大滝詠一が「死後公開」を希望したロングインタビューが書籍に! 取材原稿に大幅な修正を入れがちだった生前の大滝さん。今作では大滝さん「らしさ」がそのまま残っている!?【萩原健太インタビュー】
公開日:2026/3/28
●ポップでキュートな大滝詠一を記録したかった
――インタビューで幼少時からの大滝さんの人生を振り返るわけですが、少年期から細かい固有名詞が山のように出てくるのには驚きました。ただ「喋り」なので、単に知識の羅列ではなく、大滝さんがそれらを吸収したのが体感的に伝わってくるのが面白いです。
萩原:脚注をつけたりすれば、またもうちょっと違う意味での資料性みたいなのが出てくるんでしょうが、今回はやめました。どうも大滝さんの本はより細かい知識を求めて分厚くなりがちで、個人的にはそれに抵抗感もあったし、今回はオタク的な知識によるんじゃないポップでキュートな大滝詠一を記録したかったので。
――一方で、そんな大滝さんが発する固有名詞をしっかり受け止める萩原さんのキャッチ力もすごいな、と。
萩原:そんなことはないですよ。ただ僕は高校生くらいからの大滝さんのファンで、特にラジオにすごく影響を受けたんですね。大滝さんはずっと「ゴーゴーナイアガラ」って番組をやっていらしたんですが、当時大学生だった僕は毎週それを聴いて、そこで大滝さんが披露するいろんな知識を受け止めながら暮らしていました。大滝さんのおかげで僕の興味も広がったわけで、興味の範囲が重なる「便利な聞き手」として僕がいたんじゃないかと思います。もちろん分からないこともありましたから、その辺は後で調べようと流して聞いたりもしましたよ。
――テンポのいいお二人の会話に強い信頼感を感じました。
萩原:大滝さんってこちらから出したものの情報量じゃなくて、密度に応えるように返してくれるんですよ。僕が初めて大滝さんにお目にかかったのは会社員だった頃ですけど、ファン根性丸出しで大滝さんのアナログ盤をぜんぶ抱えてインタビューに向かったら「よし、今日は全てをさらけ出すよ」って、1時間の予定が8時間以上も話してくれて。その時の印象で、「投げがいがある」って思ってくださったのかもしれません。とはいえ浅いと悪いということでもなくて、大滝さんはそういう場合には分かりやすい情報量で返してくれるし、ちょっと変な切り口だったりすると、それに応えるようにまた濃密に返してくれたりするんです。
――大滝さんは「誰かに語ることで証拠を残す」ことをすごく意識されていたとありました。この本もそうした証拠の一つであり、証人に選ばれるのは大変なことではないかと。
萩原:いや、それはたまたまそこに僕がいたということですよ。大滝さんの興味は幅広いんで、たとえば野球の話になればスポーツ新聞の記者の方と懇意にしていたし、映画だったら映画会社の方がいたし、いろんな人が総がかりで大滝さんのお相手をしていましたから。そのうちの一つ、音楽の分野を僕が担当させてもらった感じです。

●いきなり言われた「死後公開」
――そもそもロングインタビューをしたきっかけは?
萩原:最初のうちはお仕事でしか大滝さんにお目にかかっていませんでしたが、インタビューで聞くことも会うたびに深まっていって、そのうちに大滝さんの語りを僕がまとめたり、大滝さんが監修した本のインタビューまとめを任されたりするようになったんです。このインタビューは91年ですが、その前に当時『03(ゼロサン)』(新潮社)という雑誌の増刊号かなんかで大滝さんの「普道説」を僕のインタビューでまとめたことがあって、その流れですね。『ロングバケーション』(1981年)から10年でもあったので、一度まとまったインタビューをさせてほしいとお願いしたんです。
僕がその時にイメージしていたのは、ヒッチコックの『映画術』という本で。トリュフォーのヒッチコックへのインタビューをまとめた本なんですが、あれを大滝さんでやって、インタビューから大滝さんなりのポップ術みたいなものが読み取れる本を書きたいと思ったんです。大滝さんは映画好きなんで面白がってくださって「じゃあやるか」と。『映画術』は60年代の本なんですけど、日本で最初に出たのは81年のロンバケの年で、しかもインタビュー前年の90年に改訂版が出たりして印象深かったんです。ただ、インタビューをはじめたらいきなり「死後公開だ」って言われてしまって。
――それは最初に言われたんですか?
萩原:最初に言われましたね。ちょっと話した後ぐらいで、「ここまで話すんだったら、やっぱり死後公開だ」って。
――逆にそれで深い話を聞けたのでは?
萩原:そうですね。結局3日間話して、テープを回したところだけで二十何時間もあります。実はテープを止めたところも結構長くて、そこは死後公開もできません。大滝さんのご自宅は福生なんで、近くのビジネスホテルをとって泊まりがけでインタビューしたんですが、結局は朝まで喋ってたりするんで、ほとんどホテルは使ってないようなもんでした。
