趣味は女装、稼いだバイト代はデリヘルに。「私」でありたいともがく男子大学生が遭遇したのは…

文芸・カルチャー

公開日:2020/3/8

『改良』(遠野遥/河出書房新社)

 女の腹には、卵子のもととなる原始卵胞というものが存在する。女は、一生ぶんの原始卵胞を、胎児のうちから腹に抱えているという。つまり多くの女は、子を生みたいかそうでないかという当人の意思とは関係なく、生まれる前から「生むための細胞」を持っている。わたしの生は、わたしが生まれもしないうちから、「なにか」にレールを敷かれているのだ。
 
『改良』(遠野遥/河出書房新社)という作品の主人公・「私」に親しみを覚えるのは、そんな思いを抱いたことがあるからかもしれない。
 
「私」は、コールセンターでアルバイトをする大学生。アルバイトと週3回の大学の講義を除けば、予定と呼べるものもない。だが「私」には、密かに追求しているものがあった。メイクや衣服のコーディネイト、女性らしい仕草の研究──そしてアルバイトで稼いだ金は、美容とデリバリーヘルスに消えていった。

“私は、初めてメイクをしたときのことを思った。全然思い通りにならなかったけれど、私は一生懸命だった。誰かに助言を求めるわけにはいかなかったから(中略)、記事を読んだり動画を見たりして知識を仕入れ、何度も手を動かして少しずつメイクの仕方を覚えていった。そうやって、少しずつ自分をきれいに見せることができるようになっていくのが嬉しかった。(中略)私は、美しくなりたいだけだった。男に好かれたいわけでも、女になろうとしたわけでもなかった。”

 努力の結果、「私」は美しくなった。容姿に自信を得た「私」は、女の格好をした自分をより多くの人に見てもらいたい、自分の美しさを認めてほしいと思うようになる。
 
 そんなある日、「私」はついに、デリバリーヘルス店で懇意にしているカオリに、女の格好を見てもらおうと思い立った。「私」は満足のいく格好を丹念に整え、カオリがやってくるのを待つのだが…。


 たとえば、屈強な男、やさしい母、リクルートスーツを着た学生、空気が読める仲間のひとり――そうやって振り分けられた“役割”を、わたしたちが、好む好まざるにかかわらず受け入れて暮らしているのは、その点について無意識だからか、“出る杭”となって攻撃されないためだろう。しかし、与えられた役割に息苦しさを感じたとき、ひとはどうすればいいのだろう?

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 思えば、わたしたちのうちに、今の自分に生まれたいと願い、その通りに生まれた人間はいない。そういう意味では、わたしたちはみな「望まぬ生」を生きている。「わたし」が「わたし」を生きるためには、「与えられたわたし」から抜け出さなくてはならない。重すぎる肉を脱ぎ、軽くて丈夫なものをまとい、呼吸を妨げる口輪を噛み切り、はめられた足枷を踏み砕く。「わたし」にとっての負の要素を、「わたし」自身で除いてゆく。「わたし」を強くする武器を、「わたし」自身で装着してゆく。おそらくそうすることでしか、ほかの誰でもない「わたし」を生きることは叶わない。

 第56回文藝賞の選考委員・磯﨑憲一郎氏、斎藤美奈子氏、村田沙耶香氏を、困惑、そして驚愕させた気鋭の才能。多様性の時代を生きる現代人に、ぜひ読んでほしい1冊だ。

文=三田ゆき