「主人公がどんどん変わっていくのが面白い」瀧羽麻子が初の大河小説で描く、音楽に人生を捧げた不器用な男の75年【インタビュー】
公開日:2026/7/31
才能が与えられ、自分に見つけてしまった人には、努力してそれを伸ばす使命が生じる

――佳和の音楽への純粋な愛は、執筆のなかで展開も生んでいったのですね。
瀧羽:そうですね。本当に佳和は音楽が好きでたまらない。もちろん時には挫けてしまったり、うまくできないことへの反省や悔やみがあったりしますが、それでも、長い人生で一度も指揮者を辞めたいと思っていない。それはけっこうすごいことだなと思って。ストーリーは、デビュー前までの下積みとデビュー以降、プロの指揮者としてやっていくところ、大きく2つに分かれますが、前半は音楽と自分のことでせいいっぱいだった彼が、年齢とキャリアを重ねるなか、後半ではオーケストラの経営やメンバー、後進のことも考えていく。性格柄、熱血な感じではないけれど、自分ができることは何か? と視野が広がっていく。それもやっぱり音楽が好きだから、というのが根本にあります。
――佳和が音楽の素晴らしさに気づく機会を与えてくれた、母が働いていたお屋敷の娘・貴子は、佳和の人生のなかの重要な地点で登場してきます。恋愛関係にこそなりませんが、佳和が心のなかで「不滅の恋人」と呼ぶ貴子は、彼の心の支えにもなっていきます。
瀧羽:佳和は基本、孤独な人だと思います。周りの人に恵まれてはいますが、音楽が大事すぎて、私生活まで手が回らない。家族も持たない。唯一、拠り所として登場させたのが貴子です。佳和は自身のことを否定しないけれど強く肯定もしない。貴子が彼に与える「全肯定」は彼を成長させるために大事な要素だと思って。その安心感のようなものが主人公にも、そして書いている私自身にも助けとなりました。
――幼い頃、教会で、貴子と佳和が一緒に聞いたキリスト教の教義「タラントン」の話。〈タラントンは、天から与えられた才能を表している。それを最大限に活かしなさい〉と、貴子が佳和に語るエピソードがあります。ここで語られる「才能と使命」は、本作の大きなテーマのひとつになっていますね。
瀧羽:芸術に携わる人なので、才能の話はやはりはずせませんでした。才能はもともと個人的にとても興味のあるテーマで、これまでにもあちこちで書いてきました。芸術でも、スポーツでも、学問でも、才能はとことん極めていくと、人間の力の及ばないところに近づいていくように感じます。理屈や人知を超えた、大いなるものというか。いろんな考え方があると思うのですが、才能は、あるところにはあるし、ないところにはない。種のないところにどれだけ水をあげても芽は出ない。一方で、才能が与えられるものである以上、その種を自分のなかに見つけてしまった人には、努力してそれを伸ばす使命が生じるのかなと。
なぜそこまで自分が努力するのか、佳和本人もたぶんよくわかっていない。でも、糧となったのは「好き」という思い。何を糧にするかは人それぞれですが、いずれにせよ、才能があると評価されているような人は、全身全霊をかけ、自分の力を伸ばそうとしている。それが、天から授かった才能を活かす、ということになるのかもしれません。
視覚以外のものを文章で書く難しさを痛感「音楽の場面はその曲を聴きながら書いていました」

――作中には、メンデルスゾーンの「真夏の夜の夢」や、チャイコフスキーの「悲愴」、ベートーヴェンの「田園」など、クラシック音楽の名曲が次々と出てくるのも楽しいですね。
瀧羽:いろんな方が読んでくださると思うので、イメージしやすい曲がいいかなと、ある程度は有名な曲を中心にしました。何度かコンサートにも行き、生で聴いた曲もいくつか入れています。あとは、マーラーの曲については時代と関わっている感じが強くて、そのあたりもまじえて書きました。バブル期の流行は、時代性を象徴していると思って。マーラーの楽曲は編成が大きくて、お金がかかるんです。1000人コーラスとか。経済に余裕があると、大がかりなコンサートも可能だし需要もある、そういう上向きな時代の空気とも連動するかなと。
――作中に出てくる楽曲のひとつひとつが時代性を表していくとともに、佳和がそのとき置かれている状況や心境を映していくのも物語ならではの醍醐味だと思いました。
瀧羽:佳和の指揮者としての道が開いていくきっかけとなるときに指揮をする「真夏の夜の夢」は、妖精と一緒に踊るみたいな楽しい曲。佳和らしいなと思いながら書いていました。指揮者と演奏者の考え方の違いで衝突が起きる場面に入れたチャイコフスキーのピアノコンチェルトでは、両者のせめぎ合いを描きました。その時々に、彼に必要な曲、彼の心境に添う曲を、物語のなかに組み込みました。
――オーケストラの音が聞こえてくるような、それぞれの楽曲、演奏シーンの描写が印象的でした。
瀧羽:音楽を文章で書くのは本当に難しいなと痛感しました。文字というものの限界を感じながらも、どういう風に音のイメージを伝えるか、その響きを再現できるようにと、音楽の場面は何度もその曲を聴きながら書いていました。
――さまざまな楽団で指揮をしながら、オーケストラをまとめていくようになる佳和の人生を書いていくうちに見えてきた「指揮者」とは?
瀧羽:取材で指揮者の方にお話を伺ったとき、印象的だったのが、自分を大きく見せようとしてはいけないということ。演奏者とは音楽家同士、リスペクトが必要だし、自分のためだけの音楽であってはならない。そういう意味で、佳和の性格は向いているのかなと思いますが、改めて不思議な立場だなぁと。楽団員の上に立つわけではないですが、かといって並列でもない。それが特殊だし、面白い。あと、やはり孤独だと思いました。指揮者はいろんなオーケストラを点々としていくのが基本。常任でも、ずっと楽団員の方たちと一緒にいるわけではない。集団として仕事をするにもかかわらず、距離がある。しかもひとり対大勢で……大変なお仕事です。
――その孤独に耐えられることも、きっと指揮者としての才能のひとつなのでしょうね。
瀧羽:そうですね。最終責任者として覚悟もいりますし、責任も負う。でもその分、うまくいったときには、誰にも得ることができないような歓びを抱けるのではないかと思います。
――その歓びも読者のなかに流れ込んできます。そしてストーリー後半には、驚きの展開が――。
瀧羽:シンプルな構成なので、なにかひとひねり入れたいと思いました。前から順に読んできてくださった方は、「え!?」と感じられるかもしれませんが、そこまでにもうっすらと含みをひそませているつもりなので、よかったら注意してみていただければ。
――本作を読者の皆さんにどのように楽しんでいただきたいですか。
瀧羽:楽譜の音符は誰が見ても同じですが、音楽家によって表現された結果、まったく違う演奏になっていきます。楽曲とは作曲家のものであると同時に、演奏家のものでもあると私は思います。小説も、本のなかには誰が読んでも同じ文字が並んでいますが、読む人によって受け取り方、感じ方はまったく違う。物語は読んで初めて完成するものだと思うので、自由に、楽しみながら読んでいただけたらうれしいです。
取材・文=河村道子 撮影=後藤利江
