100年後の未来に“希望”はあるのか——『ぎんいろせいじんのやくそく』が描く「こうあってほしい」という願い【藤野可織インタビュー・後編】
PR 公開日:2026/5/27
さまざまなジャンルで活躍する創作者たちが、想像力を駆使して絵本を舞台に100年後の世界を描き出す「100年後えほん」シリーズ(岩崎書店)。
第3弾となる今回は、『爪と目』で第149回芥川龍之介賞を受賞した小説家・藤野可織さんによる『ぎんいろせいじんのやくそく』。さらに、怪談えほん『どんな いえ?』も同時期に刊行されている。テイストの大きく異なる2作品は、どのように生まれたのか。
後編では、100年後えほん『ぎんいろせいじんのやくそく』について伺った。
「こうあってほしい」と願う意味での希望から生まれた絵本
――『ぎんいろせいじんのやくそく』はどんなふうに生まれたんでしょう。

藤野可織(以下、藤野) 実は、書くときにかなり悩みました。子どもたちに未来を、ワクワクするようなものとして手渡せるような絵本をつくりたいというシリーズのコンセプトは素敵ですし、大人として、子どもに未来を手渡す責任があるのだからと、ぜひやってみたいと思ったのですが、いざ書こうとしてみたとき、私自身が、未来に希望をもっているわけではないということがはっきりわかったんです。「こんなに素晴らしい未来が待っているよ」と読む人が心躍らせるようなものは私にはどうしても書くことができない。物語にも読者にも嘘をつくことはできないですし、いったいどうしたらいいのかと途方に暮れました。
――まさに、そういう人たちに向けた絵本でもあるから、ジレンマですね。
藤野 そうなんです。でも、いろいろ考えるうち、未来に絶望しきっているわけでもないことに気づきました。こんな素敵な未来がある、と嘘をつくことはできないけれど、かといってこれから先は悪いことしか起きないよと思っているわけでもない。「こうあってほしい」と願う意味での希望はある。だったら、それを描くのがいいんじゃないか。これからの未来を生きる人たちが私の希望に共感して、その希望を自分のものに変えてくれるようなものを描けたら、と思いました。
――〈ぎんいろせいじん、100 ねんごの そこは あんぜんな ばしょ?〉という一文がありました。テイストは違う、と最初に言いましたが、安心して帰ることのできる安全な居場所があってほしい、という想いは、二作に共通していますよね。それが怖さとなるか、希望となるかが違うだけで。

藤野 そうかもしれません。未来のことなんて考えれば考えるほどわからないけれど、必ず訪れるものである以上、どんなものであってほしいか、はっきり言葉にしておくことで、その実現をめざすために一歩を踏み出せるんじゃないかという想いを、『ぎんいろせいじん』には込めています。
100年後の未来をともにする相棒「ぎんいろせいじん」
――ゴトーヒナコさんの描くぎんいろせいじんが、かわいいんだけれどちょっと怖いのもいいなと思いました。
藤野 だいたいのイメージがあったので、一応、私が描いたへたくそなスケッチをお渡ししているんです。もう本当に恥ずかしかったんですけど、ゴトーさんが命を吹き込んでくださったぎんいろせいじんが、めちゃくちゃかわいくて嬉しかったです。ぎんいろせいじんは、主人公のすーちゃんのおもちゃ箱のなかにいて、100年後の未来をともにする相棒に選ぶんですけど、うちにもいてくれたらいいなと思いました。
――こちらもやっぱり、見るたびお気に入りのページは変わりますか?
藤野 そうですね。私の子どもはすーちゃんのお部屋が好きで、いつも見開きをじっと眺めながら、真似して絵を描いたりしています。私は、しいて選ぶとしたら〈ここがひゃくねんごのせかいです〉のページかな。すーちゃんの部屋から100年後に至るまで、ぎんいろせいじんにも私たちにも何が起きたかはわからないけれど、でも、こんなことがあったんじゃないかと想像することができる絵になっている。こんなふうになるんだ、と、私自身が驚きをもらったページです。

絵本にかこまれて育った幼少期。好きな絵本は『魔女と笛ふき』『注文の多い料理店』
――藤野さんご自身は、子どもの頃、どんな絵本が好きでしたか?
藤野 絵本にかこまれて育ったんですけど、いろいろあって、ほとんど手放してしまいました。人生でもっとも後悔していることの一つです。あとになって、忘れられずに買い直した一冊が武田和子さんの『魔女と笛ふき』(岩崎書店)。魔女は子どもたちを次々とさらってしまって村の大人たちを悲しみのどん底に落としてしまうんですけれど、悪いことをしようという気持ちはなくてただ孤独だっただけ。そんな魔女を倒し、子どもたちを助ける笛ふきは最後、自分も犠牲になってしまう。物語全体にただようさみしさみたいなものに、私は惹かれていたのかもしれないと思います。中性的でやさしげな笛ふきの姿も好きで、どうにかして手に入れたんですけど、探したら家にありました(笑)。
――じゃあ、お手元には二冊。
藤野 そうなんです。でも、好きな本なので二冊あって嬉しいですね。それから『注文の多い料理店』(宮沢賢治/講談社)。池田浩彰さんが絵を描かれたものがお気に入りで、これもやっぱり、古本屋で買い直しました。いろんな方が絵を描いているけど、私は池田さんの絵じゃなきゃだめだな、と。改めて読み直してみると、宮沢賢治に対してなんとなく抱いていた印象を覆すような文章がたくさんあって、子どものころ以上に好きな作品になりました。あとは、『げんきなマドレーヌ』(ルドウィッヒ・ベーメルマンス:文・絵、瀬田貞二:訳/福音館書店)や『どろんこハリー』(ジーン・ジオン:文、マーガレット・ブロイ・グレアム:絵、わたなべしげお:訳/福音館書店)といった定番も読みふけりましたし……。いまだ買い戻せずに残念なのが『きせつはめぐる』(マンジャン:文、矢川澄子:訳、市川里美:絵/冨山房)。「シュゼットとニコラ」シリーズの第3巻で、なぜかこの巻だけうちにあって、絵もきれいで大好きだったなあ。
絵本は「よけいなものをそぎ落として結晶みたいな言葉だけが残る」
――本当に、お好きだったんですね。お子さんが生まれたことで、新たに絵本と出会い直すのもまた、楽しそうです。
藤野 やっぱり、絵の力は偉大だなと思います。小説とか、文章だけで構築されているものは、その人の心の中にその人だけの居場所をつくることができる。でも絵本は、絵を通じて、誰とでもぴったり同じ世界を共有することができるんだと思いました。一人ひとりの心のなかに、大事に育まれるという点では同じなのに、それが誰もがはっきりとした同じ像として心の中に持っていられるというのはすごいことなんだなと改めて感じます。子どもと私とでは、好きな絵本がまるで違うんですけれど、それもまたおもしろいし、共通して好きな絵本があると、それもやっぱり嬉しいですね。
――今後、もっと絵本を書いてみたいお気持ちはありますか。
藤野 すごく、あります。だって、自分が書いた文章に、こんなにもすばらしい絵をつけてもらえるんですから、いい思いしかしないでしょう(笑)。小説みたいに言葉を尽くして言葉だけで緻密に構築していくからこそ伝わるものももちろんあるのですが、よけいなものをそぎ落として結晶みたいな言葉だけが残る絵本だからこそ響くものもある。もともと私は言葉を削るのが好きで、小説が短くなりすぎてしまうタイプなので、絵本の仕事はすごく楽しい。いろんな画家の方の力量に圧倒されながら、今後も書いていきたいですね。

取材・文=立花もも
