この怖さ、まさにトラウマ級! 京極マジックが炸裂した怪談えほん『いるの いないの』

文芸・カルチャー

2019/7/24

『いるの いないの』(京極夏彦:作・町田尚子:絵・東雅夫:編/岩崎書店)

「『怪談』を通じて、想像力を養い、強い心を育んでほしい」とのコンセプトのもと、当代一流の作家たちが怪談を書き下ろした、岩崎書店の人気シリーズ「怪談えほん」。

 今日まで3期10冊(第3期は現在刊行中)が刊行された同シリーズの中でも、トップクラスに恐ろしいと評判なのが京極夏彦『いるの いないの』(京極夏彦:作・町田尚子:絵・東雅夫:編/岩崎書店)である。

 たとえば書評系サイトや、オンライン書店のユーザーレビューを読んでみてほしい。そこには「大人が読んでも怖い」「トラウマ級」といった、悲鳴にも似た感想が多数寄せられているはずだ。しかしこの絵本、どこがそんなに怖いのだろうか?

 ストーリーはいたってシンプルである。主人公の「ぼく」はおばあさんの家で暮らすことになった(詳しい事情は語られていないが、おそらく両親と離れ、都会からひとりでやってきたのだろう)。田舎にあるおばあさんの家はとても古く、床は木か畳でできている。高い天井には梁がわたっていて、その上には窓からの明かりも届かない暗がりが広がっていた。

「うえのほうは くらいねえ」
 ぼくがそう言うと、おばあさんはこう答える。
「でも ほら したのほうは あかるいよ」

 しかしぼくはその暗がりが気になってしかたがない。ある日天井の上を眺めていたぼくは、そこに思いがけないものを見てしまう…。

 昔ながらの日本家屋には、長い廊下やふすまの陰、和式のトイレなど、ぼんやりとした暗がりがわだかまっていた。本書に登場する梁の上の空間もそう。現代ではあまり見られなくなった闇の空間が、いつも淋しげなぼくの興味を引き寄せる。

 もちろん気にしなければ、怖いことは何もない。「したのほうは あかるいよ」とおばあさんが答えたとおり、見たくなければ目をやらなければいいのだ。だが一度何かを見てしまったぼくは、頭上の暗がりをもう無視することができなくなる。

 ページをめくるうち、ぼくの疑いはじわじわと読者の心にも感染してくるだろう。この家には何かがいるのか、いないのか。疑いはじめると、忙しそうにしているおばあさんや、たくさん飼われている猫までもが、なんだか怪しいものに思えてくる。

 何気ない言葉の積み重ねによって、読者を疑心暗鬼に陥らせてゆく言葉のマジックは本当にすさまじい。さすがは現代の言霊使い、京極夏彦である。そして奇妙に歪んだ角度で描かれる町田尚子の絵が、その形のない不安をさらに高めてゆく。

 とりわけラストの見開きページは気の弱い子どもなら号泣必至、大人でも絶叫ものだ。絵本史上に残るこの凶悪な幕切れで、『いるの いないの』は間違いなく伝説になった。

 それにしても、おばあさんの家の天井には本当に何かがいたのだろうか。それともぼくの恐怖が生み出した幻覚だったのだろうか。答えはどちらでも構わない。怖いのは、“ひょっとして”と疑いはじめたらとめどなく暴走してしまう、わたしたちの心なのだから。

 そして恐ろしいことに、『いるの いないの』を読んだ人の心には、この“ひょっとして”の思いが居座り続ける。読者の心に消えない刻印を残す本書は、まさにトラウマ本。夜中でも町が明るくなり、闇に恐怖を感じることがなくなった現代だからこそ、広く読まれてほしい“最恐”傑作だ。

文=朝宮運河