辻村深月が『ファイア・ドーム』で挑んだ初の本格的事件小説と“悪意なき噂”への怒り「みんな気軽に、知っていることを話してしまう」【インタビュー前編】
公開日:2026/7/18

辻村深月さんにとって初の本格的事件小説となる新作『ファイア・ドーム(上・下)』(小学館)。架空の地方都市を舞台に、25年前と現在で起きた二つの誘拐事件が交錯する本作は、担当編集者からの熱烈なオファーにより生み出されたという。
身近な場所で起こった事件に対し、誰もが「当事者になりたがる意識」や、純粋な“心配”から発せられた悪意のない言葉がいかにして炎となって燃え広がり、人を追い詰めていくのか。SNS時代にとどまらない現代社会の本質的な問題と、人が大きな事件に魅了されてしまう理由を描く本作。インタビュー前編では、執筆に至るまでの葛藤や、本作の核となる「噂」というテーマについてお話を伺った。
初めての本格的な「事件小説」。きっかけは「担当編集者が現代ミステリーを書く、というところから一歩も動かず、肚をくくりました」
――『ファイア・ドーム』は、初めての本格的な「事件小説」ですね。これまでも、刑事事件を描いた作品はありましたが、新聞記者の視点などを織り交ぜながら、事件そのものを俯瞰して描いたのは初めてではないでしょうか。
辻村深月さん(以下、辻村) 小学館の担当編集者からは、デビューした直後くらいから「現代を舞台にした長編ミステリーを」とお声がけいただいていたんです。『映画ドラえもん のび太の月面探査記』でご一緒したのをきっかけに、いよいよ書き出しましょう、という話になったのですが、そのころにはデビューして15年近くたっていて、事件小説を書くことにハードルの高さを感じるようになっていたんですよね。もちろんいつかは書いてみたいと憧れてはいたけれど、好きすぎて告白できない、みたいな心境で。

――それでも挑戦しようと、決めたのは。
辻村 担当さんが、逃してくれなかったんです(笑)。小説の打ち合わせではたいてい、私がいま興味のあることや考えていることをテーマとして深掘りしていこうという話になるんですけど、今作の担当さんは必ず「なるほど。そこから、どんな事件が起きるんですか?」と返してこられて。現代ミステリーを書く、というところから一歩も動いてくれないので、書くしかないんだ、と肚をくくるしかなかった。たぶん、特殊設定を使うことも許してくれなかったでしょうね。
――現実に起きる、リアリティのある事件。それで、地方都市を舞台に、25年前と現在で起きた二つの誘拐事件を軸に物語が組みあがっていったんですね。
辻村 そうですね。『ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナ。』(講談社)が吉川英治文学新人賞にノミネートされたとき、選考委員のお一人だった宮部みゆきさんが「物書きはなぜ人の不幸を書くのかという、著者にとっても切実であろう問題にきちんと向き合った」という内容を選評に書いてくださったんです。その言葉が励みになると同時に、「事件というのは人が起こすものである以上、誰かの不幸であるということなのだ」と目が覚めるような感覚があって、今後、刑事事件を扱う際には、その視点から絶対に逸れてはいけないと肝に銘じました。今作を書くにあたっても、「今の自分が刑事事件をフィクションで書く意味」は何かに真剣に向き合ったとき、「他人の尊厳が誰かの軽い気持ちによって脅かされる」ことへの怒りやもどかしさがこれまでも自分の小説の中にあったことに思い当たりました。事件が誰かの不幸であり、描くことに葛藤があるのなら、その点を思い切って中心に据えたこうした側面から書くしかないと思った。そうして生まれたのが、25年前に誘拐されて命を落とした被害者、新沼紗英の事件でした。
――百貨店の受付係で、新聞社の取材を騙った電話に呼び出された紗英は、純然たる被害者。それなのに、その後の報道で、彼女の素行にも問題があったように書かれるなど、遺族は事件そのものの悲しみ以上に、「噂」に苦しめられ続けることになります。
辻村 いざ書き始めようとしたときに、自然と、(本作の)冒頭に書いたような地方都市の情景が浮かんだんです。山に囲まれた逃げ場のないその場所が、事件によって揺らされて、スノードームの雪が舞うみたいに、噂の炎が燃え広がり、逃げ場がなくなる。やがて鎮静したように見えても、足元にはいまだ火種が積もっていて、新しい事件が起きて揺らされれば、再び炎が舞いあがる。そんな情景とともに「ファイア・ドーム」というタイトルが浮かんだとき、きっと、「噂」が一つのキーワードになるだろうと予感しました。
――地方都市の、閉ざされたコミュニティならではの人間関係は、辻村さんがこれまで描き続けてきたものでもありますね。
辻村 そうですね。もちろん都会にだって閉ざされたコミュニティはあるし、もっともらしい噂話が誰かを追い詰めることもある。だけど、都会……とくに東京を舞台にすると、それは「東京の物語」になってしまい、それ以外の場所に住む人にとっては、どこか遠い話になってしまう気がしたんです。だけど、これまで書いてきた実感として、地方都市を舞台にすると、ほとんどの人が「自分の町の話だ」と思ってくれる。東京に暮らす人も含めて、自分事として心を寄せて読んでもらってきたような実感があるんです。
たぶん、自分の生まれ育った都市の原風景が一人ひとりの心のなかにあって、私も地方都市に生まれ育ったからこそ、多くの人に通じるその風景を思い浮かべることができるんでしょうね。それは作家として大きな財産だし、地方都市を舞台に描くことには意味がある、と感じていたから、今作でも迷いはありませんでした。噂の炎も、おそらく都会より地方のほうが長く舞い、残るような気もして。
