もし女性が「容姿」で政府にランク付けされる社会だったら? 芥川賞作家・遠野遥のディストピア小説『吸血鬼』【書評】
PR 公開日:2026/3/26

わずか2作目で芥川賞を射止め、平成生まれ初の受賞者となった天才から、最高に不穏なディストピア小説がわたしたち読者に届けられた。遠野遥の『吸血鬼』(集英社)だ。
その世界は新型感染症が蔓延るなか、オリンピックの開催が間近であり、一見するとわたしたちが住むこの国を思わせる。
中学3年生の有紗(ありさ)は周囲から「吸血鬼学院」と呼ばれる学校に通っている。古い洋館のようなその学校では、社会に求められる女性を育てるための教育が行われていた。学校は美容のために紫外線を避けることを生徒たちに求めていて、教室にも分厚いカーテンがかかっている。日光を避けているから「吸血鬼」なのだ。
なぜそのようなルールがあるかというと、この社会では美しさが重要なファクターになるからだ。女性は容姿などのステータスをもとにランク付けされ、「おひつじ」を最高位とし、「うお」まである12の階層に分けられている。国はそれを目録にまとめ、厳格に管理しているのだ。一方で男の側は地位や財産でランク付けされており、上位のものには妻を持つ権利があたえられる。目録にアクセスして気に入った女性と結婚することができるのだ。それだけじゃない。その結婚は半年ごとに契約更新があり、上位にいる男たちは定期的に若い女性との再婚を繰り返す。──書くだけでうんざりする制度だ。とりわけ女性の読者には、この社会の歪みがある種の現実の延長として感じられるかもしれない。
小説は章ごとに交互に語り手が変わる。有紗が書く手記と、美容外科医の白井先生の視点による語りで進んでいく。
有紗はこのディストピア的な世界の価値観を内面化しており、それを疑うことはしない。学院のルールを守り、そういうものだと完全に受け入れている。
白井先生は一見穏健な性格だが、しかしルールへの過剰な執着があり、やはりどこか歪みがある。
読者は彼らの語りを一人称で読んでいると、奇妙な錯誤が生じてくる。遠野遥の文体はとても平易であり、わたしたちの言葉で書かれている。内容もすぐ理解できる。それなのに“感情移入ができない”。共感できそうでいて“共感できない”。この錯誤が唯一無二の読書体験を生み出している。
遠野遥は2019年に『改良』で第56回文藝賞を受賞し、小説家としてデビューした。それにつづく『破局』で芥川賞を受賞したのは冒頭に書いたとおりだ。そして、『教育』、『浮遊』と作品を発表してきた。その小説にはルッキズム、規範意識、セックスが重要な要素として頻出する。それぞれが作品のなかで過剰に横溢し、読者を混乱させるのだ。
これはわたしたちの社会の戯画であり、読書を通してわたしたち自身も歪んだ規範を内面化していないかと問いかけてくる。
2024年、デミ・ムーアが主演した映画『サブスタンス』が話題になった。かつてのトップ女優が人気を取り戻すため、半ば復讐心で再生医療によって若く“生まれ変わる”。だが、その再生はやがて彼女自身を追い詰めていく。ルッキズムやエイジズムといった問題提起の次元を越えて、人間という存在の不気味さをあらわにしていく。新しいフェーズに入ったことを象徴するような映画だ。しかし、わたしたちは知っている。この感触は、すでに遠野遥の小説で触れていることを。2020年代も半ばを過ぎて想像力は新たな地平へとたどり着き、どうやらこの作家はその最前線にいる。
遠野遥。このするする読める怪文書。その不穏さから、目が離せない。
文=菊池良
