「きらいなあいつが不幸になればいい」心の隙間に現れる甘い誘惑…夢枕獏による怪談えほん『おめん』

文芸・カルチャー

公開日:2021/9/7

おめん
『おめん』(夢枕獏:作、辻川奈美:絵、東雅夫:編/岩崎書店)

 気づけばそこにいる、というのがいちばん怖い。なんてことのない、当たり前の風景だと思っていたものが、ある瞬間にぐにゃりと歪み、危険を感じたときにはもう遅い。あっというまに吞み込まれる――というよりは、ずいぶんと前からとりこまれてしまっているのだと気づいたときには自分も“あちら側”の住人になっている。そんな忍び寄る恐怖を描きだすのが岩崎書店・東雅夫編集の「怪談えほん」シリーズだ。

『おめん』の著者は、夢枕獏氏。『キマイラ』『陰陽師』など数多くの人気シリーズを手がけ、紫綬褒章をも受章した、いわずとしれた怪奇幻想文学の書き手である。

おめん p.2-3

〈いやなやつ いるよね/なんでも できる きれいな あのこ/きらいな あいつ いじめっこ〉という文章から始まる本作。辻󠄀川奈美氏のややくすんだ風合いの絵とあいまって、のっけから不穏である。そもそもこの〈いるよね〉という語りかけが怖い。転んで怪我をすればいい、足が折れてしまえばいい、と物騒なことを願う主人公の女の子の「それくらい誰だって思うでしょう?」という同調圧力。いや思うけど……でも……となんとなく尻込みしている読者の前に、提示されるのが“こわい おめん”だ。それをかぶれば人を呪うことができる。足を折るどころか、誰だかわからなくなるくらい顔をぐちゃぐちゃにすることもできる。思いどおりに、他人に不幸を降らせることができるのだ。

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おめん p.12-13

 もしそんなおめんが、自分の前にも現れたら? と想像する。使わない、と断言することができるだろうか。自分で手をくだすことは、もちろんできない。でももし、願うだけで目障りな誰かを蹴落とすことができるなら。自分の世界から排除することができるなら。その誘惑に、勝てるだろうか。

 でもその結果、導かれる結末がいいものであるはずがないということは、辻󠄀川奈美氏の絵をたどっていけばわかる。おめん越しに見る景色は、手に入れる前のくすんだ世界と違って、一見色鮮やかで華やかだ。けれど細部はやっぱり醜く不穏さがたちこめていて、気づいたときにはおめんも、醜さも、自分からは切り離せなくなっている。

〈どんどろぼろぞうむ でんでればらぞうむ〉と呪文を唱えるたびに、主人公は昏い淵に落ちていく。2度とこんなことはしない、と誓ったところでもう遅い。そして言葉のないラスト1枚の絵を目にしたとき、誰かの不幸を願ってしまう心の隙間をもった私たちもまた、同類なのだと思い知らされる。いやだ。ここにはいきたくない。そう思っても、逃げられない。どんどろぼろぞうむ でんでればらぞうむ。耳に残るその呪文が、私たちを絵本のなかに閉じ込めてしまうのだ。

文=立花もも

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