目の前で肉親を惨殺されても無表情。感情が分からない失感情症の少年が愛を見つけるまで

文芸・カルチャー

更新日:2021/2/28

『アーモンド』(ソン・ウォンピョン:著、矢島暁子:訳/祥伝社)

 喜び、怒り、悲しみ、恐怖…。私たちの日常にはいろいろな感情が当たり前のように溢れている。だが、もし産まれた時から「感情」がどんなものか分からなかったら、あなたはどう生きていくだろう…? 韓国で30万部を突破したベストセラー小説『アーモンド』(ソン・ウォンピョン:著、矢島暁子:訳/祥伝社)は、そんな“もしも”について考えさせられる感動作だ。

■「感情」が分からない少年は「愛の意味」を見つけられる?

 主人公のソン・ユンジェは生まれつき扁桃体(その形状からアーモンドと呼ばれることも)が人よりも小さく、感情が湧かないという「失感情症」。人の感情も読めない。幼い頃に目の前で人が殴られて死んだ時にも一切表情を変えなかったユンジェは、周囲から「普通じゃない」と言われるようになった。

 彼の母親は、世の中をただ見えるままにしか理解できない我が子が人から“正常”に見えるよう、毎日食卓にアーモンドを出し、どんな時にもとにかく相手と同じ表情をしなさいと諭しながら、感情の勉強をさせてきた。

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 そんな母親のやり方とは違い、祖母はユンジェを「世界で一番かわいい怪物」と呼び、ありのままを受け入れる。方向性は違えど自分を愛してくれる家族に見守られながら、ユンジェは育っていった。

 しかし、ある日を境に彼の日常は大きく変わる。ユンジェの誕生日を祝うために街へ繰り出した3人は、不幸にも通り魔に遭遇――祖母は殺され、奇跡的に一命を取り留めた母親は植物状態に。17歳にしてユンジェは、ひとりぼっちになってしまったのだ。

 自分の世界、自分の居場所をつくってくれた2人を一気に失ったユンジェは、母がもし元気だったら年齢に見合った普通の暮らしをしてほしがるだろうと考え、高校に進学する。だが、事件の被害者であることが噂で広まると、やはり“普通”に生きることの難しさに直面する。

 そんな日々を送っていた時、母親が入院している病院で出会った銀髪の中年男性から、ある提案を持ちかけられる。死期が近いという彼の妻の前で、13年前にいなくなり児童養護施設で再会した息子・ゴニのフリをしてほしいというのだ。さらに、そのゴニ当人がユンジェと同じ学校に転入してきたことで、ユンジェの人生は大きく変わっていく。

 ギラギラした猛獣のような目をし、あたりに唾を吐くことすらひとつの流儀のように思っているゴニは、自分とはまったく別の存在。ユンジェははじめ、ゴニからいじめの対象にされたが、ゴニが辿ってきた過去に触れるうちに好奇心が湧き、彼のことをもっと知りたいと思い始める。一方ゴニもまた積極的にユンジェに近づくようになり、2人は奇妙な絆で結ばれていく。普通であることを求められ続けた少年と虚勢だらけの人生を歩んできた少年の心の交流は、感情を“言葉”に込めることの大切さを感じさせる。

 さらに、後半から登場するドラという少女とユンジェの出会いも見逃せない展開だ。“怪物”と呼ばれてきた少年が、誰よりも真摯に人の感情と向き合い、愛の意味を知ろうと歩んでいく。

■“普通”に縛られない感情表現を

 一般社会では何かにつけて、他人の評価を気にしたり、周囲を気にするあまり心にもない共感をしてしまったりすることも多い。もしかしたらあなたも、うわべだけの軽い愛を誰かに容易く語ったり、直視したくないドロドロした感情を別の言葉でごまかしたりしているかもしれない。

 だが、私たちは感じる心を持ち、それを伝える言葉を知っている。ならば、もっと自分の感情を貪欲に表現してもいいだろう。世間でいう“普通”の基準から外れたとしても、感情をダイレクトに届けようとすることには、意味があるはずだ。

 頭ではなく“心”でダイレクトに感じとる感情を、私たちはユンジェから教わるのだ。

文=古川諭香