誰が善良な中国人留学生を殺したのか? 高田馬場を舞台に日本の移民問題と向き合う、重厚な警察社会派ミステリー【書評】
PR 公開日:2026/6/5

『一滴の沈黙』(相場英雄/文藝春秋)は、日本の将来と若者の未来を暗示するかのような、重厚な社会派ミステリー小説である。
高田馬場周辺で、いくつもの飲食店を経営する中国人男性が殺害された。犯人を追うのは刑事の仲村(なかむら)だ。真面目で仕事熱心な彼は、前作『マンモスの抜け殻』で介護業界の闇に迫り活躍した。
彼は激務の自分を支え、家事育児をこなす献身的な妻と、大学生の娘を持つ。その娘、智子は就活生なのだが、どうやら苦戦しているらしい。日本社会は人手不足で若者は簡単に就職できるのでは…と考えている仲村にとって、智子の苦悩は正直、理解ができないものだ。
さらにもう一つ、仲村にとって理解できない若者と出会う。中国人男性殺害事件を追うためコンビを組むことになった、戸塚署の巡査部長・井上の存在だ。20代後半の彼はライフワークバランスを重視し、警察という仕事に関してもかなりドライな視点を持つ。就業時間に間に合ったとしても、上司が先に来ていたら「遅刻」と叱責されるような、特に上下関係の厳しい警察社会では異質な存在なのだが、昨今のコンプラの風潮として、そんな若者を「怒れない」のが組織の現状であるようだ。
若くて優秀な中国人留学生、刺殺死体で発見される
さて、少し紙幅を割いて主人公の仲村ではなく、彼の周辺の若者――智子と井上についてご紹介したわけだが、それには理由がある。この「若者」というのが、本作の大きなキーワードとなるからだ。
中国人男性の殺害事件が起こって間もなく、同じ管轄で新たな殺人事件が起こる。若くて優秀な中国人留学生が、刺殺死体で発見されたのだ。
犯人は中国人経営者の男性と同じ人物なのか。しかし、この留学生は、調べれば調べるほど善良で誠実な人物だと分かる。決して他人に恨みを買うような人間ではない。だが刺し傷は10箇所に及ぶ。つまり犯人は、強い殺意を持って彼を殺害したのではないか――。
捜査を続けるうちに、仲村は高田馬場周辺が様変わりしていることにも気づく。「ガチ中華」と呼ばれる、日本人ではなく中国人向けの飲食店が多くなるほど、中国人の住民が増えている。そして、街ゆく留学生であろう中国人の若者たちは、持っている服、かばん、電子機器からして、裕福そうである。――日本人の若者と比べて……。
果たして、犯人は誰なのか。その裏に隠された社会問題。そして両国の若者たちの「現状」。全てが交錯したところで、真実を知った仲村は……。
本作はまさしく社会派のミステリーだと感じた。捜査の過程や警察内部の描写をはじめ、変わりゆく高田馬場という場所、現代の若者を取り巻く環境などが精緻に描かれているため、読み手は臨場感を持って本作の世界に没頭するはずだ。
仲村と共に謎を追い、混乱し、憤り――知らぬ間に生じていた社会の闇に気づき、それが気づかぬうちに「浸潤」していく様を、身をもって感じるのではないだろうか。そこに恐怖を感じるか、怒りを感じるか、はたまた悲哀や義憤を感じるかは、読者にゆだねられている。
一点お伝えしておきたいのは、こういった社会問題を描く物語は、時に勧善懲悪的になることもあるが、本作は一つの国を、一人の人間を、一方的に批判するだけの安易な帰結にはしていないということだ。一方が正しく、一方が悪い。だから殺人事件が起こったという、単純な話ではない。だからこそ、この社会問題の複雑さに、人々は頭を悩ませるわけだが……。
あなたは、どう感じるだろうか?
文=雨野裾
