宮城出身の写真家 震災翌朝から塩竈の光景を発信し続けている

文芸・カルチャー

更新日:2017/11/28

 宮城県塩竈市出身の写真家・大江玲司さんが、被災した塩竈の様子をカメラに収め始めたのは、震災の翌朝のことだった。   
  
 「親戚の無事もまだ確認しきれていないような状態でしたが、じっとしていられませんでした。街がどうなっているのか知りたくて、とにかく行ってみようと思い、カメラを手に家を出たんです」 
  
 ようやくたどり着いた塩竈の市街地は、一変していた。 「車で行けるところまで行って、その後は歩いて街の様子を撮り始めたんですけども、その時に撮った写真は手ぶれがひどくて。自分では泣いている感覚はないんですが、涙がポロポロ出てきて、手がガタガタ震える。だけど、とにかくこの光景を残さなきゃという感覚だけが働いていたような気がします」 
  
 やがて、友人や仲間との再会を果たし、外部との連絡も頻繁に行えるようになっていった。 「そうしたら、僕の撮った写真を見せてほしいという人が出てきたんです。人に見せる目的で撮ったものではなかったので最初は躊躇しましたが、自分自身の気持ちを整理したときに、現実を直視するのも必要じゃないかと感じたんです」
  
 震災前に写していた塩竈の姿。いつ、それが戻ってくるのか、まだまだ先は見えない。 「この塩竈に住んで写真を撮っていくことに対して今まで以上に揺るぎない覚悟を持つことができました」と語る大江さん。街が復興していく過程を撮り続け、発信していく決意を固めている。 
  
大江さんホームページ「zerographics」
  
  
  
(ダ・ヴィンチ8月号 東日本大震災特集より)