新海誠の新境地がここに!『小説 天気の子』が描き出す、“大人になること”と見えない明日への希望

文芸・カルチャー

2019/7/24

『小説 天気の子』(新海 誠/KADOKAWA)

 言葉と映像の両方が溢れだしている人の頭の中って、どんなふうになっているんだろう。と、『小説 天気の子』(新海 誠/KADOKAWA)を読んで考えた。新海誠さんは、切り取られた一瞬の美に言葉などいらないことを知っている。だけど同時に、比喩を尽くして語ることで見えないはずの情景を読む者に届けることができることも知っている。そのうえで、どちらも実現させることができる。それって、ものすごいことじゃないだろうか。

 読み終えて驚いたのは、本作が「ただのボーイミーツガールの物語ではない」ということだ。離島から東京に出てきた家出少年・帆高と、祈るだけで空に晴れ間を見せることができる少女・陽菜が、異常気象が続き雨のやまない東京で出会う物語。あらすじを聞いたときは、これまでどおり、初恋の甘酸っぱさやすれ違いの切なさを想像するだけだった。だが、2人の物語以上に心に残っているのは、帆高を雇う編集プロダクションの社長・圭介と彼の仕事を手伝いつつ就活中の夏美が2人を見守りながら葛藤している姿。そして、“100%晴れ女”の陽菜に願いを託す、名もなき人たちの声だった。

 新海作品で、これほど主人公たちのまわりにいる人々が、色濃く浮かび上がってきたことがあっただろうか。子供ながらに自力で生きていかねばならない彼らを囲む大人たちは、決してただの“いい人”ではない。それぞれに事情を抱え、ときには自分勝手に切り捨てる。ある事情で2人を追う警察官たちだってそうだ。「なにがあったの? 助けてあげるよ」なんて優しく尋ねたりはしない。ただ現実をつきつけ追い詰めるだけ。それがとことんリアルで、帆高と陽菜の「大人になりたい」という願いがいっそう切実さを増す。

 でも、ただ冷たいだけかというと、そうでもない。自分たちの事情で切り捨てることもあれば、不意にほだされ、助けてくれることもある。必ずいつも、というわけではないが、誰もが求め求められ、手を伸ばし伸ばされながら、生きている。大人になるということは、身勝手なズルさを身につけることかもしれないけれど、誰かを守る力を手に入れることでもある。だから子供は、私たちは、大人になることを信じていいし、どんなに明日が見えなくても希望をもって大丈夫なのだ。そんなことを痛切に感じさせられたのは、これが小説だからかもしれない。大人たちの、セリフにはならない事情と感情が、活字で書き込まれているのだ。

 余談だが、本書を読んで最初に突き刺さったのは圭介のセリフだった。うさんくさい記事をまとめる彼に、帆高が知ったかぶりの知識でくだらないと論破したあとに言うのだ。「こっちはそんなのぜんぶ分かっててエンタメ提供してんの。社会の娯楽を舐めんじゃねえよ」。その力強さに、もしかしてこれは新海さんがいちばん書きたかったことでは? と思った。そうしたらあとがきに書いてあった。「(『君の名は。』が想定外の大ヒットをして)激烈に怒ってらっしゃる方もずいぶん目撃した。僕としては、その人たちを怒らせてしまったものの正体はなんだろうと考え続けた半年間だった」。その結果、心に決めたのが「映画は学校の教科書ではない」ということ。誰かに怒られるかもしれなくても、教科書では語られない願いを語ろう、物語を描こうと。

 その結果が、『天気の子』だ。腹を括った新海さんは、強い。とても強くて、しなやかだ。本作が『君の名は。』を引き合いに出さずとも、ただそれだけで新たに語り継がれるようになる、そんな作品になると信じている。

文=立花もも