「デブ」と罵る人の方がまっすぐ自分を見てくれる気がする――優しさという名の欺瞞に中指を立てる石田夏穂『わたしを庇わないで』が痛烈!【書評】

文芸・カルチャー

PR 公開日:2026/6/5

わたしを庇わないで
わたしを庇わないで石田夏穂/集英社)

 石田夏穂さんの小説を読むと、いつも、自分の浅はかな欺瞞を見透かされたような気持ちになる。「100万部読まれてほしい、史上最高のデブ小説!」と九段理江さんが絶賛する『わたしを庇わないで』(集英社)は、とりわけ、打ちのめされた。

 水産会社につとめる「私」は子どものころから太っていて、断食しても摂食障害になりかけても太り続けた、生粋の「デブ」である。そのことで、過剰に自分を卑下することはないけれど、自分が「美しくない」ことは自覚していて、広報の顔であるナナミ先輩の隣に立てば『美女と野獣』のようだということも分かっている。でもそれは、ただ「知っている」というだけで、「私なんて」とは思わない。デブはデブ。ただそれだけだ。

 ところが、ナナミ先輩のかわりに、取引先の飲食店を紹介するレポーターとして動画に出演するようになってから、流れは変わる。ふつうに食べていれば「もっとおいしそうに食べられるはず」と期待され、期待されたとおりにふりきってデブキャラをつくりあげれば「おいしそう」ではなく「おもしろい」と思われる。コメント欄にはデブを揶揄する心ないコメントがつくようにもなる。面と向かって「デブ」と言われたことがない「私」にとって、「ひどい!」と庇う人よりも、「デブ!」と罵る人のほうが、まっすぐ自分を見てくれる心地がして嬉しい。直接的な言葉で謗られるより、間接的に「デブ」と伝えられるほうが、憎らしくさえある。

 ああ、と思った。ふりかえれば、何か自分に劣っているところがあったとして、思い知らされるのは、いつでも誰かに庇われたときのほうだった。それなのに自分はいつのまにか、誰かを悪く言うのはよくないという欺瞞から、庇うことに酔いしれるようになっていた。そのことを、突きつけられた気がした。ナナミ先輩の「自虐なんてしなくていい、すべての人はありのままで素晴らしいのだから」という言葉を、欺瞞だとわかっていながらも、悪者になりたくないから称賛する側にまわる。そんな生き方をいつのまにか選んでいた自分を嫌悪しながら、じゃあ、「私」を見て「何このデブ」とけらけら笑えるだろうかと自問する。たぶん、できない。「愛らしいね」とか「ふりきってるね」とか、「私」が憎む人たちと同じように「間接デブ」を口にし続けるに違いないのだ。

 なんて切れ味の鋭い小説なんだと、うなるほかない。

「私」が、このレポーターを職務で行っているところも、石田夏穂作品の持ち味である。会社員小説の名手である石田さんは、しばしば、課せられた職務をまっとうしようとするがあまり常軌を逸していく主人公たちの姿を描き出す。表題作の他に収録された短編「世紀の善人」もそのひとつ。また、中学生(になる直前の春休み)を主人公にルッキズムに満ち溢れた世界を生き抜く姿を描きだす「小人十二面相」も石田作品の魅力が詰まった一作。
これから石田夏穂を知る、という方。まずはこの一冊を手にして損はない。

文=立花もも

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