YouTubeは観られても、本が読めない?「読書」と「労働」の悩ましい相関とは

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PR更新日:2024/4/22

なぜ働いていると本が読めなくなるのか"
なぜ働いていると本が読めなくなるのか』(三宅香帆/集英社)

 読書の時間が取れないから、会社員を辞めた――。書評家・三宅香帆さんによる書籍『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』(集英社)の出発点には、ハッとした。ビジネスマンならば「読書」をするべきと、頭では分かっている。しかし、何かと忙しい、時間がない…として、手が伸びないのもよくある話だ。

 幼少期から「読書の虫だった」とする著者も同じく、かつての「週に5日間毎日9時半から20時過ぎ」まで働く会社員時代には、気が付けば「スマホのSNSアプリ」や「YouTube」を開いてしまう毎日を過ごしていた。ふとひらめいた「そもそも本も読めない働き方が普通とされている社会って、おかしくない!?」の問題意識は、本書の原点に。私たちは「働きながら本を読める社会」に生きられるのか。深く考察する、足がかりとなる。

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 本書では「読書」と「労働」の悩ましい相関を、歴史をたどりながらていねいにひもとく。現代のビジネスマンに人気のジャンルは「自己啓発書」だが、その歴史は古く「労働」の言葉が使われるようになった、明治時代までさかのぼるとは驚きだ。

 明治維新によって人びとが「職業選択の自由」を得た当時、社会では「立身出世」を願う声が高まり、イギリスの作家・スマイルズによる著書を中村正直が翻訳した『西国立志編』がベストセラーに。本書によると、人口が「5000万人」だった日本で「100万部」を売り上げたという。

 その後、大正時代には全国的な「図書館」の増設、出版業界の「再販制」導入などで、日本の「読書人口」が増加。世間では「教養」の言葉も、浸透していった。一方で、日露戦争を受けた物価高の影響もあり、多くの人びとが職を求めはじめる。現代とも重なる「労働が辛いサラリーマン像」ができあがったのも当時だというが、いわゆる「エリート」を志す人たちが「教養」によって、自己研鑽を図るようになっていった。

 そして、時代は昭和から平成へ。ビジネスマンの間で「教養」が求められるのは変わらずとも、インターネットの台頭で「読書」の時間は減少の一途をたどる。平成の後半には「働き方改革」が叫ばれるようになり、生き方も様々に変化。一方で「副業」や「フリーランス」、「ノマド」といった言葉が流行した背景では「自分で稼げ。集団に頼るな」としたメッセージが暗に発せられ、常に“何か”にせきたてられるようになった。

 かつて「娯楽」でもあった「読書」によって得たものが、効率が求められる現代では「情報」として処理される時代へ。効率を上げるための「読書法」が注目されるのは、その典型例だ。しかし、何事も「全身全霊」ではなく「半身」で生きる余裕も必要で、それこそ「働きながら本を読める社会」は、私たちの“理想かもしれない”と本書には気付かされた。

 忙しくとも「読書」はできる。その一歩として「自分の好きな作家や好きな作品でSNSやブログを検索し、そこから趣味の合う読書アカウントや読書ブロガーを見つける」という、著者のすすめる方法もおおいに役立つはず。本書は、読んだあとで「読書」にためらう身近な誰かに、紹介したくなる1冊だ。

文=カネコシュウヘイ


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