瀬尾まいこ、一穂ミチ、坂木司、凪良ゆう、三浦しをん…作家5名による“書店”が舞台のアンソロジー。ネットで本が買える時代、「街の本屋さん」の役割とは【書評】

文芸・カルチャー

PR 公開日:2026/5/19

本屋さんのある街で
本屋さんのある街で(瀬尾まいこ・一穂ミチ・坂木司・凪良ゆう・三浦しをん / 文藝春秋)

 心が萎れそうなとき、私の足は本屋さんに向かう。どんなに悲しいことがあっても、書棚に並んだ数々の作品を眺めていると、自然と心が落ち着く。こんな習性であるからして、「本屋さん」をテーマとした物語には目がない。このたび刊行されるアンソロジー『本屋さんのある街で』(文藝春秋)は、瀬尾まいこ氏、一穂ミチ氏、坂木司氏、凪良ゆう氏、三浦しをん氏と、豪華な執筆陣により編まれた珠玉の短編集である。

 冒頭を飾るのは、『そして、バトンは渡された』(文藝春秋)でお馴染みの瀬尾まいこ氏による「続きは書店で」。占い師のルイーズのもとに、菅原と名乗る大学生がある相談を持ちかける。聞けば、バイト先が自分に向いているかどうかを占ってほしいと言う。菅原が面接を検討しているのは、占い店舗の上階にある「MY書房」で、ひと月後には閉店することが決まっていた――。

 結論からいえば、ルイーズは菅原の背中を押した。その後、仕事の休憩中にMY書房を訪れたルイーズは、すでに閉店の知らせを耳にした菅原が、にこやかに立ち働く姿を目にする。菅原のポジティブな姿勢に触発されたルイーズは、相方の竹子と共にMY書房の幕引きにささやかな感謝の気持ちを贈る。

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 本書で描かれるさまざまな出会いと別れは、いずれも「本」と密接に絡み合う。一穂ミチ氏が送る「歌うように生きて」は、大学生の鈴森潤が中国籍の劉陸海(リウルーハイ)と出会う。本が好きなリウと、本を読まない潤。二人の待ち合わせ場所は、潤が通う大学の生協にある書店であった。中国との歴史的背景、澱みない人生を歩んできた潤が抱える恐れ、リウが愛読していた詩集、惜別の本当の理由。人間同士の不器用すぎる営みが、本作には詰まっている。望まぬ荷物を抱えて生きる人と、生きやすいレールを難なく歩んできた人。前者の苦労は言うまでもないが、本作は後者の視点から描かれており、だからこそのリアリティがあった。

 また本書は、「本屋さん」にまつわるあらゆる側面が仔細に描かれている点も印象深い。坂木司氏が紡ぐ「手に取って見てみろよ」は、書店を開店するまでの道のり、かさむ経費や営業の苦労が如実に描かれている。本屋の前で彼女にふられた宏海は、ひょんなことから友人の高木と本屋兼駄菓子屋を開くことになった。

「儲かるどころか、やればやるほど負債が増えやすい」と銀行に釘を刺されるほど、本屋の経営は難しい。売れ残った本は基本的に返本できるが、中には返本不可の版元もある。また、本の輸送費、光熱費、人件費、家賃などもかかるため、利益を出し続けるのは簡単じゃない。それでも、実店舗にしかできないことがある。章タイトルにある「手に取って見てみろよ」は、その最たるものであろう。

 凪良ゆう氏による「小鳥たち」でも、個人書店の厳しい現実が端々で描かれる。離婚後、父の書店を継ぐ準備を進める一葉は、かつての想い人、越智と再会した。病気療養中で単身実家に身を寄せる越智との間に、少しずつ育っていく絆。その絆を「恋愛」という括りに入れるのは、ひどく乱暴に思える。揺れ動く感情を持て余しながら、父の代から自分の代へと移りゆく本屋を作り上げる中で、時代の余波が容赦なく一葉に押し寄せる。

“これから教科書も少しずつデジタルに移行していくだろうし、そうなったらうちは大きな売り上げダウンになる。”

 利便性と引き換えに失うものの大きさに、日々愕然としてしまう。それまで「あった」ものが、突然消えていく。アップデートを繰り返す世界は、進化の代わりに大切なものを失い続けてはいないだろうか。一葉と越智のように、わかりやすい名前を付けられない関係性もある。一見不確かなものが描かれる物語が、本屋の棚にひっそりと並ぶ。誰かがそれを手に取り、胸に小さな灯をともす。そういう景色が減ってしまうのは、この上なく寂しい。

 街の本屋さんの存在意義は、感情面抜きにしても大きい。とりわけ、三浦しをん氏が送る「見晴らし書店の一日」で語られるエピソードにはハッとさせられた。インターネットの普及に伴い、書籍購入の利便性は飛躍的に向上した。書店が少ない地方に住んでいる場合、心身に障害があり外出が難しい場合などを鑑みるに、大手ネット書店の存在を否定するわけにはいかない。だが、やはり実店舗にしか担えない役割がある。顔を合わせ、声をかけ合い、互いの存在を目の前に捉えてこそ生まれる交流がある。本は、その架け橋となり、ときに命をもつなぐ。

“私たち家族は、生活にあってもなくてもいいものを売っている。けれど心の窓を開き、見晴らしのいい風景を眺めるためには必須のものを、取り扱っている。”

 見晴らしのいい風景を眺めるため、新しい風を取り入れるため、私は今日も本を開く。読み終える前に本屋さんに行くものだから、積ん読はどこまでも増える。だが、それでいい。私にとって、積ん読はある意味「浮き輪」である。いざというとき、救ってくれる光。物語る際に織り込まれる祈りは、囁くような声で歌うから、耳を澄ませないと聞こえない。そういう声をかき消さずに紡いでいく本屋という場所が、これからもどうか、守られてほしい。

文=碧月はる

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