与えてくれる小説である。

文=立花もも