「主人公がどんどん変わっていくのが面白い」瀧羽麻子が初の大河小説で描く、音楽に人生を捧げた不器用な男の75年【インタビュー】

文芸・カルチャー

公開日:2026/7/31

音楽を描きながら、経済や政治など時代の変遷も重ねられる

瀧羽麻子さん

――物語は1950年、お屋敷に住み込みで働く母とともに暮らす5歳の佳和が、お屋敷のお嬢さま・貴子の誘いで行った教会で、音楽の壮大さに魅了されるところから始まります。その後、中学の吹奏楽部でトランペットに出会い、進路に迷いながらも音大へと進学。しかしそこでトランペットの才能の限界を感じ、指揮者の勉強を始めることになります。そうして佳和が成長していくなか、時代は目まぐるしく変わり、そこに現れてくる社会、文化、生活の描写にも惹きつけられます。

瀧羽:昭和の時代がどんどん遠ざかるなか、この時代を書き残しておきたいなと。そこで生きていた人がいなくなってしまうと、失われていってしまうものがあると思うんです。たとえば私の祖父母は戦争を知っている世代ですが、知っている人と知らない人では、やっぱり違う。

 音楽は芸術として、社会や時代性、いわゆる経済や政治とのかかわりが薄いイメージもありますが、音楽、殊にクラシックは、自分で学ぶにも、コンサートを開くにも、そして聴きにいくにもお金がかかる。それもあって、社会情勢とまったく切り離されたところで存在しているわけではない。日本がバブル経済の頃は、豪華なコンサートを開くことも観客を集めることもできたけれど、経済が萎んでしまうとゆとりが失われていく。社会の中で活動している以上、芸術といえど、社会や経済、人々の暮らしと無関係だということはあり得ない。作中にもそうした描写が出てきますが、時代の変遷を描くなか、芸術と時代の関係性も実感していました。

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孤高の芸術家のようでいて他者と関わらざるをえない、指揮者という仕事の面白さ

瀧羽麻子さん

――クラシック音楽そのもの、音楽に携わる人々の様子や気持ちが、音楽に詳しくない読者にも明快に伝わってきます。瀧羽さんご自身、音楽への造詣が深いと感じたのですが――。

瀧羽:私自身は、子どもの頃にピアノを習っていたのと、両親がクラシック音楽好きだったという程度の軽い接点しかなくて。ただ、自分の知らない世界を書いていくこと、調べていくことはとても好きです。今作の執筆にあたり、指揮者の方への取材もさせていただきました。おひとりが日本人の方で、もうおひとりは外国人の方なのですが、指揮者のお仕事について、音楽に対する姿勢や根本的な心得みたいなところも含め、お話を伺いました。それぞれにとても個性的で、指揮者の多様性に感じ入りつつ、私なりの主人公を形づくっていきました。

――指揮者の方への取材のなかで気づいたこと、物語に強く反映したところは?

瀧羽:とにかく音楽がめちゃくちゃ好き、というのが強く伝わってきました。それから、指揮者の特殊な立ち位置というものにも、惹きつけられました。そもそも指揮者は演奏中、ひとりだけ体の向きが違いますよね。指揮者自身が表現したい音楽はオーケストラがいないと完成しない、自分の頭のなかにある音を自分の手では奏でることができない、という立場も、とても独特だと思いました。指揮者はどこか、孤高の芸術家と思われがちですが、ひとりよがりになってはいけない。コミュニケーション能力も磨き、伝え方も工夫しなければならないところは、一般社会の仕事にも通じると思いました。オーケストラにいる大勢の表現者たちを率いていくには、音楽的な技量に加えて、人間的な素養も必要になってくるというところにも面白さを感じました。

――佳和が指揮者の道を目指すきっかけになるのは、彼を本格的な音楽の道へと導き、生涯にわたり、親しい友となる音大の先輩・戸川。溢れんばかりの才能と自信を持つあまり、彼は指揮をするオーケストラ団員との間に軋轢を生みます。本作には戸川をはじめ、後にドイツに渡ることになる佳和が師事する世界的な指揮者・ハルトマンなど、強烈な個性を持つ音楽家たちが次々と登場してくるのですが、佳和自身は、湖面の水面のように穏やか。彼のそうした人間的な素養も読み手を惹きこんでいきます。

瀧羽:佳和の造形については、音楽への愛が一番、ということを軸にしました。若い頃は自分の才能や進路について悩むことも当然ありますが、特に指揮者デビューをして以降は、あまりぐずぐず考え込まなくなっていく。偉くなりたいとか、有名になりたいというより、音楽さえやっていたら幸せという、まっすぐなタイプの人が出来上がっていきました。音楽という大きなものの前で、自然と謙虚になれる、ある種ストイックな人。若干、流されがちにも見えるかもしれませんが、よくいえば柔軟で、だからこそチャンスが来たときには逃さず波に乗っていく。彼の音楽への純粋な愛と努力に、周りの人たちも心動かされ、助けてあげたくなる。支えよう、応援しようという気持ちにさせる人だと思うんです。

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