舞台中止騒動でファン増加? 土屋アンナのヤンキー哲学

芸能

更新日:2013/8/9

 いまだ収束の兆しを見せない、土屋アンナの舞台中止騒動。当初は、土屋が舞台稽古に参加しないことを理由に制作者サイドがHPに舞台を中止せざるを得なくなったと発表し、それがニュースとして報じられたことで、ネット上には「無責任すぎる」と土屋バッシングが巻き起こった。……が、土屋が「事実無根」と否定し、さらには原案となっている本の著者が、舞台化を許可していないことをブログに綴り、土屋を擁護したことから事態は一転。バッシングは影を潜め、一気に「土屋アンナ、カッコイイ」「やっぱり侠気がある人だ」と株を上げた格好に。

 報道によれば、舞台の脚本は最後に主人公が倒れ、息を引き取ったことを示唆するかたちで幕を閉じる展開だったようで、原案者の気持ちを考えた土屋はそのことにも疑問をもっていたという。土屋に対する評価が高まった理由には、こうした「人の気持ちを配慮できるところ」「それを実行する行動力」があるようだ。

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 もちろん、これまでも土屋アンナが人気を集めてきたのは、女性タレントの枠を超えた豪快さにある。その魅力は著書『土屋アンナ100のルール』(祥伝社)にも顕著で、彼女はこの本のなかで数々の“生き方の哲学”を披露している。

 たとえば、「力があるのなら、その力で弱いものをねじ伏せるんじゃなく、その力で守りたい」「浮いたって構わない。自分で決めて、人には押し付けない」という言葉には、今回の騒動での立ち回り方にも通じる一本気な性格がよく表れている。「自分が言われて辛いことは、他の人には絶対言わない」というのも、懸命に生きている原案者を“殺そうとした”脚本に疑問を感じたという土屋の倫理観が透けて見える。

 このような土屋の“人を思いやる気持ち”には、祖父の影響があるようだ。「マジリスペクト」しているというおじいちゃんは、「人のために生きろ!」といつも言っていたそう。いわく、人は心臓である。心臓は血管で動いている。血管とは人間にとって“人脈”。人脈とは仲間だ、仲間を大事にすれば心臓も動く。そして、自分も仲間の血管になるのだ──なんとも豪快な論だが、これもまた土屋アンナらしさをつくりあげているのだろう。

 また、本のなかでは「愛あるケンカをする」という哲学を述べている。「ぶつかるときはとことんぶつかってお互いを知るのが大事。意味のあるケンカは必要なんだよ。愛のあるケンカには必ず解決法がある」のだという。今回の騒動は泥仕合の様相を呈しているが、「相手に何かされても、反省して謝られたら根に持たない」とも綴っている土屋。今後“愛ある”決着が図られる日がくるといいのだが……。

 「死んだら、面倒臭い女だったって言われたい」「迷惑ばっかりかけてたヤな奴だった、って。そのほうが周りの記憶に残れるから」。──面倒臭いかどうかはともかく、自分が正しいと思ったままに突き進む女優として、土屋の行動は多くの人の記憶に刻まれたのではないだろうか。