怪物と戦い深淵を覗き込む者は、自らの心の底を知る――気鋭が放つ人間心理ミステリー! 『深淵の怪物』

文芸・カルチャー

2019/12/28

『深淵の怪物』(木江恭/双葉社)

 大沢在昌、本多孝好、永井するみ、湊かなえを輩出したミステリーに特化した新人文学賞の最高峰、小説推理新人賞。第39回の同賞で応募作296編の中から奨励賞に選ばれた木江恭さんの「ベアトリーチェ・チェンチの肖像」を含むデビュー短篇集『深淵の怪物』(双葉社)が発売された。

“怪物と戦う者は、自分もそのため怪物とならないように用心するがよい。そして、君が長く深淵を覗き込むならば、深淵もまた君を覗き込む。”

 哲学者ニーチェの著、『善悪の彼岸』の中で最も有名なこのパラグラフが、本書の冒頭に記されている。“怪物”と“深淵”。この二語は、収録されている全作品に共通するキーワードだ。

「ベアトリーチェ・チェンチの肖像」は、中学校の美術教師変死事件を追う女性刑事が、捜査を進めながら自らの過去の傷を見つめざるを得なくなる葛藤を描いた内容。

 死んだ教師が遺したものは「死んで詫びるしかない」と記したメモと、自身の娘の裸を撮影した画像データ。警察の取り調べに対して「父が、好きでした」と語る娘。彼らの間にあったのは虐待か、それとも禁忌の愛情か。教師は自ら死を選んだのか、それとも――。

 娘をはじめ関係者らと接触し、事件の真相へ近づくに従い、女性刑事もまた自分の心の深い部分へと潜っていき、次第に、刑事という道を選んだ自分の生き方を決定づけたトラウマを呼び起こしてしまう。しかし、それ故にこそ彼女は真相にたどり着く。

 新聞の三面記事的な事件の裏に隠されていた、おぞましくも悲痛な愛憎の物語。真実が明らかになっても、それで誰も救われない結末が実に苦い。

 怪物と戦う者は、怪物に近づく。深淵を覗き込む者は、自らも深淵に覗かれる。

 ことわざに言い換えるなら“ミイラ取りがミイラになる”、あるいは“蛇の道は蛇”というところだろうか。

 そんな人間心理の不可解さを、冷徹なほど鮮やかに作者の筆は綴る。

 親代わりになって弟を育ててきた兄が転落死を遂げたことから暴かれていく、優しい兄のもう一つの顔(「人でなしの弟」)。小さな漁村で唯一の肉親である父を殺された少年と、彼を気遣う教師。事件を調べる記者が解き明かす、殺人事件の異様な背景(「さかなの子」)。無気力なフリーター青年が見ず知らずの女子高生から依頼され、ある交通事故を調査するうちにふれることになる彼女の真意(「メーデーメーデー」)。

 ほか3作品の登場人物たちも同様に、厄災のような犯罪との遭遇をきっかけに、他者と、自分自身の深淵を覗く事態に陥ってしまう。それによって気づきたくなかったことに気がつき、見たくなかったものを見ることに。

 ある者は自らの内に潜む残酷さに驚き、ある者は自身の欺瞞に恐れおののき、またある者は、諦めていたはずだった他者との関わりに向けて一歩踏み出そうとする。

 著者はこうコメントしている。「この本に収録された4つの短編は『人の心の深淵』を描いています。温かくありたいのに冷たく、美しいようで醜く、慈悲深いと同時に残酷。そういった、一言では表しがたいものを物語の形で掬い上げようとして生まれました」。

 怪物と戦い、深淵を覗き込む者は、自分の心の底を知る。そんな人間の心の在りようが様々な犯罪、様々な切り口から展開されて、ミステリーであると同時に哲学小説の趣も漂っている。

文=皆川ちか